尾道スロウレイン

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結局、俺はその日のうちにキョウジュのお袋さんに連れられる格好で「千光寺山荘別館」の敷居をまたいだ。  リフォームこそされているが、油絵の具のトウの立った匂いをクロワッサンが焼ける香ばしい匂いが包み込む。パリかニースあたりの老画家のアトリエに迷い込んだ感覚。  とても懐かしい。  残念ながら、ばあやのおさきさんは一昨年、九十四歳で眠るように亡くなったそうだが、市議会議員だった親父さんは今は県会議員として広島に単身赴任中だ。  一番驚いたのは、今でもダイニングに「あの絵」が飾られていることだ。 「あの絵」のモデルは俺で、ギャラはガトーショコラと甘いカフェオレだった。平成の初めごろまでキョウジュのお袋さんは子供を題材にした優しいタッチの絵をよく書いていた。  二十三年ぶりに対面した少年の俺は、異変種の猫のように目の色が左右で違っていて、太陽のように燦燦と燃え輝く左目と氷のように何物も受け入れない冷淡な右目をしているのが印象的だ。そんなことなどあの頃は全く気付かなかったが、キョウジュのお袋さんは俺の本質を見抜いていたということだろうか?  そんな他愛のない絵画論など交わしながら夕食の支度を手伝っていると、奈々が帰宅してきて、「タミオさん、なんでおるんですか?」と俺を二度見したが、それは招かざる客に向けた毒針を仕込んだ言葉ではなくて、サプライズに驚く初々しい少女のそれでなかなか気分のよいものだった。 「あら。あんたたち…ジュリー。吃驚したでしょ?」 「おばあちゃま、もう。ウチ、先にお風呂入る」  奈々は頬を赤らめて俯いて、自室に戻ってしまった。  これが加奈子なら「タミオさんったらママと間違えるってどんだけ!」などと腹筋が痙攣するほど笑い転げるところだが、このへんの内気さ加減がなんともキョウジュの娘という感じだ。  すると玄関の方から「おい。奈々。靴をよう揃えんような子はなんぼかわええてもつまらんで」と少し不機嫌で疲れ果てたようなキョウジュの声が聴こえてきた。  俺が唯一、この世で親友と認めた男の声を聴き違うわけがない。 「ほら。帰ってきた。行って驚かせてあげなさい」とキョウジュのお袋さんは悪戯っぽく笑って俺を促した。  流石に緊張感はないが、クリスマスを待ちきれない子供のように背中に羽が生えてどこへでも飛んでいけそうな気分になり、居ても立ってもいられなくなった。  俺は、わざとゆっくりと玄関のほうへと半身を乗り出し、「奈々ちゃんを虐める奴はワシが許さんど」とドスの効いた声で言った。  十秒ほどの放送事故の後、俺に気付いたキョウジュは回れ右ができなくて立ち尽くしているような不安定な感情で「タミオ!」と彼にしては珍しい大きな声で言った。  ここで初めてキョウジュの顔を見た。  すっかり白髪になっているので「変わった」或いは、「そこまで坂本龍一の真似をせんでもええのに」と言いそうになるが、それ以外は多少、額紋と目尻に皺が入った以外はほとんど変わっていない。衣装は相変わらず、黒ずくめだ。  紛れもなく、キョウジュだ。 「タミオ、生きとったんか?」 「おう」 「阿吽」ではないが、多くの言葉は要らない。それだけで分かり合えることもある。千里眼や読心術の類ではない。詳細や理屈を超越して、一つの大きな「肯定の泉」となる。その中で許されてゆく。その中で裁かれてゆく。そして、それは澄んだ水のような感情で素直に理解できる。 「タミオ。すまんかったのう。ワシ、なんてゆうてええか」  相変わらず、泣き虫なキョウジュ。  情けなくて、愛おしいくらいに泣き虫なキョウジュ。  何度見たか忘れてかけていた女のようなさめざめとした力のない涙。  全部わかっている。わかっているから、泣くなよ、キョウジュ。 「茶谷先輩からだいたいのことは聞いた。じゃけ、泣くなや、キョウジュ。ほら、立てや」  俺は、威厳に満ちた物わかりのいい父のように或いは、兄のようにキョウジュの痩せた肩を叩いた。 「部屋にさ、ごはんとお酒運んどくから、あんたたち、今日はゆっくりと話をしなさい。ね、ジュリー。そうしなさい」 「ほいじゃぁ、お言葉に甘えて。お母さん。ありがとうございます」 「総司のこと頼んだわよ」  キョウジュのお袋さんはにっこりと微笑んで片目を瞑ったと思ったら、身を翻し、「ちょっと、奈々。あんまり長風呂するんじゃないわよ」とすっかりお節介なおばあちゃまに戻っていた。
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