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もう一度呼ぶ。「お義母さん、聞こえますか」返事はない。姑と折が合わなくても、長年一緒に暮らしてきた家族だ。沙織は通勤鞄から携帯電話を取り出し、一一九をダイヤルした。
結果として信子は助からなかった。沙織が帰ってくる二時間前には既に亡くなっていたと救急隊から淡々と告げられた。夫の陽太を喪主に家族葬と呼ばれる簡易な葬式で信子を見送った。信子が生前長く過ごした一階の和室には、真二郎と信子の仏壇が置いてある。スーパーの袋にある食材を冷蔵庫に整理しようと思っていた沙織の手が止まった。先に「ただいま」を言わねば。
仏壇に手を合わせる。「お義父さん、お義母さん、ただいま帰りました」と小さく呟く。もちろん義両親の返事はない。生前の信子はぶすっとした顔で「おかえり」くらいは言ってくれたものだが。そんな日々すらも何だか愛おしくなる。生前は愛想がない信子に苛立ちすら覚えたが、信子の姿がないとそれはそれで寂しい気もする。沙織は一人、信子の姿を思い返すように、仏壇周りを見渡すとため息を付いて立ち上がる。
洗濯物を取り込んで、お風呂掃除をしてから晩飯の準備に取り掛かろう。そう思って立ち上がった瞬間、足元に違和感を覚えた。柔らかいような、固いような【何か】を踏んだ。何だか生暖かい。そして【何か】を踏んだ瞬間「みぎゃ」という人間ではない何かの声がした。
「え?」
【何か】は沙織の足元から激しく飛び上がり、近くの壁にぶつかると、サッカーボールが跳ね返るように、再び沙織の足元に戻ってきた。それは先程、玄関前で腹を出して寝ていた三毛猫だった。
「え? 何で……」悲鳴に近い声が漏れる。転がるように玄関に向かうと、しっかりと鍵は閉まっている。沙織が玄関の扉を開け放しにしていたのなら、三毛猫が入ってきたのも分かるが、扉はしっかりと閉まっている。ではこの三毛猫はどこから入ってきたのだろうか。
「気味悪……」思わず沙織が口にすると、三毛猫はその顔を沙織に向けた。何とも愛想のない猫である。安直に言えば可愛くない。前足や後足、胴体の全てにおいてずんぐりとしていて太い。散漫な動きを見てこう呟かずにはいられなかった。
「……お義母さん、ですか」と。その三毛猫は亡くなった信子を連想させる容姿だった。そして三毛猫は沙織の問いを肯定するかのように鼻をフンと鳴らした。
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