ひざ枕

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「ハァ…ハァ…」  辛く息をしながら急な坂を登って行く。いつもの事なのだが、今日は特にきつい。きつくて止まりたくなるのだが、止まったら止まったでさらにきつくなりそうで、その選択肢は既に除外した。  片足に手を付きながら軸足をおさえつけるにして何とか前へと進む。ようやく頂上へ着くと冷たい空気が一気に全身へと吹き付ける。少し汗をかいた後なので、一瞬心地良く感じるがすぐに寒くなり辛くなる。  そのうえ息も未だに苦しく、何だか地面に寝転がりたくなる。だが、すぐに下のアスファルトがとてつもなく冷たいことを容易に想像し、そんな考えは風のように消え去る。少し息が楽になったところでまた歩き出し、家路へと向かう。  バイトの夜勤明けで眠気が来た。バイトの夜勤だと言うのにそれ程寝ずに家を出たから、今まで襲って来なかったのが不思議なくらいだ。眠くて寒い中、まだ家までかなり歩かなくてはならない。今になって寝ていなかったことを後悔し出すが、どうせまた同じことを夜勤の日にするだろう。いちいち後のことを考えて行動するような真面目な人間ではない事は、19年生きて来てよく分かっている。  それにしても眠い。ここまで外で眠くなったのは初めてかもしれない。もう耐えられなくなって、歩きながら目を閉じる。一気に楽になって最高の気分だ。このままずっと目を閉じていたいが、何かにぶつかりそうで怖くて自然と目が開く。開いてすぐは眠気が消えているのだが、すぐにまた、まぶたが閉じかける。同じことをまた繰り返すのだが、やはり眠気は消え去らない。  もう限界で、歩くのにも疲れ、途中にある小さな公園に寄る。足が疲れ、思わず入口にある鉄のポールに手をつくが、冷た過ぎてすぐに手を離す。それでも冷たい感触は消えず、空気も冷たくて、すぐに服のポッケに詰め込む。  少し温かくて何だかまた眠くなって来る。木のベンチに倒れるように座り込む。下が冷たくてきつ過ぎる。でもまた立ち上がる気力なんてなくて、寝転がるように腰掛ける。背中も冷たいがやはり動く気にはなれない。   「アーー」  何だか楽になり、思わず声が出る。 「大丈夫ですか?」  横から声がし、思わず体制を戻す。横に目をやると、制服を着た女子高生らしき人物がカバーのかかった本を手に一つ横のベンチに座っている。さっきから全く気が付かなかった。眠くて下ばかり見ていたせいか。 「ごめんなさい!」  俺は思わずそう口にした。何を謝っているかなんてよく分かっていなかったが、とにかくそう言わなければならないような気がして、頭を下げていた。  何も返しがなく、どんな風に反応しているか気になり、顔を上げる。彼女は首をかしげ不思議そうな顔をしている。そりゃそうだ。今になって自分の行動がおかしいと感じ始める。 「ごめん」  それで今度は少し自然な感じでその言葉を口にする。 「うん」  すると今度は少し微笑みながらゆっくり頷いてそう言った。 「で大丈夫なの?」  何も言えないでいると彼女がそう聞いてきた。 「あ、うん。疲れてただけ」 「そうなんだ。なんか顔つき辛そうだね」 「眠くて。バイトの夜勤明けなの」 「へーそうなんだ」  この状況は意味が分からないが意外と会話は自然と繋がった。すると、ふと疑問が出てきた。 「今って朝だよね。何で制服なの?」  今日は日曜だった。そんな日のこんな時間に制服で公園のベンチに座っているだなんて、よく考えたら変だ。   「部活あるんだけど、ちょっと早く家出過ぎて本読んでるの」 「寒くないの?」 「寒いけど、ここで本読むの好きなんだ」    彼女は笑いながらそう言っていて、本当に好きなんだと分かった。  急に前に倒れそうになった。すぐに元の姿勢に戻ったが、まぶたが閉じかける。忘れていた眠気だと自覚した。眠気を意識したとたん、急に体が定まらなくなり、手をベンチの下の木と木の間に差し込んで体を支える。 「大丈夫?」    意識から消えていた彼女の声が横から聞こえる。 「うん。ちょっと眠いだけ」  顔を横にやり、そう答える。目が開かず視界が細くなっている。 「ちょっと横になったら?」  そんな自分を見て、彼女はそう言った。その言葉に何か返す前に体はその通り動いていた。ベンチの端から端に上半身を預けて、足はベンチの真下の地面に折ってつま先で支える。目を閉じると、本当にそのまま眠ってしまいそうな程気持ちよかった。 「頭冷たくて寒くない?」   目を閉じて何も見えていないが、彼女の声が聞こえた。   「うん、冷たい」  目を閉じたまま、消えてしまいそうな声でゆっくりとそう答えた。  「頭乗せる?膝に」     今にも眠ってしまいそうなところにその言葉が聞こえて来て、少し意味を考えてから驚いてすぐに起き上がり、彼女の方を向いた。彼女は恥ずかしそうに笑っていた。 「いいの?」    俺はそう咄嗟に聞いていた。何だか性欲よりも睡眠欲から来た言葉のような気がした。 「うん」    彼女は照れたように笑いながら小さく頷いた。俺は恐る恐るゆっくりと彼女のベンチの端に座った。 「するよ?」    彼女の方を向いて背中を丸くしながらもう一度そう聞いた。 「うん」  恥ずかしそうに再び彼女は頷いた。  それを見て、俺はゆっくりと彼女に背を向けて慎重に横になる。少し首を横に回すと彼女がベンチの端に移動してくれているのが見えた。彼女がいる位置を目に入れながら体を倒す。髪が彼女のスカートに触れたのが分かった。ゆっくりと頭を彼女が閉じてくれた足の間に乗せる。程よく柔らかくて程よく硬い、感じたことのない感触が頭をとおる。頭を上げただけでさっきのとは比べ物にならない程、いい寝心地だった。頭の下が温かくて何だか全身が暖かかった。ふと、彼女がどんな顔をしているのか気になったが、もう目を開ける気になんてなれず、そのまま深い眠りへとおちてしまった。    気がつくとベンチに腰掛けていた。さっきまでのことが現実ではない事にすぐに気がついた。だが、それが目を閉じて考えた妄想なのか、はたまた夢なのか。どちらなのか、俺にはさっぱり分からなかった。
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