神隠し

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 老人の説明通りに進めば、そこには他の民家よりも大変立派な昔懐かしの日本家屋が建っており、表札には「四方」と書かれていた。 「(四方と書いてヨモと読むのか……珍しい苗字だな)」  表札の漢字に感心しながら、ごめんくださーいとバリトンボイスを張り上げて立派な玄関に声かければ、この家の者と思われる老婦人が中からやってくる。しかし突如現れた巨人に、老婦人は腰を抜かしかけた。  恐れる老婦人にあくせくしながらも、畠中はかくかくしかじかと事情を説明すればわかってくれたらしく、笑顔で迎え入れられ、客室と思われる和室へと通された。 「(部屋には床の間、縁側があって、縁側の先には庭が……そして床はい草の香りがする畳と……。見た感じ特にこれと言った変わった特徴は無し。そこまで閉ざされていないのかな?)」  大人しく座布団に正座しながらも、きょろきょろと忙しなく部屋を見渡す畠中。民俗学を研究する学者だからか、家の間取りや構造も多少は気になるようだ。  本当はもっとあれこれ調べたい欲を必死に抑えていると、スッと襖が開いてそこから気の良さそうな老人が現れる。畠中は慌てて居住まいを正し、若干猫背気味だったその背中をピーンと伸ばした。  「いやー、こんな辺鄙な所に客人とは珍しいなー」と笑いながら対面の座布団に胡坐をかいて座る老人。老人が落ち着いたところを確認して、畠中はいそいそとスラックスのポケットから小さな長方形の入れ物を取り出して、中から紙を一枚取り出した。 「(わたくし)、こういうものでして……」  老人の前に差し出されたのは名刺だった。そこそこ小さい長方形である名刺だが、巨人の大きな手ではより一層小さく見える。  ちょっとした錯覚に戸惑う老人だったが、素直に差し出されたそれを受け取ってはそこに書かれている名前と役職を見て「ほー」と感心していた。 「東京の大学で先生をしているのかね。まー随分と立派な人が来たもんだ」 「そんな、立派だなんて。(わたくし)なんてまだまだ新米でひよっこですよ。まだ助教ですし」 「いやいや、何をそんなに謙遜する。農民しかいない小さな村からすれば助教も大先生ですよ」  大学では教授陣からペーペー扱いしかされていない畠中は、初めての対応にどう反応していいのかわからず、後頭部を軽く掻いては照れくさそうにした。 「して、そんな大先生がこんな村に何の用ですかね」 「その、(わたくし)は民俗学を研究していまして」 「みんぞくがく?そんな変わった部族でもないと思うがね」 「ああ、いえ。そちらの民族ではなく。簡単に言えば色々な地方の民間伝承や言い伝えなどの文化について研究していまして。今回こちらのヒラサカ村にやってきましたのも、この村ならではの伝承やお話が聞けないかと思いまして」 「ほほー、なんだあれか。ナントカカントカのナントカ物語だっけか?それみたいなことをしているのか」 「……柳田國男先生の遠野物語、ですね。ええ、はい。それに近いことをしています」  辺鄙の農民だなんだと卑下する割には、(一部曖昧な所があるとはいえ)それなりの知識はあるのかと感心する畠中。遠野物語について知っているのならば話は早いだろうと畠中は期待を胸に宿した。 「ははー、なるほどなるほど。なるほどねぇー……。そんな立派な話がこの何もない村にはないと思うが、そんなのでよろしければ協力しますぞ。どれ、さっそく村の皆にも伝えておこう」 「本当ですか!」 「ああ、ただあまり期待はしないでくれ。何せただの小さな農村だからなぁ」  興奮のあまり若干前のめりになる畠中だが、巨体が迫ってくるというのはなかなかの迫力。少し背を反らした四方家の老人に気づいて、彼は慌てて居住まいを正した。 「ああ、それでは早速お伺いしたいのですが……」 「おう、答えられる範囲でよろしければ何でも答えますぞ」  相手を怖がらせてはいけないと、猫背気味のその背中を更に丸めさせておずおずとお伺いを立てる畠中。そんな彼とは正反対に、四方家の老人はどーんと胸を張って、小柄であるその体を大きく見せて身構えていた。 「こちらの村に、数十年に一回とかなり少ない頻度で開催される祭りがあるとのことですが……」  両手にペンとメモ帳を構え、畠中は自分本来の研究テーマである祭りについて話を切り出す。  しかし、四方家の老人の目つきが急に変わり、目の前の巨人を視線で射抜かんと言わんばかりに鋭くなった。眉間にはこれでもかと溝が深く刻まれ、段々と顔が赤く染まっていく。羞恥から来るそれではなく、怒りから来る染まり方だ。ピリッと、部屋の空気が変わったのを畠中は自身の肌で感じた。  あ、これはよくない方向に話が進むぞ、と畠中が直感的に感じ取った瞬間。 「貴様のようなよそ者に話すような祭りなんぞ一つもない!」  雷のような怒声が、眼前の老輩から落ちる。  先程まではあんなに気が良く、豪快だった好々爺は何処へやら。一瞬にして目の前に大迫力の鬼の面が舞い降りていた。  四方家の老人の反応から、これは門外不出で外からの存在に知られてはいけない類の祭りだと瞬時に察した畠中。激高した老輩をどうにか宥めて、それから自分の非を詫びようと、落ち着いてはいるがどこか申し訳なさの混ざった声で抑えようとするも、相手は一切聞き耳を持とうともしない。 「とっととここから出ていけ!よそ者に話すもんなんぞ何もない!」  挙句には出ていけ、消えろと叫ぶ老人。  あんなに気前よく話せることは何でも話すと言われるほど歓迎されていたのに、今ではもう180度ガラリと変わってしまっていた。あまりの変わりように鉄仮面が通常搭載されている畠中が慌てふためいている。  宥めようと伸ばされていた畠中の腕を、一体その小柄な体のどこから出ているのかわからないくらい力で引っ張り上げられ、畠中は無理矢理立たされる。そしてそのまま荷物と一緒に部屋の外へと放り出され、激しい音を立てて襖を閉じられた。  部屋の外にはいつの間にか玄関で対応していてくれた老婦人が立っている。しかし当初畠中に見せていた笑顔は消えており、その目は完全に冷え切っていた。 「出口はあちらです」  まるで業務内容のように淡々と伝えてはそっちの方向へと指さす老婦人。  どんなに誠意を込めて謝罪の言葉を述べても、心に響かないのか、それとも響かないように耳を傾けていないのか、老婦人の表情は微動だにしない。  その態度に、どんなに縋り付いて土下座して謝罪しても状況は好転しないと判断した畠中は、荷物を抱えて大人しく玄関へと向かう。その後ろを、まるで余計なことを仕出かさないかを監視するように老婦人がついてくる。  玄関にたどり着いて戸惑いながらも靴を履き、外に出て再度謝罪しようと思えば、鼻先すれすれでピシャリと大きい音を立てて引き戸が閉められた。一歩下がるのが遅ければ確実に挟まれて怪我をしていてもおかしくない距離でだ。あまりの大きい音が間近で鳴ったため、鼓膜が破れたのではないかと一瞬不安に陥る畠中。  老婦人の態度からして恐らく無理だろうなと思うも、念の為に玄関へと声をかける。うんともすんとも反応がない。もう二度と敷居を跨ぐなと言われている気分に陥る。もう家全体から立ち入り禁止と言われているように感じ、まあそうだろうなと畠中の中で簡単に諦めがついた。
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