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シートへそう頭を落としたら、あのお守りが目の前へ滑り落ちてきた。
野太い腕がスカートの中へ入る。今度はズボンのゴムを掴んだ。
その動きがぴたっと止まる。
低く、なにかを不審がる声もする。
「なんだ。これ」
頭を起こして見れば、男が黒い携帯電話を手にしていた。
ストラップもなにもついてない、いつも目にしてきたやつだ。
……やっぱり。ここにあったのは維新の携帯だったんだ。
てか、いまだ。あいつが、時間を稼いでくれているから。
こんなとこでヤられてたまるかっつーの!
「なんで二つも持ってんだよ」
男があの携帯に気を取られている隙に、俺はなりふり構わず足を振り上げた。
手だけ縛って満足していたのが命取り!
まずはかかとで脇。それから股間も蹴ってやる。でも、そこは無意識に加減していたかも。アレの痛さは俺もわかるから。
ミツさんの三段攻撃も頭をよぎった。しかし、この位置からだとすねは蹴れないし、頭突きは諸刃の剣となりそうなので毛頭ナシ。
股間を押さえて呻く男を見ながら、俺は必死に後ろ手でドアロックを探った。
前の二人がこっちに気づく。振り返る。
ガチャガチャやっているうちにドアが開いて、俺はバランスを崩した。外へ投げ出される格好になる。
雨が俺の顔を打つ。後頭部が地面に当たったらヤバいと体をひねった。
肩から地面へ着く。
地厚なスカートのおかげか、痛いは痛いけど、動けなくなるほどではなかった。
いまの衝撃で猿ぐつわが外れた。
とっさに車のほうを見上げると、あいつがドアから手を伸ばしてきていた。
俺は全身の筋肉をフル活用して立ち上がると、建物へ向かって走った。アリアの姿で、しかも後ろ手に縛られたまま、サービスエリアの駐車場を全速力で横切る。
激しい雨に打たれた。
明かりが滲んで見える。俺はそっちへは行かず、となりの建物のトイレへ駆け込んだ。
ずらっと個室が並んでいる。
女子用だったかと思いながらも、なるべく奥へと走った。壁にぶつかりつつ個室へ入って、後ろ手で鍵をしめた。
ポタポタと雫が落ちる。あんなにいろいろあっても外れないカツラに苦笑いも出る。
はあはあと息をつく。心臓が痛い。
そんな中、遠くから聞こえてきた靴音。だれかがやってきた。
女子用なら入ってこないだろうと安心していた俺は、一気に落とされた。ドアに背を擦り、しゃがみ込む。
……イカれポンチはてめえらだろ。
そう思ったときだった。
「卓!」
維新の声がした。
そこにいるのが信じられなくて、俺を滴らせている雨水が、聞こえる声を歪ませているのかと思った。
それでも声を振り絞って維新を呼ぶ。
「卓」
背にしていたドアが軋む。上から声がして、見れば、ドアを乗り越えようとしている維新の顔があった。
その髪から垂れた雫が、俺の額へ落ちる。
「維新。なんで」
俺が呟いたときには、維新はもう目の前に降り立っていた。
となりに人がいたらどうすんだと思いつつ、ひとまずの安心で顔が緩む。
維新がドアに肘をついて体を折った。あっちを向いてと、指でいう。
俺は上半身をひねった。
時間がかかったけど、維新はどうにか縄をほどいてくれた。
「卓。ケガは?」
グーパーを繰り返す俺にくまなく目をやりながら、維新は着ていたジャンパーを脱いだ。
「ない。……と思う。つか、ごめん。俺、腰抜けてる」
「ああ。とりあえずこれ着て。前閉めろ」
維新が強く眉根を寄せて言った。
それで気づいた。そういえば、服を破られたんだ。
俺は急いで腕を通した。袖の余る部分を引っ張って、チャックを最後まで上げる。
維新が震える息を吐く。
「維新。寒くね?」
「俺のことはいい」
本当は抱きつきたかったけど、ジャンパーは濡れているし、ここはトイレだ。
びゅうびゅうと風の音も聞こえる。
「てか、維新。なんでここが……」
「ああ」
維新がスカートの中へ手を入れてきた。なにかを探すような動きをしている。
俺ははっとした。
「……あ、そっか。でも、携帯ならないよ」
「え?」
「見つかったんだ。そんで取られちゃった」
維新がおもむろに腰を上げた。俺に背を向けると頭を下げた。
その肩がわずかに震えている。
「危なかったんだな……」
「けど、こうして無事なんだし」
「……」
「もしかして泣いてんの?」
からかうように維新の足をさすってやる。
ズボンもちょっと濡れている。
「……すまない。卓」
「いいよ。気にしてねーから……。ちょっとこっち向けよ」
維新がまた腰をかがめた。
そのまつ毛が濡れて見えたのはきっと雨のせいだ。
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