1-2 新しい生活

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1-2 新しい生活

朝6時。 ピピピピ・・・・ 大きな目覚まし時計の音が鳴り響き、眠っていた千尋はゆっくり目を開けた。布団から手を伸ばし、目覚まし時計を止める。 「う~ん…もう朝か…」 目をこすりながら呟く。  祖父の49日も無事に済み、あれから半年の月日が流れていた。千尋のベッドのすぐ側にはヤマトが気持ちよさそうに眠っている。 ヤマトは祖父が亡くなってからはずっと千尋の側を片時も離れなくなっていた。 (私の事が心配でたまらないのかな?) その姿を見てくすりと笑った。事実、ヤマトのお陰で祖父を亡くした寂しさを乗り越える事が出来たようなものである。恐らくヤマトがいなければ祖父の死から立ち直れなかったかもしれない。ヤマトの寝姿を見て初めてヤマトと会った日の事を思い出していた。    ヤマトとの出会いは今から4年前に遡る。当時、まだ小さな子犬だったヤマトは段ボール箱に入れられ、空き地に捨てられていた所を偶然通りかかった千尋に拾われたのである。 **** 「キャン!キャン!」 「え…?犬の鳴き声?」 千尋の耳に甲高い犬の鳴き声が聞こえて来た。鳴き声が聞こえる方を見ると、空き地に段ボール箱が捨てられている。 「…?」 恐る恐る段ボール箱に近づき、そっと中を開けてみた。 「か…可愛い!まるでぬいぐるみみたい!」 真っ白でフワフワの綿毛の子犬にすっかり魅了されてしまった。そっと抱き上げると子犬は尻尾を振り、千尋の顔をペロリと舐めた。 「アハハハ…くすぐったい!おチビちゃん、飼い主さんに捨てられてしまったの?可哀そうに…。ねえ?お腹空いてない?何か食べさせてあげるね。」  腕の中に大人しく収まった子犬を見ていると無性に一緒に暮らしたい気持ちが募ってきた。 実は以前から千尋は子犬を飼いたいと思っており、祖父にそれとなく話をしていたのだが、あまり良い顔はされていなかった。 「お爺ちゃん…許してくれるかなあ?」 祖父の幸男は突然千尋が子犬を拾ってきた事に案の定驚いたが、千尋の必死の説得が功を成し、家で飼う事を快諾してくれたのである。更には「ヤマト」と名前をつけたのも祖父であった。 (どうだ?お前はオスだから男らしい名前を付けてやったぞ!) そう嬉しそうにヤマトに言った祖父の言葉が蘇ってきた。 「さて、起きなくちゃ」 大きく伸びをするとベッドから降り、ジーンズにTシャツ、パーカーといったラフな服に着替えた。そして洗面台に移動すると髪をとかし、後ろで1本にまとめる。 花屋で働いているので、お洒落な格好はしない。動きやすさが一番である。そのまま顔を洗い、化粧水・乳液・外仕事が多いので日焼け止めクリームを塗る。 手早く薄化粧すると台所へ行き、エプロンを付けると朝食の準備に入った。  千尋はいつも自作のお弁当を職場に持って行くようにしている。忙しい接客業の仕事は昼休み、外食に出掛ける時間を取るのが難しいし少しでも昼休みをゆっくり過ごすには持参するのが最も良いと考えているからである。炊飯器の中はもうご飯が炊けている。千尋にとって朝ご飯に味噌汁は絶対欠かせない。 鍋に水と出汁を入れて火にかける。沸騰したところに賽の目切りにした豆腐を入れて味噌を入れて味を調える。最後に前夜の内に刻んでタッパに入れておいたネギを投入すれば味噌汁の出来上がり。千尋の定番の朝のメニューは御飯にお味噌汁、納豆に海苔と至ってシンプルなものである。朝食の準備が整ったら、次はお弁当の準備。 御飯を詰めてから前夜のおかずの残りのきんぴらごぼうを入れる。そして冷凍しておいた手作りミートボールをレンジで解凍後、弁当箱に入れる。仕上げは彩りを添える為にフリルレタスとプチトマト、これらを詰めて完成。お弁当作りも終わった頃にヤマトが起きてくる。 「おはよう!ヤマト!」 笑顔で言うと 「ウオン!」 ヤマトは嬉しそうに吠え、尻尾を振る。 「お腹空いたでしょう?待っていてね。今用意するから」 千尋はフードボールにドッグフードを入れ、水を用意するとヤマトの前に置いた。祖父の仏壇の前に行き、ご飯と味噌汁を供えて、お線香を立てて手を合わせる。 台所に戻ると、ヤマトが餌を前に千尋が戻るのを待っていた。 「ヤマト、もう食べていいよ」 声をかけられて、初めてヤマトは餌を食べ始める。その様子を見届けてから千尋も朝食を食べる準備を始めた。8畳のキッチンに置かれた小さな2人用のキッチンテーブルセット。これは祖父が亡くなった後、千尋が購入した家具だ。祖父と二人暮らしの頃は居間で食事をしていたが、一人になってからは食事の時にどうしても祖父を思いだしてしまう為、台所で食事を取る為に通販で購入したのである。 「いただきます」 言うと、食事を始めた。 