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「私が行くわ」
周りの返事を待たずに、グレーゴル・ザムザに近づいた。
ザムザは壁に身体をくっつけるように座り込んでいる。
私を見る目に怯えが見え隠れしている。
距離をつめすぎないように注意して、少しだけ離れた場所に屈んだ。
「私のこと覚えている?」
ザムザは一度、うなずいた。
「逃げようとしたの?」
今度は首を横にふる。
それから何かを言いかけて口をつぐんだ。
「家族に会いたかったの?」
もしかしたら、ザムザは自分が死んだあとに家族がどうしているのか知りたかったのかもしれない。
案の定、ザムザはうなずいた。
「そう……」
本当のことを言うことは簡単だ。
あなたが亡くなって、あなたの家族は心から安堵したのだ、と。
それを言える?
彼の戻るべき場所は本の中だ。
居場所はそこにしかない。
逃げたとしてもこうして捕まる。
私がザムザの立場なら、結末を知ったら絶望するかもしれない。
まさか?!
「最後まで自分で読んだの?」
ザムザは薄く微笑んだ。
その瞬間、いてもたってもいられなくて私は彼に抱きついた。
背後がざわめく。
悲鳴も聞こえた。
岩ノ下さんかもしれない。
「大丈夫。大丈夫だから」
言っていて、自分でも何が大丈夫なのかわからなかった。
ただ同じ言葉が口から出る。
大丈夫、と。
それはザムザに向けて言っているようで違うのかもしれない。
私の腕の中でザムザは大人しくしている。
「やっぱり、私にはあなたが毒虫には見えないや」
私にはグレーゴル・ザムザが〝人間〟に見えていた。
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