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男が喉で笑いながら、俺をさらに見下ろす。
「恨むんなら市川兄弟を恨め。あいつらは越えちゃいけねえところへ踏み込んできた。素人のくせしやがって」
あごを撫で、続ける。
「俺たちの行動を把握してる気でいたらしいが、こっちもそう簡単にヤられるわけにはいかねえ。お前を痛めつければ、あいつらは自分の愚かさに気づいて、もう二度と生意気な口を利けないくらい後悔するだろうな」
俺はまた目を伏せた。自分へ問いかける。
いいか、中野卓。この世でお前が一番怖いのはなんだ?
ママか? ママか、ママか。
……いや、それもそうだけど、違う。
俺が一番怖いのは、二度と維新に会えなくなること。このままこいつらのいいようにされていたら、確実に前のようには接せられなくなる。いわれない傷をつけられる。
だからまずは落ち着いて、よくよく考えよう。
……まず、劇の入りの前。俺がどこにいるのか、黒澤は気にしていた。維新に電話してまで訊いていた。
となると、こうなることは想定していたような気がする。
でも、一つ気になることがある。俺のとなりのやつが口にしていた「わざと」って言葉だ。
つまり、黒澤たちは、俺をわざと拉致らせ、こいつらが溜まり場かなんかへ戻ったところを突撃しようとしていた。
だけど俺は、維新と柳さんのあんなシーンを目の当たりにしなかったら、体育館から飛び出すこともなかった。
だから、想定はしていても、わざとはないと思う。
こいつらは明らかに待ち伏せていた。あの暗い中で、風見原の道筋を把握していた。
柳さんも一枚噛んでいたと考えるのが妥当かもしれない。
生徒会なら、詳しい地図情報も取り放題だろうし。どこに隠れていれば見つからないってこともわかっている。
あのマキさんたちだって、身内が加担しているとはさすがに考えてもないだろうから、いまの状況は想定外なことなのかもしれない。
車に乗せられたらもう諦めるしかないと思いつつ、俺は、あの人たちならどうにかして助けてくれるんじゃないかと頭のどこかでは期待していた。
その甘さを、すぐに捨てた。
一人でなんとかするしかないんだと覚悟を決めた。
俺だって男だ。あんなやつらに黙ってボコられるなんて、冗談じゃねえ!
だって俺、なんにも悪いことしてねーし。巻き込まれただけじゃん。それで俺だけこんな目に遭わされるなんて、ぜってーおかしい!
是が非でも生きて帰って、パンチの一つくらい、あの人たちにお見舞いしてやんねーと。
と、そのとき、なにかを叩きつけるような音が車の天井から聞こえた。
──雨だ。
それは途端に激しくなっていく。
気づけば、ワイパーが忙しなく動いている音だけで、男たちはほとんど喋らない。それがまた不気味だ。
とにもかくにも、なんとかここから逃れる方法を考えなきゃ。
そう腰のほうに目をやって、はっとなった。
……そういえば携帯があったじゃん! たしか、ズボンのポケットに入れたまんまだ。
しかし、自由のないこの手ではどうすることもできない。
それでも、本当にあるかどうかの確認だけでもしようと手を動かしたら、固いものに触れた。
思わずほっとなった。
そんな目前に、見覚えのある白いものが現れた。
「なに、もぞもぞしてる。これ捜してんのか」
白い携帯電話なんて、この世の中にいくらでも出回っている。
そう思いたかったけど、そこで揺れているストラップが紛れもなく俺のだと知らせていた。
スカートの中をまさぐっていたのは、あれを見つけるためだったのか。
のんきにゆらゆらとしているストラップ。俺は茫然と見ていて、ふとあることに気づいた。男に気づかれないように手をずらし、さっき触れた固いやつをなぞる。
……やっぱり、まだなにかある。スカートの中へ紛れるようにしてひっついている。
それにこの形……。たぶん、携帯電話だ。
俺の脳裏に昼間の光景がよぎる。
……そうか。そういうことか。維新のやつ、黒澤にケー番を教えたわけじゃなかったんだ。
それに気づいたところで、車が停まった。
どしゃ降りの雨が一層天井を叩きつける。
「とりあえず着いたけど。まじでこん中でやんのか?」
「狭すぎてやりがいねえな」
「そのカッコじゃ、外連れて行けないしねえ」
サービスエリアに着いたのかと、俺は少し体を起こした。
当然のように、窓の向こうは真っ黒だ。
「仕方ねえか」
となりの男がこっちへ体を寄せてきた。
「ま、その前にまず、こいつがほんとに男かどうか確かめてみるか」
「あんたも遊ぶ気満々じゃん」
「確認だ。まずは」
そう言って俺の衣装をむんずと掴み、首の辺りを破いた。
まさかそんなふうにされるとは思ってなくて、俺はただ目を瞠った。
万事休す──!
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