食器を洗い終わると、千尋は前日の内に洗って部屋干ししておいた洗濯物の様子を見に行った。 「う~ん…。夏の頃は朝にはもう洗濯物乾いていたんだけどな‥。流石に10月にもなると無理かな?」 まだ少し湿り気のある洗濯物を触りながら呟いた。女の1人暮らしとなると、安易に洗濯物を外に干せなくなってしまったのが今の千尋の悩みである。 「やっぱり次のボーナスで思い切って乾燥機付きの洗濯機買おうかな?」 その時、ふいにヤマトに服の裾を引っ張られた。 「え?何?」 見ると足元にリードが置かれている。時計を見ると出勤時間が迫っていた。 「あ、大変!もう行かなくちゃ!」 慌ただしく準備を始め、ヤマトにリードを装着した。 「行こう、ヤマト」 玄関のカギをかけると千尋はヤマトを連れて職場へと向かった。    祖父が亡くなってからはヤマトが毎日千尋の職場まで付いてきて、仕事が終わるまでずっと職場に居座るようになっていた。千尋がいくら家に帰るように言っても頑として座り込み、店から動こうとしない。 「いいんじゃない?うちのお店のマスコットとして置いてあげるわよ」 店長の言葉についつい甘えてしまい、今日に至っている けれども店長の言葉通り、ヤマトが店に居るようになって客足が伸びたのも事実。  『フロリナ』の開店時間は10時。本日は千尋の早番の日なので開店準備をしなくてはならない 9時に店に到着した千尋が最初に行った作業はバケツの水換え。 バケツの中の花を取り除き水を捨てて綺麗に洗い、新しい水を入れる。その際、必要があれば切り花延命剤を入れる場合もある。痛んだ花が無いかチェックをし、取り除く。 この作業は中々の重労働だが千尋は黙々と作業を行う。 次に鉢植えの花の様子を調べ、枯れた葉や花、虫がついていれば取り除く。それらの作業を行いながら腕時計を確認してみると、時刻はそろそろ10時になろうとしている。 「そろそろ10時か・・・。」 その時である。 「ごめーん!青山さん、遅れちゃった!」 店長の中島が慌てて店の裏口から走りこんできた。 「大丈夫です、店長。まだ10時になってなっていないのでギリギリセーフです。それにしても珍しいですね。いつもの店長なら余裕を持って来てますよね?」 千尋は店のシャッターを開けながら尋ねた。 「うん、ちょっといい事があってね」 中島はニコニコしている。 「もしかして昨夜は合コンでしたか?」 千尋の問いに 「え?何故分かったの?!」 「そんなの店長の顔を見ればすぐに分かりますよ~」 千尋は留守番電話を切り替えて言った。 「また後でお話聞かせて下さいね?店長」  開店して5分も経たないうちに、お客がパラパラと来店し始めた。鉢植えを買いに来る客、花束の注文客等々…。千尋と店長は手際よく接客している。  慌ただしい時間が流れていたが、10時半を過ぎると一旦客足が途絶えた。 「よし、それじゃやりますか」 千尋は店内の花を見渡し、色鮮やかな花を次々と抜き取っていく。 それを見ていた中島が 「ああ、今日は山手総合病院の生け込みをする日だったわね」 「はい。私、あの病院でお花を生けるのが大好きなんです。リハビリステーションでお爺さんやお婆さん達の喜ぶ顔が見られるを見られるのが嬉しくて」 千尋は2か月前から週に1度、山手総合病院のリハビリステーションで、花の生け込みの仕事を任せて貰えるようになったのである。花留めの吸水性フォームを手に取った時に、パートの渡辺が出勤してきた。 「おはようございます、渡辺さん」 千尋は元気に挨拶した。 「おはよう、千尋ちゃん。今日はいつにもまして元気ね~。あ、店長もおはようございます」 渡辺は店の奥から出て来た中島にも挨拶をした。 「渡辺さん、これから青山さんが山手総合病院に生け込みの仕事に行くから、いつもより少し忙しくなるけどよろしくね」 「あ!だからご機嫌だったのね~。千尋ちゃんはあの病院では皆のアイドルだもんね」 渡辺の冷やかすような言葉に 「そんなんじゃ無いですよ。皆私の事を孫のように大切にしてくれているから私も頑張って素敵な生け込みを作りたくて。店長、渡辺さん、13時にはお店に戻るので後をよろしくお願いします」 『行ってらっしゃい』 二人の声に見送られると、千尋は店の裏手の駐車場に止めてある軽トラックに荷物を積んだ。そして今まで店の外に待機していたヤマトに声をかけた。 「行こう、ヤマト」 リードを手に取るとヤマトを連れて駐車場に移動する。ヤマトは慣れた様子でヒラリと軽トラックの荷台に飛び乗った。千尋が病院へ仕事に行くときもヤマトは必ずついてくる。ヤマトが病院に行く事は既に了承されているのだ。 何故、ヤマトが病院に行けるのか・・・・。 話しは2か月前に遡る。  
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