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ヤマトの章 —1 前世と今世
僕の手は罪で汚れている―。
だからこれはきっと報いなんだ。
僕が生きていた時代は戦で国は荒れていた。力のない武将についた下級兵士たちは食べ物に飢え、僕ら平民達の住む村を容赦なく襲って来た。
若い男たちは戦に駆り出され、年寄りは兵士達に憂さ晴らしに殺され、若い女性達は兵士達に連れ去られ、慰み者にされるような恐ろしい時代だった。
それでも僕の住む村は他の村に住む人達よりは随分まともな村だったと思う。
この集落を治めていた領主はそれこそ名だたる名君主では無かったけれども、僕たちに武器を与えてくれた。そして年貢も比較的軽く、決して僕たちを飢えさせるような無茶な真似をするような方では無かった。
僕には幼馴染の女の子がいた。
名前は咲<さき>、大きな瞳に色白なこの少女は村中の同じ年頃の少年達の憧れの存在だった。そして咲が選んでくれた相手は僕だった。
****
「大和ー」
咲が手を振って木立の中から現れた。
「咲、もう仕事は終わったのかい?」
僕は二人で名付けた≪美しが丘≫で咲を待っていた。
「うん、今日はお天気だから洗濯物が沢山あって大変だったけど大和に早く会いたかったから頑張ってきたの」
咲は僕の隣に腰を下ろしながら笑顔で言った。
「咲…」
咲の可愛らしい言葉に僕は嬉しくなって、ギュッと抱きしめると顔を近づけた。照れて真っ赤になっている咲を見てると愛しさが募って来る。
「咲、目…閉じて…」
ますます赤くなる咲は、でも頷いて目を閉じて顔を上げた。僕はそっと口付け、ますます強く抱きしめた―。
二人で野原に寝そべりながら、青い空を見上げる。
「こうしてると今戦が国中のあちこちで起こっているなんて信じられないね」
咲が言った。
「うん、そうだね。この村一帯を治めている領主様が僕たち平民の事を良く考えていてくれているからだと思うよ」
「でも、近隣の国では戦が激しいって聞いてたわ。この村もいつか戦いに巻き込まれやしないかと思うと心配でたまらないの」
咲は僕にしがみついて震えている。確かにそうかもしれない。僕だってもう18だ。戦が始まれば武器を取って戦わなければならない。でも刀なんか扱えっこない。でもその事を言うと咲を不安にさせてしまうので決して咲の前では弱音は吐きたくなかった。
「大丈夫、いざとなったら僕は武器を持って咲を…この村を必ず守るよ。だから咲。戦が始まる前に…僕と祝言を挙げない?」
「え?本当?私を大和のお嫁さんにしてくれるの?」
咲が起き上がって僕を見つめた。
「何言ってるんだよ?当り前じゃ無いか。子供の頃に約束しただろう?大きくなったら嫁に来てくれる?って」
「だって…あんな昔の話、もう忘れてると思ってた」
「まさか!こっちこそ咲の方が忘れてると思っていたけど…良かったよ。覚えていてくれて」
僕も起き上がると咲の手を取った。
「あ…でも…」
咲の表情が曇った。
「何?」
「地主の茂吉さんが…」
そうだった。僕らと同い年の茂吉はこの村一番の地主でずっと咲に求婚していた。あいつは咲の両親に持参金を沢山渡すから咲を自分の嫁によこせとずっと圧力をかけていたのだ。
「大丈夫、絶対あいつの所に嫁にはやらないよ。僕は茂吉のようにお金持ちじゃないけど、それでも咲の為に頑張って働くよ」
「大和…。ありがとう」
こうして僕らは≪美しが丘≫で夫婦になる誓いを立てた。
****
それから少し時が経った頃、事態は急展開した。戦いに敗れた下級兵士たちが一斉にこの村を襲って来た。今迄平和な暮らしに身を置いていた僕たちにとってはこの襲撃はたまったものでは無かった。
戦いに挑んだ若者達の大半は命を落としてしまったが、何とか僕は大怪我を負ったものの生き延びた。けれども、この村は残党兵士達に制圧されてしまったー。
「いいか、貴様ら!今からこの村は俺たちの物だ!それにお前たちを守っていた腰抜け領主も討ち取ってやったわ!もう貴様らを守る者は誰もおらぬ!」
口髭を生やし、でっぷりと肥え太った武士は僕たちを跪かせ、高笑いした。
「くっそ…!」
幼馴染の弥助が激しく殴られたのか唇から血を流し、怒りに身体を震わせている。
「おい、落ち着け、弥助。今お前が動いても歯が立たない。奴らの隙を狙って体制を立て直す方法を皆で考えるんだ」
僕は小声で必死に弥助に訴えた。
「何言ってるんだ!大和。俺の母ちゃんも父ちゃんも兄妹も皆あいつらに殺された。黙っていられると思うのか!」
僕にはもう両親は戦で死んでしまってこの世にはいなかったけれども、家族を失った辛さは誰よりも分かっているつもりだった。
「くっそ…」
弥助は何とか我慢してくれた。ほっと安堵したのも束の間。
「いや!やめて!離して!!」
聞きなれた声が耳に飛び込んできた。
「殿、見てください。この女、偉く別嬪ですよ」
兵士に手を引きずられるように連れて来られたのは咲だった。
