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「いってえええ…」
女の後方、化粧室マーク下の通路から仲間の声がした。
「あの男、何かしやが――」
銃は向けられたままだったが、わずかに警戒が緩んだ。今しかない。女は右足を踏みしめると同時に左膝を突き上げる。
「ふんッ!」
重いしなりから開放された竹を思わす速度だった。夫の金で買ったブランドの靴で男の手首を蹴り上げる。固い爪先に弾かれた痛みと勢いで拳銃は宙に舞った。かつんと音を立ててやや後ろ、頭に手を当てて震える少年の前に落ちた。
強盗は一瞬困惑したが、あのハンドガンは唯一の得物。それを手放すことは、客の抑止を継続できないことと同義。拾い上げようと急いで振り返る。
「そこの君、銃を拾って!」
「え?え?」
少年は姿勢を変えずにただただ狼狽していた。
「早く!」
女に急かされ、反射的に銃を拾い上げる。人を殺せる道具の重みを胸に抱え、少年の体はさらに震えた。
「ぐっ……」
万事休す。あれがなくてはもう強盗はただの人。トイレにいった相棒も戻ってこない。
「ち、畜生ぉおおっ!」
こうなったのも全て女のせいだ。強盗の怒りの矛先と振り上げた拳は女に向く。しかしその大振りの姿勢は女にとって打ってくださいと言っているようなものだった。
「はあ!」
気合一閃。吼えた声と同時に拳を打ち込んだ。疾手の一撃はみぞおちに突き刺さり、立つ力さえ奪い去る。膝を突きばたりと横に倒れる強盗。目出し帽からは白目が覗いていた。
「これでも空手教室の先生やってるのよ」
勝ち誇るように言った。
喝采が起こる銀行内で、少年は銃を手にしたまま呆然とした。
「かっこいいなあ……」
強盗を打ち倒した女性を見て率直な感想を述べた。まさしく少年がなりたい理想の人。
同じく胸に押し寄せるのは、今回も何もできなかった屈辱だ。心のどこかで、この状況をチャンスと捉えていた自分がいたことに気づく。意気地のない自分を変える機会が訪れたと。しかし、またそれをフイにしてしまった。今後そのようなタイミングが訪れるだろうか。
少年は、手に残った武力の象徴のような道具をぎゅっと握りしめた。
(ん……?)
女性の奥、薄暗い通路から男が顔を覗かせているのに少年は気づいた。顔が濡れ、目が血走っている。ダウンジャケットと肥えた腹。間違いない、目出し帽をかぶっていないが、トイレに行く男に付き添った強盗だ。
周囲はヒーローの女性に注目している。気づいているのは自分だけ。きっとこのままでは終わらない。何か仕掛けてくる。
「おばさん伏せて!」
気づけば手元の拳銃を構えていた。少年の人生において初めて、憂慮よりも行動が先行した。
(今ここで、勇気を出さなきゃ!)
自分にしかできない。その状況が少年を奮い立たせた。今この場で動かずしてどうするのか。求めていたあと少しだけの勇気、憧れていたかつての自分に、やっと報いることができる。
「うあああああああ!」
奥の強盗に向けて引き金を引いた。
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