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沙織がパート先から帰ると、玄関の前に一匹の三毛猫がいた。お行儀よく座っているだけなら「可愛い」とも思えるのだが、なぜか腹を空に向ける形でだらしなく寝ている。気持ちよさそうに寝ているのでそっとしておきたいが、この三毛猫がどいてくれないと沙織が家の中に入れない。人間が近付いたらパッと目を開けて逃げていくかなと思ったが、沙織が近付いても目を覚ます気配すらない。仕方がないので両手にぶら下げていたスーパーの袋を足元に置き、三毛猫をどかそうと手で押した。玄関扉から見て右側に移動させる形でぐいと押す。ちょっと重い。三毛猫の身体は動いたが、やはり目は覚まさない。「もしや死んでるのでは」と思ったが、腹の和毛が上下に動く様を見ていると死んでいるようには見えない。沙織が三毛猫を押し出すと、背中が地面に擦れて痛いと思うのだが……。まぁでも三毛猫が右に動いたので(正確には沙織が押し出した)これで家の中に入れる。足元に置いたスーパーの袋を再び持ち上げると、沙織は鍵を開けて家の中に入った。
「はぁ、今日も疲れた……」誰もいないリビングで独りごちる。時間は夕方の五時前。夫の陽太はファミレスや居酒屋を全国展開する会社の総務部門で課長を勤めている。一人娘の亜里沙は今年専門学校に進学したばかりである。活発とは対照的な大人しい娘だが、それなりに真面目に育ってくれたので親としては過干渉せずにいる。
そして家族はもう一人……つい三か月程前まで同居していた義母が、いた。義母の信子はくも膜下出血であっけなくこの世を去った。まだ七十五歳だった。信子の夫である真二郎は既に他界しており、信子は年金と真二郎の遺産で悠々自適に暮らしていた。沙織は信子と折があまり合わなかった。だから悠々自適に暮らす信子と一日中自宅で顔を合わすのはごめんだと思い、長い間事務員としてパート勤めをしていたのだ。沙織はパートが終わると帰り道の途中にあるスーパーで晩飯の食材を購入して帰宅するのが日課だった。
信子が亡くなった日も、いつものようにパート勤めをして、スーパーに寄り、五時前に帰宅した。ちょうど今ぐらいの時間だっただろうか。あの時はまだ冬だったから、外は既に薄暗くなっていたと記憶している。あの時のことは今でも覚えている。玄関を開けてリビングに入るとすぐ異変に気付いた。信子がリビングの床の上で、うつ伏せで倒れていたのだ。沙織はすぐに信子に駆け寄り「お義母さん」と声を掛けた。こういう時は揺らさない方が良いと分かっていたので、極力揺らさないように信子の体に手を掛けた。自分の手が震えているのは、寒さのせいだけではない。
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