「ほお…これは美しい娘だな…」
言うと咲の手を掴み、自分の方へ引き寄せた。
「喜べ、娘。今日からお前を俺の愛妾にしてやろう。たっぷり可愛がってやるぞ」
「いや!近寄らないで!!」
咲は悲鳴を上げた。
僕の全身の血がカッとなった。弥助の制止も聞かず、隠し持っていた小刀を握りしめると真っすぐ咲を羽交い絞めにしている醜い男に向かって首を狙って思い切り突き刺した。
「グ…な、何だ…貴様…は…」
一瞬の不意を突かれたのか、男はぐらりと倒れた。周りにいる残党兵士達も、村人たちも唖然としていた。ただ、咲だけが僕に抱き着いてきた
「大和!」
泣きじゃくる咲を抱きしめようとした時だった。
「貴様!何てことをしてくれた!」
残党兵達が僕らめがけて走ってきた。
「行こう!咲!」
僕は咲の手を取ると必死で厩舎に向かって走った。そして素早く1頭の馬にまたがると咲を引っ張り上げた。
「はあっ!」
僕は手綱を持つと咲を後ろに乗せて必死で馬を走らせた。その後ろをやはり馬にまたがった兵士達が追って来る。
この村は海に面していた。僕は海まで逃げて、船を使ってこの村を出る計画を馬に乗りながら考えていたが、その時—
「ヒヒーンッ!」
いきなり僕らが乗っている馬が悲鳴を上げ、地面に倒れた。またがっていた僕たちも激しく地面に叩きつけられる。けれどもそこは草地だったお陰か、何とか二人とも無事だった。馬の脚には弓矢が刺さっている。
「貴様…よくも我が殿を殺ってくれたな…」
10数人の残党兵士たちが弓や刀を構えて僕らに迫ってきた。
「死ねえ!!」
1人の兵士が矢を放った。
「危ない!!」
咄嗟に前に出たのが咲だった。
「アウッ…!」
咲は呻いて地面に倒れ込んだ。その胸には矢が深々と刺さっている。
「さ、咲…」
僕は震えながら咲に手を伸ばそうとした時、無数の矢が僕の方に向かって飛んできた。腕や足、胸に矢が刺さる。痛みというよりは熱い。僕の背後は崖で下は海になっていた。矢が飛んできて刺さった衝撃で僕の身体は宙を舞い、そのまま真っ逆さまに海へと落ちて行った。
海の中はとても冷たく、息が出来なくて苦しかった。本来の僕ならこの程度の海、泳げる自信はある。けれども弓矢で撃たれた身体ではとても無理だ。
(咲…。ごめ…)
僕は冷たい海に沈んで、そして死んだ—。
****
次に目が覚めた時は、僕は何故か箱の中にいた。
(あれ?ここはどこだろう?)
しゃべったつもりが、何故か出て来る声はキャンキャンと犬の鳴き声だ。
それに何だか頭もぼんやりとしている。自分が今置かれている状況は気がかりだったが、もうどうでもいいやと思う気持ちになり、ひと眠りする事にした。
どの位眠っていたのか…僕は酷い空腹感で眼が覚めた。どうにかしてこの箱の中から出て、何か食べないと。だけど僕の身長が足りな過ぎて、どうしても出る事が出来ない。
(誰か、僕をここから出して!)
またしても出て来る声はキャンキャンいう鳴き声。
その時だった。
「え…?犬の鳴き声?」
聞き覚えのある懐かしい声が聞こえてきた。
あ…この声は咲だ!咲が生きていたんだ!僕は歓喜した。そして箱の蓋が開いて覗き込む顔は、やっぱり咲だった。
(咲!生きていたんだね!)
それでも出て来る声は犬の鳴き声。
「か…可愛い!まるでぬいぐるみみたい!」
そう言うと、咲は僕を抱き上げて…ん?抱き上げて?おかしい、何かが変だ。そして僕は咲の瞳をじっと見つめた。そこに写る姿は真っ白な子犬の姿だった。
(え…?もしかして、これが今の僕の姿…?)
僕は咲に抱き上げられながら、慌てて周囲を見渡した。そこは僕の全く知らない世界だった。見たことも無い鉄の塊が固い地面の上を物凄い速さで走っている。周りは見知らぬ石造りの建物ばかりで、およそ自然が全く無い世界だった。
そして咲は…今まで見たことも無いような着物を着ている。けれど、とっても似合っていた。
ああ…やっぱり咲は可愛いなあ。
咲は僕を家に連れ帰ってくれた。咲はいつの間にこんなにお金持ちになったのだろう?こんな立派な家に住んでるなんて。そう思っているとお爺さんが部屋から出て来た。誰だろ?見た事も無い人だなあ。
「お爺ちゃん、お願い。この犬飼わせて?」
咲は必死でこのお爺さんに頼んでいる。
「仕方が無いな。可愛い千尋の為に飼ってやるか。よし、お前はオス犬だから、名前はヤマトだ」
僕は2度びっくりした。一つは咲の名前が千尋になっている事。ひょっとするとここは今まで僕がいた世界とは全く違う世界になってしまったのだろうか?
そしてもう一つは、お爺さんが偶然なのか、僕をヤマトと名付けてくれたこと。
ここはすごく平和な世界みたいだ。僕は犬の姿になってしまったけど…咲。い
千尋の側に居られるのならどんな姿だって構わない。
でも、これだけは誓うよ。
何があっても今度こそ必ず君を守って見せるって。
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