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もう少しだけ早く来ていれば。男の頭にあるのはそれだけだった。
「動くんじゃねえ!立ってる奴は座って、手を頭の後ろにしろ!」
地方都市の一角、どこにでもある小規模の銀行内に充満する張り詰めた空気を怒号が割る。待合の椅子に座る男の左側前方に黒い覆面をつけた二人の男。右手には拳銃、左手にはボストンバッグと、一見して目的は察せられる風体だ。
もう少しだけ早く来ていれば、銀行強盗になんて遭わずに済んだのに。
人生でも指折りの窮地において、後悔ばかりが募る。
「おいそこの男、てめえもだよ!」
「はっ、はい。すみません」
手を後ろに、という命令に従い忘れた彼に対し、強盗が銃を向ける。黒く塗りたくられた銃身よりもさらに深く暗い銃口は、まるで怪物が奥から覗いているような恐ろしさがあった。すぐさま指を絡めて頭の後ろにあてがう。
銀行はどさりとわざとらしく音を立ててボストンバッグをカウンターに起き、「入るだけ詰めろ」と女性銀行員を銃で脅す。
怪物がいなくなると、男の頭は再び後悔で一杯になった。
(そもそも今日有給なんてとらなけりゃなあ……)
勤め先の会社で有給の失効期限が迫っていた。普段も消費することはなく、もとよりあってもなくてもいいと考えていたが、せっかく気づいたのに休みが失われるのは勿体ない。使いたい旨を上司に揉み手で伝えたところ意外にも許可が下り、数日前男は金が下りる休日を獲得した。
しかし、特に予定もなければ時間を投じるような趣味もない彼は、その日の半分を結局無為に消費していた。起きたのは正午過ぎ。そこからスマホの画面と向き合い、二時間ほどして空腹に駆られ布団から這い出た。ラーメン屋にでも繰り出すかと財布を覗けば小銭のみ。昼食代もかねて今月の生活費を下ろそうと銀行に寄って今に至る。
(もっと早く起きてりゃなあ。昨夜アニメの一気観なんてやめときゃよかった)
せっかくの休みだというのに銃を持った男に拘束される結果になるとは泣けてくる。しかし、銃がこちらに向いていないと生命の危機が遠ざかったようでどこか気が大きくなり、周囲を観察することができた。
(腹減った。にしてもこいつらよく二人で強盗しようと思ったな)
男が訪れた銀行はかなり小さい所だったが、それにしても2名というのは心許ないように思える。銀行強盗など警察に包囲されてしまえば少なくとも逃走は不可能。2名では客を完全にコントロールするのは難しいだろうとも感じた。
(それとも警察上等で、ここに来る前に撤収しようって魂胆か?)
「おい、早く金もってこいよ!サツが来ちまうだろうが!」
(そうみたい)
次第に男の中にあった自戒の念は徐々に怒りに変わってくる。なんでこんな理不尽な目に、その言葉が膨れ上がり今にも悪態となって口から出そうだった。同時に増長し普段の自分なら決して至らない思考が開かれる。
(腹立ってきた、逃げちまうか。あとラーメン食いたいし)
男の腹は決まった。ここから抜け駆けで逃げ出してやる。他の客など知ったことかと。
不条理への怒りが男の薄い闘争心に火を付けた。
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