1171人が本棚に入れています
本棚に追加
と、奥から男の声がした。
「チッ、なんだよ朝っぱらから、うるせえなあ。新聞なら取らねえ、つってんだろうがよ」
朝ではない、昼過ぎだ。
そして私は、新聞屋ではない。
いや、そんなことはどうでもいい。
パニックを起こしかけた私の前に、声の主が現れる。
「ホ、ホームレス!?」
思わず、声に出してしまう。
着ている物といえば、よれよれのスエットに、首の伸びきったティーシャツ。
咥え煙草で、寝癖が激しいボサボサの髪。
片方だけのイヤホンからは、競馬中継らしい音が流れている。
まずい、無人の家を堂々と占拠しているホームレスなんて、危険極まりない。
貞操の危機を感じた私は、くるりと踵を返し走り出そうとして――。
「……ん?」
待って……あの長い前髪の下に見えた、切れ長の目。それから不機嫌に歪んではいたけど、薄く形のよい大きな唇。
まさか……いや、そんなはずはないのだけど。
恐る恐る、振り返る。
と、今度は男が踵を返し奥に駆け込んだ。
「え、え、え、えええええっ!?」
パニック、大パニックだった。
間違いない、あの顔は……嫌、でも世の中にはドッペルゲンガーってヤツもいるらしいし。
けど、だったらどうして逃げ出すのよ。
ああそうか、不法占拠がバレたから!?
玄関先で、悶えること数分。
「やあ、谷川さん」
あの男……いや、二階堂部長が戻ってきた。
真っ白なポロシャツに、糊のきいたチノパン。
髪はいつもの様に、清潔にかき上げられている。
どこかからどう見ても、企画部の至宝、二階堂類だ。
「どうしたんだい、そんな顔をして。ああ、そうか……白昼夢でも見たんだね、ハッハッハ!」
腰に手をあて、白々しく笑う。
その態度に確信した。
さっきのホームレスは、二階堂部長だったんだ――って。
最初のコメントを投稿しよう!