姑には永遠に勝てない

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2  三宅沙織は児童養護施設で育った。幼稚園の時に父親を交通事故で亡くし、生活に困窮した母が沙織を児童養護施設に預けた。ある程度生活が安定したら迎えに来るはずだったが、その母も過労で命を落とした。高校卒業後に就職が決まり、そのまま児童養護施設を出た。  その就職先で知り合ったのが夫の陽太である。沙織は食品スーパーの経理部門で働いており、一つ年下の陽太はまだ高校生でアルバイトだった。陽太はレジ部門で平日の夕方と土曜日の昼間だけ働いていた。経理部門の沙織とは業務で一緒になることはなかったものの、沙織の帰宅時間と陽太の業務開始時間が近くなる日には、よく廊下ですれ違った。「お疲れ様です」と元気に挨拶する姿が印象的だった。多くの高校生アルバイトはあまり挨拶を積極的に行わない。その中でもすれ違う人誰に対してもぺこりと丁寧に頭を下げていく。沙織に対しても同じだった。  沙織の旧姓は「新垣」という。陽太は沙織の名前も覚えており「新垣さん、お疲れ様です」と名前で挨拶をすることもあった。必然的に沙織も陽太の名前を覚えた。廊下に他の人がいないと「いつも元気だね」と軽い挨拶を交わすようになっていた。聞けば陽太は中学三年生までバレーボール部だったと教えてくれた。挨拶の徹底ぶりは先輩や先生によるものだった。そこから徐々に親密度を高めていった。  ある日突然、陽太から告白された。「年下ですけど、好きな人がいなければ付き合ってくれませんか」と普通の告白だったが、そのストレートさに沙織の心は撃ち抜かれた。  そして沙織が施設育ちであってもまったく気にしない、そんな陽太の大らかで純粋な性格にも惹かれていた。更に沙織と陽太の恋を応援するように良い知らせが舞い込んできた。沙織と陽太が働くスーパーの店長から、陽太を卒業後に正社員として迎えたいと打診があった。陽太は「沙織さんと正社員で働けるなんて」と、正社員の話よりもそっちの方に喜んでいた。  その話さえなければ陽太は地元の大学へ進学していただろう。しかしこれといって勉強したいこともなかったので、店長が歓迎してくれるならと陽太は正社員の道を選んだ。  そして五年後、陽太は沙織にプロポーズをした。この頃、スーパーはファミレスや居酒屋、弁当屋へと展開を広げており、陽太は本部で総務としての異動を命じられた時期だった。沙織に断る理由などない。  陽太の手を取り「ありがとう」とそれだけ言うのが精いっぱいだった。ごく一般的な馴れ初めだが、沙織にとって陽太はなくてはならない存在となっていた。陽太は沙織を実家へと招待した。施設育ちの沙織には両親はいない。連絡を取り合うような親族もいない。結婚式はチャペルで挙式と写真だけの簡素なものにしようと話し合っていた。その話も兼ねて沙織は陽太の実家を訪れた。 陽太が働くスーパーの本部から二駅離れただけの場所に実家があった。住宅街に佇むごく一般的な二階建てで、陽太は両親と三人で暮らしていた。 「お邪魔します」と失礼のないように実家に足を踏み入れる。陽太の父・真二郎は朗らかな笑顔で迎えてくれた。そして母の信子は迎えに来ず、リビングで気難しい顔でテレビをじっと見ていた。  テレビから流れるバラエティ番組の笑い声と信子の眉間に刻まれた皺がちぐはぐな印象だったのを今でも忘れない。
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