姑には永遠に勝てない

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 亜里沙を妊娠中に分かったことだが、真二郎も信子も大阪生まれの大阪育ちである。真二郎の会社の転勤と同時に東京に越してきた。陽太がまだ小学校に上がる前だったので、陽太自身が大阪弁を使うことはほとんどなかった。東京で暮らした時間の方が圧倒的に長い。真二郎も東京の会社で過ごす内に大阪弁を使うことはほとんどなくなった。完全に標準語に慣れてしまったと笑いながら話してくれたことがあった。しかし家族の中でただ一人だけ、信子は時たま大阪弁が出てしまうことがあった。しかも真二郎や陽太と本心で話す時だけ。つまり気の許せる間柄であれば大阪弁が自然に出てしまうという。  地方から都会に引っ越した人が帰省した時だけ、地方の言葉が自然と出てしまう。そういった感覚のようだった。信子の孫の亜里沙、そして沙織に大阪弁で話すことはない。沙織と信子、陽太が家にいる時、何かの用事で沙織だけ席を外した。数分して戻った時、リビングから楽しそうな大阪弁が聞こえてきたのだ。リビングの扉を隔てて沙織は立ち止まり、その会話に耳を傾けた。信子が大阪弁で話すのを聞くのはこれが初めてだった。「なんでやねん」「せやな」「ほな」と軽快な大阪弁が信子の口から吐き出される。    信子が自分に心を開いていないのは分かっていた。しかしここまでとは思っていなかった。信子と沙織の間には「言葉の壁」がある。それでもいつかは分かり合えるのではないか。同じ女同士、どこかで意見が重なる日が来るだろうと思っていた。それなのに、沙織の前では頑なに大阪弁を使おうとしないのが答えだった。何でいつかは分かり合えると思っていたのだろう。信子に対してではなく、かすかな希望を抱いていた自分に絶望した。  そこからは感情を封じ込めるようにして三宅の家で過ごした。沙織がどう生きようと世界は回る。あっという間に時は流れて、沙織が四十五歳を迎えた冬の日。信子は自宅で独り亡くなった。悲しくないわけではないが、安堵感の方が勝っていた。これで親子三人水入らずで過ごせる、そんな思いもあった。  しかし親子三人水入らずでという程、娘の亜里沙は幼くなかった。気が付けば春に専門学校生になっていた。今更家族旅行でもと提案した所でうっとうしがられるだけだろう。陽太もすっかり中年と化している。部屋着のズボンには腹の肉が乗り、白髪も出始めている。そんな陽太にときめきを感じるはずもない。  つまり義両親が亡くなったとしても沙織の平坦な生活は変わらないのである。  そしてこれからもずっと。
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