どうして銀行強盗に

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 もう少し夫の稼ぎがよければ。女は漏らしそうになった舌打ちを噛み潰した。 「おい、そこの男。てめえもだよ!」 「はっ、はい。すみません」  彼女の横に座る男に、覆面を付けた男が拳銃を向けた。まるでドラマかもしくは夢の一場面。だが、ピリリと張り詰めた雰囲気を痛いほどに感じている自分を認識して、どうやらこれは現実だろうと思う。銀行強盗。そのまっただ中に偶然にも女は居合わせてしまった。  強盗が声を荒げてカウンターの銀行員に金を持ってくるように迫る。若い彼女もまた、映画でしか見ない凶器を向けられ半べそで奥へ消えた。  もう少しだけあなたの稼ぎがよければ、銀行になど来なかったのに。少なくとも今この場よりは安全な環境で仕事をしているであろう伴侶に悪態をついた。  彼女が結婚に求めていたのは愛ではなく高水準で安定した生活。そんな彼女にとって、友人に紹介された男性――現在の夫――はその理想に見事適合していた。地方分店とはいえ、全国系のテレビCMが作られ、それに売れっ子か大御所の役者を使うほどには名の知れた企業勤めらしい。決して逃すまいと唾を付け、短い交際の後に婚約。数年前のことである。華々しい玉の輿を実現したかに思えた。  しかし結婚以後、夫は女の財産を束縛するようになった。  これにはひどく幻滅した。つまるところ夫はケチだったのである。結婚前に見せた羽振りの良さは、吝嗇家の面をひた隠し女の気を引くための虚勢だった。家族になってから気を張るのがつらくなったのか、もういいやとばかりに彼女に倹約を命じている。    手に入ると思っていた豊かな生活とはかけ離れているとまで行かないにしても不十分だった。肩すかしをくらった気分の女は次第に自由に使える金が欲しくなり、不本意ながら習い事の指導者を始めた。学生時代の経験を生かして週に何度か子ども達に技術を施す。よくあるスポーツクラブ的なものだが意外に月額がおいしい。専用の口座を設け、月々の収入をそこに振り込んで貰っていた。  週末に友人とランチに行く約束をしたためお金を下ろそうと銀行に立ち寄ろうとしたらこれだ。 (まさか銀行強盗なんて……)  夫を恨んでも無意味ということに彼女は気づいていない。性分として人になすりつける癖が付いてしまっている。ぐちぐちと鬱憤が溜まっていた。 「持ってきました…」  カウンターの方から震える声がした。銀行員二名が両手一杯に紙幣を抱えている。 「まだ入るだろうが、もっと持って来いよ!」    当事者だというのにどこか俯瞰していた女は欲張りだなあと感じる。今持ってきたものだけでも億はあるだろうに。 (いくら持ってくのかしら)  そもそもこの銀行にはいくら預金があるのだろう。仮にこの強盗が成功したとして、覆面どもが逃げおおせたとして――。 (あれ?私のお金に影響が出たりする?)  怖気に近い清涼感が頭を掠め、長いまどろみから覚めたように目を見開く。 冗談じゃない。なんで赤の他人に私が稼いだ金を奪われなくてはならないのだ。金の事になると俄然毛色が変わってくる。 (許さないわ、強盗ども)  金という偉大で罪深い発明は、今日も一人の人間を狂わせるのだった。
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