ヤマトの章 —4 終わりの始まり

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ヤマトの章 —4 終わりの始まり

 その日の真夜中、何故か僕は見知らぬベッドで寝ていた。一体ここはどこだ?僕はパニックになった。それに身体が思うように動かない。何とかふらつく身体を起こし、周囲を見渡した。あれ…もしかして病院…? 僕はどうやら個室のベッドに寝ていたらしい。ベッドに取り付けられた名札は無記名になっている。辺りを見渡し、そっと病室を出て部屋番号を確認する。502号室…。 ひょっとするとここは本物の間宮渚が入院している病院なのかもしれない。 そう思った僕は、この病院の名前が分かる物が何かないか病室に戻り探してみる事にした。テレビ台の棚の引き出しを開けてみると病院のパンフレットがある。「国立総合病院」とあった。住所は…僕らが住んでいる場所から電車で数駅と割と近い病院だ。  場所は分かったけど、どうしたらまた千尋の元に戻れるのだろう?いっそこのまま病院を抜け出してしまおうか?そもそも僕と間宮渚の身体は一つになってしまったのだろうか?悪い考えだけがグルグル頭を巡る。その時だ。巡回の看護師だろうか、こちらに近づいてくる。僕は慌ててベッドに入ると眠ったフリをした。やがて看護師は僕の部屋のドアを開ける。どうかこの部屋に入って来ませんように。僕は必死で祈った。そして祈りが通じたのか、看護師はライトでグルリと部屋を照らしただけで、すぐに部屋から出て行った。 良かった…。何とかバレずにすんだみたい。それにしてもこんな状況だと言うのに異常な眠気が僕を襲って来た。もう意識を保っているのも難しい。 そして、僕は結局眠ってしまった…。  朝、目覚めるとそこは僕がいつも寝起きしている幸男さんの部屋だった。 もしかしてあれは夢だったのだろうか?でも、やけにリアルな夢だったなあ…。でもこの生活は長くは続かないんじゃないか?僕の本能がそう言ってる。本物の間宮渚はひょっとすると生きようと思っているのかもしれない。もし彼が目を覚ました時…それは恐らく僕がこの世から消滅してしまうのだろう。そんな予感がする。だって元々この身体は彼の物。僕の身体はとっくに死んで無くなってしまったのだから。  だとしたら千尋と過ごすこの時間、一分一秒でも長く側にいたい。だから僕は朝ご飯を食べている時千尋に言った。 「今日、二人で一緒に何処かに出掛けてみたいかな…なんて」 「そうだね、特に何も予定無いから一緒に出掛けようか?」 「本当?今日1日僕に付き合ってくれるの?やった!言ってみるものだね」 千尋がすぐに返事を返してくれたので僕は嬉しくて仕方が無かった。 何処へ出掛ける?って千尋に聞かれたとき、僕には色々行ってみたい場所があったけど、最初のお出かけはもう決めていた。千尋が休みの時、普段どんな過ごし方をしているのかがどうしても知りたかった。こんな単純なお出かけでいいの?千尋は驚いたように言ったけど、僕は十分満足だった。  二人での初めての外出は本当に素晴らしい日となった。まず千尋。普段の服装とは全く違った女の子らしい服装で凄く似合っていた。他のどの女の子達よりもずっと可愛かったなあ。なんせ他の男の人達からも注目を浴びていたしね。でも正直、千尋を僕以外の男の目に晒したくない。だから千尋に言ったんだ。 「僕が側についていないと、悪い男に声をかけられてしまうかもよ。だから…さ。手、繋がない?」 嘘だ、本当はこんなの詭弁だ。ただ僕が千尋と手を繋いで街を歩きたかっただけ。でも千尋は嫌がらずに手を差し出してきた。僕はその手をそっと握る。 うわあ…小さくて柔らかい手だなあ…。千尋を見ると少し耳が赤くなっているのが分かった。そんな千尋を見ていると僕まで照れてしまう。 「何だか…ちょと照れちゃうね」 照れ隠しに言ってみた。千尋はそれじゃやめる?って聞いてきたけど、僕には辞める気なんか全くない。だから、より一層千尋の手を握りしめた。  僕が選んだお店のランチ、千尋すごく喜んでくれた。本屋さんでじっくり選んだ甲斐があったなあ。だからもっと僕を頼ってね。だって僕がここにいる存在理由は千尋なんだから。  楽しいデートが終わって帰り道のスーパー。僕は後どれ位千尋とこうしていられるのだろう。そう思うと何だか切なくなってきた。そんな僕に気が付いたのか、千尋が声をかけて来た。 「どうしたの?渚君。何だか元気が無いように見えるけど」 ああ、やっぱり君は優しいね。僕の落ち込んでる姿に気が付いてくれるなんて。 「うん…。楽しい時間てあっという間に過ぎて行ってしまうんだなと思うと少し寂しい気持ちになってね」 「いつも一緒にいるのに?」 「だけど、いつまでも一緒にいられるとは限らないかもしれないし」 しまった。つい自分の本音を千尋に語ってしまった。 「え…?それは一体どういう意味…?」 途端に千尋の表情が曇る。もしかして僕にいなくならないで欲しいって思ってる?少しは期待持ってもいいのかな? 「千尋、またこんな風に僕と出かける時間を作ってくれる?」 つい僕は期待を持ってしまって千尋を試すようなことを言ってしまった。 「そんなの…いつだって作れるよ。渚君の為なら私…」 え?千尋。その後…僕に何て言おうとしてたの?そんな言い方をされると本当に僕に好意を抱いてくれてるのでは無いかと勘違いしてしまいそうだよ。でも僕が続きを聞く事は無かった。  —来週はクリスマスイブだ。 最近僕の身体の調子がおかしくなってきた。初めてその現象が起こったのは数日前。突然右手に激しい痛みが走り、僕の手首から指先までかけて半透明に透き通り始めた。 「!」 だけど、半透明になったのはほんの一瞬の事で、すぐに元通りに戻った。けれど僕の身体は恐怖に震えた。ああ…とうとう始まったのかと理解した。こうやって徐々に身体が消えてゆき、ついには完全に間宮渚と身体が一体化して僕の魂は消えていくのだろう。嫌だ、消えたくない。だって僕はまだ千尋に肝心な事を聞けていないんだから。  この日の夜、僕と千尋は里中さんと先輩にあたる近藤さんという人と皆で ラーメンを食べに行く事になった。この近藤さんという人はとても気さくなタイプの人で、どうも千尋と里中さんの仲を取り持ってあげようと画策していたみたいだった。でも僕にはそれを反対する事が出来ない。だってもうすぐ消えてしまう僕には千尋を縛り付ける事は出来ないのだから。そしてどういう話の流れか、里中さんも僕たちのクリスマスパーティーに参加する事が決定していた。  クリスマスイブ— ランチを食べに来ていた近藤さんが突然僕に声をかけて来た。 「間宮君、ちょっといいかな?」 「はい、どうかしましたか?」 「実は里中が高熱を出して寝込んでしまったんだ。悪いけど今日のパーティーは欠席させて欲しいって頼まれたんだ」 「え?里中さん、大丈夫なんですか?」 「う~ん。あいつ一人暮らしだし、料理もしないから大変かもな。でもあいつには悪いけど余裕が無くて。今日はこっち、人手が足りないんだよ」 近藤さん、随分困っているようだな。そこで僕は閃いた。 「近藤さん、ちょっとだけ待っててもらえますか?」 僕は厨房の責任者の人に午後から半休を貰えないか聞いてみた。すぐに休みの許可を出してもらう事が出来たので僕は近藤さんの元へと戻った 「近藤さん、僕が代わりに行ってきます。だから里中さんの住所教えてください」  ****  それにしても里中さんの部屋のマンションを開けた時は本当に驚いた。まさか部屋の真ん中で倒れているなんて思いもしなかったよ。でも僕が看病しに来たことを話すと照れ臭そうに僕にお礼を言ってたっけ。…多分彼となら千尋は幸せになれるだろうな。でもそう考えると胸の奥がチリリと痛む。  …結局この日のクリスマスパーティーは中止になった。やっぱり里中さんに悪いからね。…大丈夫だよ。来年もまたやれるんだから…。そう思うと悲しくなるけど。 二人でクリスマスの簡単な料理を作っている時、ちょっとしたトラブルがあった。千尋が棚から取ろうとしたザルが大量に上から落ちて来たからだ。僕は咄嗟に千尋を抱きしめて身を守った。幾つかのザルやボウルが僕に当たったけど、千尋を守れたんだからこれくらい何てことは無い。それよりも一番肝心なのは今、僕の腕の中には千尋がいるって事。千尋に怪我が無いって事が分かり、ほっとした僕は無意識に千尋をますますきつく抱きしめてしまっていた。 「な・渚君…!もう大丈夫だから、は・離して…」 千尋の声にハッとなる。慌てて謝って千尋から離れたけど、暫くは千尋のぬくもりが身体に残っていて胸の鼓動が治まらなかった。  クリスマスイブのささやかなディナーが完成した。パスタにサラダ、そしてチキン。本当はもっと豪華にしたかったけど、時間が無くてこれしか作れなかった。それでも二人で過ごすクリスマスイブはとても幸せだった。僕は事前に買っておいた小さなクリスマスツリーをテーブルの上に置いた。 「ほら、小さいけどクリスマスツリー買って来たよ」 こんな小さなクリスマスツリーだけど、千尋は目をキラキラさせて喜んでくれた。…出来れば来年も使って欲しいな。  僕が消えたら千尋の記憶に僕は残るのだろうか?残って欲しい気持ちと、千尋を悲しませたくないから残って欲しくないという両方の思いが交錯する。 だけど、僕はやっぱり…。  千尋に僕が選んだクリスマスプレゼントを渡した。それは犬の形をしたネックレス。 「千尋は犬が好きなんだよね?だから探して買ってみたんだ」 白々しい事を言ってると思う。犬が好きだから選んだって言うのは本当だけど、一番の理由は僕が「ヤマト」として千尋と共に過ごした時をずっと忘れないでいて欲しいという思いからこれを選んだんだから。でも千尋は凄く喜んでくれた。僕は千尋の背後に周りネックレスを付ける。千尋のほっそりとした首筋にドキリとし、緊張しながら付けてあげた。 「良く似合ってるよ、千尋。すごく綺麗だよ」 思わず言葉にしてしまった。 「あ・ありがとう」 千尋は真っ赤になって照れている。僕は背後から千尋を抱きしめたい衝動にかられたけど、ぐっと我慢した。  千尋からのクリスマスプレゼントは手編みのマフラー。 まさか千尋からこんな素敵なプレゼントを貰えるなんて夢にも思わなかった。 お店の休憩時間中に毎日少しずつ編んでくれてたと言う話を聞かされると泣きたくなるくらい幸せを感じた。僕の一生の宝物にすると言った言葉を、千尋はおおげさだって言ったけど決してそんな事はない。だって千尋の心のこもったプレゼントなんだから。 「僕がどれほど今幸せか…言葉では言い表せない位だよ。ありがとう、千尋」 今なら言える。この瞬間例え僕が消えてしまったとしても本当に幸せだったって―。
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