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クライマックス
車内はタバコの煙が充満している。酔いそうになるくらい空気は淀んでいた。
俺はどうすることもできず、見知らぬ車のリアシートに沈んで、目を下げた。茶色い髪の毛先が見える。
あんなめちゃくちゃなことが起こっても収まるところにちゃんと収まっているカツラ。ウケすぎだろ。猿ぐつわだってそうだ。
鼻から乾いた笑いを出す。こんな恐ろしいことになってんのに涙は出ない。
ヒトって、ホントのホントの窮地になると、おかしなこと考え始めるんだな。
俺のとなりでふんぞり返っているやつがタバコを吸いながらまたメンチ切ってきた。少し動いただけなのに、空気を抉るかのように睨んでくる。
てか、すいませんねえ。スカートがかさばってまして。そんなに邪魔なら、いますぐそこら辺に放り出してくれませんでしょうかね。
……なんて、言いたくても言えないこの状況は、幸なのか不幸なのか。
俺は、いまの状態を茶化すことで、なんとか自分を保とうとしていた。
ところが、容赦ない言葉が行き交う。
「津田のやつ、出てきてたな」
「俺らが不利だと思ったんじゃね」
「ボンボン学校といえど、トップがアレだからな。さすがイカれポンチの集まり」
「どうするよ。予定通りあそこに戻る? たぶんだれかは捕まって、吐かせられてんじゃね」
オレンジさんの名前が出てきて、知らず知らず、俺は耳を傾けていた。
目線を下げれば、俺のとなりのやつがふんぞり返ったまま腕を組んで、煙草をくわえてる口をにやっとさせた。
「俺は始めから津田は信用してねえよ。あいつも所詮はイカれポンチの一人だ。とにかく俺は、いきのいいエサが一つ手に入ればいい」
そう言って、鋭角に俺を見下ろした。
短くなった煙草を足元に捨てると、靴でもみ消していた。
暴走族の残骸というよりヤクザに近い気がする。
俺のとなりのやつはとくにヤバい。目つきが常人とは違う。三度の飯よりメンチ切ってますって顔してる。
「じゃあ、戻らねえんだ?」
「あそこのことは津田に吐かせなくても、どうせやつら、知ってんだろ」
「まじか」
「だからイカれポンチなんだよ。それに、中庭から動いてねえんだろ?」
「なんかあったみたいで、留まってたっつってたな」
「わざとだろ」
「エサ掴ますのが?」
「掴ませて油断させて、のこのこ戻ったところを一網打尽。やりそうなこった」
助手席のやつがどこかに電話をかけ始めた。
しかしなにも話さないから、相手は出ないみたいだ。
携帯を閉じたところで、俺のとなりのやつが鼻で笑う。
「ほらな」
「だとしても早くね?」
「それがやつらの気持ち悪いところだ」
たかがコーコーのガキのくせにと、吐き捨てるように言う。
「でもさ、こいつ乗せてうろうろしてんのはヤバイだろ」
「そうだな」
「とくにあんたは顔が知れてる」
俺のとなりのやつが深々と息を吐いた。さらにシートにもたれ、貧乏ゆすりをし出した。
「あれだ。作戦変更と行くか」
「ん?」
「わざわざ釣らなくても、エサだけボコって、その辺に捨てるってのもありだろ」
「うわ、かわいそー」
言葉とは裏腹に愉しげな声がして、俺が助手席を見上げると、目が合った。
あいつもにやにやしている。
「したら、俺は遊んじゃおっかな」
「遊ぶ?」
「女みたいだからさ。面白そうじゃん。泣かしてみたりとか」
「泣かすのは普通だろ」
俺のとなりのやつの気のない返事に、助手席のやつは「そっちの泣かすじゃないんだな」と、いかにも愉快そうに言って前を向いた。
ボコる。泣かす。
具体的な言葉が出てくると、おフザケで紛らわそうとしてた頭もパニックに陥った。
さまざまなことが頭の中をぐるぐるして、考えがまとまらない。
「高速乗るか。サービスエリアなら駐車場が広い」
車が急に曲がった。体が持っていかれる。
それに気を取られてたら、なにかの重みが加わってきたことに、すぐには気づけなかった。
バカにしてるようにも嫌悪してるようにも愉しそうにも取れる視線。間近にあったから、俺は息が止まるかと思った。
「しっかし、お前。ほんとに男か? そんなカッコしてっから女にしか見えねえな」
もっと顔が近づいた。
足になにかが触れる感じがあって目をやると、となりの男がスカートの中へ手を入れていた。
ま、まじかよ!
てか、とりあえずズボンを穿いててよかった。
そう思ったのも束の間、男はスカートをめくって中を覗くと、もっと手を入れてきた。
まさぐっている。ズボンを下ろされるかもしれないと思ったとき、助手席の男が、俺の目の前の男を呼んだ。
スカートの中から手が離れていく。
胸を撫で下ろしていたけど、ここにいる限り、またなにをされるかわからない。
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