真の優しさ

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「家に帰る途中、道に迷ってしまいました。女独り故、心細く身の危険を感じ、困っている次第でございます。どうか一晩お泊めくださいまし」  お菊がこう懇願したのは十五軒目だった。これまで断られ続けていたのだ。町家も武家も農家も手当たり次第に当たっても。独り者の所でも夫婦の所でも。それだけ男に嫌わられ恐れられる程おどろおどろしい醜女だった。中にはおめえみたいなおなごを襲う物好きな野郎がいたらお目にかかりてえもんだと言う男までいた。しかし田吾作は違った。とても優しく請じ入れた。  いやに冷える晩で田吾作はお菊と囲炉裏を囲みながら体の芯まで温まるようにお菊の為に飯を炊き、粥まで作ってやった。 「さあ、あったまるで召し上がるだべ」 「誠に忝く存じます」お菊は涙して有難く食べた。  恐ろしく醜いが、言葉遣いも仕草も上品で気高い雰囲気さえ感じられる。田吾作は不思議になって訊いた。 「おめえさんは百姓女と違うだべか?」 「いえ」 「じゃあ百姓女だべか?」 「いえ」 「じゃあ何だべ?」 「それは言えませぬ」 「何でだべ?」 「それはお聞きにならないでくださいまし」 「ふ~ん」何でだべ?と田吾作は益々不思議になった。  お菊は食べ終えると、「お陰で心身ともに温まり空腹まで凌げました。何とお礼を言っていいやら」 「うん、うん、良かった」と田吾作は返礼なぞ求めず只々喜ぶのだった。  敷布団も掛け布団も枕も一つしかないので田吾作は枕をお菊に貸してやってお菊と一緒に寝ることになったが、二人の間には何も起こらず無事、夜が明けた。  田吾作はお菊と同時に目が覚めると、二人分の朝飯の支度をした。それを見ながらお菊はなんてお優しい方なんでしょうと感心し、これならと希望が湧いて来た。  朝食を取る中、お菊は言った。 「実はわたくし、宿無しで帰る所がございません」 「そうだべか。それは気の毒に。何で宿無しになったべか?」 「それはお聞きにならないでくださいまし」 「またそれだべか」 「わたくし、どうすれば良いのでしょう?」 「構うことはねえだべ。おらの家に住むだ」 「えっ、ほんとに宜しいのでございますか?」 「うんだ。その為に今迄の倍働くだ」  この人は仏様?とお菊は一掬の涙を落としながら思った。    それから一月が過ぎようとした或る日の事、田吾作が田んぼに出て留守の時、それはそれは美しい女がお菊を訪ねて来た。 「わしは時に千里眼で以て遥か遠くを望んでお前の様子を窺っておったが、わしは毎日驚いておった。わしの負けじゃ。わしの息子の金太郎がおっかあが綺麗になったと喜んでおったが、しょうがない、約束じゃ。姿を変えよう」  まるで姿には似つかわしくない言葉で妙なことを言ったかと思うと、摩訶不思議なことに二人の姿がぱっと入れ替わってしまった。  実は美女は山姥だったのだが、一月前、山姥はお菊とお菊の父の浪人が住まう長屋を襲撃し、家を潰した上、浪人を食い殺し、お菊だけを生かし、その代わりお菊の美貌を手に入れようと妖術で姿を着物ごと入れ替えたのだ。 「それだけ醜いと人間は誰も助けてくれないに決まっておる。お前は真の人の優しさに触れない限り元の姿に戻れない。真の優しさを勝ち取る為に同情を買おうとわしに襲われ、姿を変えられたことを一切口に出してはならんぞ!その上で真の優しさを勝ち取るのじゃ!到底不可能なことじゃがな。ハッハッハ!しかし、万が一、真の優しさを勝ち取ったならば山姥の掟だ。一月後に姿を変えにお前の下を訪れよう」こう約束したのだった。  夕暮れ時、仕事を終えて帰って来た田吾作は、いつもの通り引き戸の前で今帰ったべ、只今!と言った。すると、「は~い」といつも通り愛らしい返事をして引き戸を開けたお菊を見てびっくり仰天した。 「お帰りなさいまし」 「だ、誰だベ、おめえさんは?」 「菊でございますよ。ほほほ」お菊は花顔で上品に笑ったのだった。それから斯く斯く然々と今迄の経緯を話した。で、父が浪人に成り下がる前、お菊が武家育ちだったことも知った田吾作は、納得して言った。 「それで訳が分かっただべ。ほんだら、おめえ様はお嬢様だったんだべな」 「それは昔の話です。わたくし、今直ぐあなた様のお嫁さんになりたく存じます」 「な、何だって!本気だべか?!」 「はい。あなた様の類稀なる優しさに惚れこんだのでございます」 「そんただこと、おめえ様みたいな別嬪に言われたら、おら照れるだべ」  功徳であろう、田吾作は勿論、この上なく喜んでお菊を娶ることになったとさ。めでたしめでたし。        
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