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ショウコが連れて行かれてしまった。これがどれだけ大変な事か。
村人に内緒で行動している時点で問題だらけだが、連れて行かれたのが村長の孫娘。それもただの孫娘ではない。訳アリで村の外には絶対に出させてもらえない箱入り娘。村に隣接する山や森を駆け回ることはあっても、村の風習で外の事を遮断されてきた娘。ショウコは恐らく巫女か何かの役割を背負わされているのだろうと畠中は勝手に考察しており、よく己の家族無いし他の村人と衝突している所を目の当たりにするがとにかく大事にされていることがわかる。
そんな畠中にはわからないが村で重要な位置に立たされている娘を連れ去られてしまってはどうなるか。必死に山河童の後を追いながら村人にされそうなことを想像した畠中は、顔を青ざめて身震いした。村を追い出されるのは可愛い方。恐らく九割九分は村人に殺されるだろう。
それだけはごめんだ!という思いが畠中を余計に焦らせ、懐中電灯の焦点がぶれ始める。だがそんな懐中電灯とは違って畠中の焦点はただ真っ直ぐ前だけを捉えていた。これが明るい真っ昼間なら全然構わないのだが、如何せん今は月明りも頼りにならない山の中。周囲も、特に足元にも注意を払っていなければどんな事故を起こすかわかったものではない。いつものあの変に冷静な畠中はどこかへ消えてしまっていた。
案の定、冷静になれていない畠中へ次々と不幸が舞い降りる。
今までどれだけ落ち着いて行動していたのかがわかるレベルで畠中は幾度も躓き、そして時には転び、ボロボロになるだけで然程前進できずにいた。幸い、不気味なほど獣が飛び出してくることはないので攻撃されるということには至っていない。それでも大の大人が、自分の足でようやく歩けるようになった幼児のようにその一歩がおぼつかない。
それでも一刻でも早くショウコを助けねばという想いしか残っていない畠中。どれだけ躓こうが転ぼうか彼はただひたすら、焦った面持ちで前しか捉えていない。
そしてついに、眼前の景色しか見えていない畠中に最大の不幸が舞い降りた。
奇跡的に転ばず躓かずに数メートル走れたぞという時。順調に進んでいるものの、足元に注意を払っていなかった畠中の片足は地面を踏まずに虚しく空中を踏んだ。
「あっ」と思った時にはもう遅く、畠中の体はそのまま重力に押されて下へと落ちていく。
ここが山の中であることを忘れていたのか、畠中は崖を踏み外してしまったのだ。
このままでは良くて大怪我、最悪死んでしまう。崖の端を掴もうとするも、その片手は虚しく空を切るだけ。どちらのかわからないが、懐中電灯が一本手から離れていき大口を開けた漆黒へと吸い込まれていった。
「(まあ……ヒラサカ村の人たちに殺されるよりかはいいかな……)」
もう全てを諦めたのか、まだ手を伸ばせば崖の端を掴めるであろう距離でそんなことを思う畠中。
「(いやでもまだ発表していない研究成果やデータが残っている!後輩や恩師にも託していないのに死んでたまるか!)」
この時間、僅かコンマ五秒。
流石学者というべきか、こんな時でも脳裏に過るは自身の研究内容。そのおかげで畠中は生き延びる希望を見出し、まだまだ掴めそうな位置にある崖の端に再度手を伸ばす。
希望の光はどんどん薄れていくも、どうにかして断崖のどこかを掴もうと必死にもがく巨人。その当てずっぽうな作戦が功を成したのか、奇跡的に出っ張った個所を掴むことに成功した。しかし困ったことに、自身の腕力には巨体の自重を持ち上げるほどの力はなかったらしい。プランとぶら下がったまま次に進むことができない。これでは再び落ちるのも時間の問題だ。
ロッククライミングなんて嗜んでいない畠中には素手で岩に掴み続けるなんて酷でしかない。手のひらに走る痛みに顔を歪ませていると、伸ばしていた腕に突如、何者かが鷲掴む感覚を覚える。それは一人ではなく、無数の手がまるで纏わりつくような感覚だ。一体、こんな真夜中の危険な山で誰が助けてくれたのだろうか。
「……え?」
パラパラと周りの石が崩れ落ちていく。自分に今何が起きているのか理解できていない畠中は、崖上に誰かいるのかと見上げようとした瞬間、彼の片腕に纏わりついている無数の何かが力強く引き上げた。科学的にあり得ない現象に畠中はただただ己の目を丸くすることしかできない。気が付けば、落ちる直前にいた地面に倒れ込むような形で放心していた。
何が起きたのか、流石の畠中の頭でも理解ができていない。えっ、えっ?と四つん這いになりながら目を点にさせるも、今はここでお得意の思考を披露する場ではないことくらいはこの巨人はわかっている。一体誰が、自他共に認めるこの巨体を引き上げたのか。相手の存在を知るというのも兼ねて、立ち上がって自身の体を叩いて汚れを落とした畠中は顔を上げてお礼を述べようとした。
しかし、彼の前には誰もいない。ただただ、静かに佇む森しか広がっていなかった。
さらに不思議なのは、先程まで岩を掴んでいた腕を何者かが未だに握っている。それも一人ではない。何人、何十人という数の何者かが力強く、しかし痛くない程度に握っていた。
一体この感覚は何なのだ、誰が握っているのだと訝しげに握られている腕を顔の前まで上げようとした時だった。
「うわ、うわわっと!」
畠中はそのまま引っ張られる形でズンズンと森の中へと引き込まれていく。
森の中へと引き込まれれば引き込まれる程、引っ張られる力は強くなっていき、足がもつれそうになりながらも強制的に加速させられる。
自分の意思とは反対に、両側を樹木がどんどん横切っていく光景に畠中は得も言えぬ怖さを覚える。しかしだからと言って、それに逆らう気力は一切なかった。何故ならば、引っ張られている時の方が自らの意思で動いている時と違って、不思議と躓かないし転ばない。まるで畠中を引っ張っている見えない何かが彼を守りながら導いているようだった。見えない何かというものに怖さを覚えるも、これを振り払ったら二度と生きてこの山を進めないだろうと直感的に察した畠中は大人しくそれに従うことにした。
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