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口紅
俺の姉ちゃんは魔女だと思う。
家に居る時は目つきの悪い寝癖だらけの暴君。けど、家から外に出る時は怖いオーラ―なんか一切出さない大人しそうな女に変身している。いつも機嫌が悪そうにつりあがった目も、ちょっとたれ目にしているし。化粧ってのは、すごいもんだなぁ。
「君のお姉さん、綺麗だよね」
家に遊びに来ている同級生の友人が言う。うん、化粧をした姉ちゃんは綺麗だ。化粧をして猫を被っていれば、だけど。家の中では恐ろしい姉ちゃんだけど。高校卒業したら、早く家を出て奴隷生活から解放されるんだ!
「化粧だよ、化粧。すっぴんは俺と同じ顔だから」
「そんなわけ無いでしょ」
「生産元は同じなんだからそうだよ」
そんなことを言いながら、俺は自分の瞼にそっと触れてみた。目つき、俺も悪いかな……怖がられやすい顔だから、恋人出来ないのかな……。
自分の顔の作りって、案外分からないものだ。鏡なんて、朝に顔を洗う時くらいしかまともに見ないし。
「でも、土台が良いから化粧も映えるんだよ」
「そんなもん?」
「そうだよ、きっと。お前のお姉さん、くちびるが綺麗だもん」
「くちびる? もしかして、そういうフェチ?」
「そういうわけじゃ無いけどさ……」
言いながら、友人はズボンのポケットから何故か口紅を取り出した。俺はそれをぎょっとして眺める。
「なんで、そんなもん持ってんの?」
「バイト先のドラッグストアのサンプル。母さんにあげようと思ってたけど……君にあげる」
「は!? いらないって!」
「生産元は同じなんだろ? きっとお姉さんみたいに似合うと思う」
気がつけば、俺は壁際まで追い詰められていた。目の前にはキャップが外された口紅。真っ赤よりはピンク色で、ちょっと上品な色。
逃げられない。
俺は思わずぎゅっと目を瞑った。
友人の笑う気配。
そして、くちびるに触れる冷たい感触。
「……っ」
しばらくして、俺は目を開けた。すると、満足げに微笑む友人と目が合う。
「ほら、似合ってる」
「え、あ……」
鏡が無いので、俺は窓ガラスで自分の顔を確認した。ガラスに映るのは、口元だけほんのり血色が良くなった俺の顔……。
「に、似合ってねーって!」
急いでシャツの袖で口紅を落とそうとしたら、強い力で腕を掴まれて阻止された。
「まだ落としたら、駄目」
友人は俺の手に口紅を握らせて、耳元で囁く。
「この部屋で会う時はさ、それつけてよ」
「お、お前、何言って……」
「お姉さんよりさ、君の方がずっと似合ってる」
「あ……」
キス出来そうなくらい近い距離で、友人は俺の顎をくいっと掴む。
「次はどこを変身しようか?」
「へ、変身……」
「もっとさ、変えてあげる。もっと素敵にしてあげる」
「……」
友人の言葉に、ぞくぞくした。
でも、化粧だなんて、そんな……でも……。
「よ、よろしくお願いします」
「……ふふ」
友人の手で、俺はどう変わってしまうのだろう。
きっと彼は魔法使いなのだ。
魔法使いに心を奪われてしまった俺は、簡単に彼を受け入れてしまう。
キスされる気配を感じながら、今キスしたら口紅の色がうつるな……なんてことをぼんやりと思った。
くちびるに咲いた恋の色。
いつか全身が染まっていくのだろう。そんな予感に胸が躍った。
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