クライマックス

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「車回してくるから」  振り返ったときには、ジョーさんはもう走りだしていた。  収まっていたはずの風がものすごい勢いで吹いた。スカートがまき上げられ、傘もあおられる。思わず離してしまった傘を、走って戻ってきた維新がタイミングよく掴まえてくれた。 「大丈夫か」 「ん、ありがと。てか、スカートがさ」 「また風が出てきたな」 「まるで台風でも来るみたいじゃん」  風と遊びまくる髪を押さえ、俺は維新を見上げた。 「みたいじゃなくて、来るんだ」 「……え? あしたじゃねえの」 「スピードを一気に上げたんだ。夜更けに直撃らしい」 「待って、維新。いま何時?」 「おい、松。卓」  エンジン音が近づいてくるとともに、ジョーさんの声が割って入ってきた。運転席の窓から顔を覗かせている。  このサービスエリアには車で来たんだろうと理解はしていたけど、ジョーさんが運転手とまでは想像していなかった。  先に俺をリアシートへ乗せ、維新は腰をかがめながら、運転席のジョーさんへ声を飛ばした。 「いま何時ですか?」 「……七時。ちょい過ぎか」  維新はシートへ腰を下ろし、俺にも目をくれる。  当然、劇の開幕時間はとうに過ぎていた。  サービスエリアから出る景色を視界の端に止め、俺はぐしょぐしょのスカートを掴んだ。 「衣装もこんなだし……。劇はできないね」 「そもそも後夜祭は中止になった」  えっ、と俺は目を剥いた。  ……中止か。  まあ、そりゃあそうだよな。主人公がいなきゃ、ムシ食いの台本以上に劇になんねえ。  肩を落とした瞬間、これまでみんなで作り上げてきたさまざまな光景がよみがえった。  辞令があって、耐久レースまでして、変な台本もらって。それでも、稽古になると、みんなで笑いながらだった。  笑ってばっかりいたから、おスギ先輩に怒鳴られもした。前後もないアドリブ入れる人がいるから、なかなか進まないときもあった。  つつみんの顔も思い出す。  特別教室のあるエリアで助けてくれたあと、どうなったんだろう。  維新と柳さんのシーンも思い浮かぶ。あのあと、カーテンのところで加賀谷さんとぶつかったことも思い出した。  ……そうだ。あそこで、俺が足を止めていれば──。 「卓。なにを考えてる」  涙がまたせり上がってきた。 「だって……俺のせいじゃん。中止になったの」 「違う。お前のせいじゃない。この台風だ」  涙を飲み込んだ。  そのあと維新が教えてくれたのは、あのとき俺とぶつかった加賀谷さんは、台風で後夜祭が中止になったと知らせようとしていたこと。撤収作業が優先になったから、自分たちの部へ戻れと。 「卓。さっき自分で言ってたことをもう忘れたのか。悪いのはぜんぶ向こう。お前のせいでもない。それに、劇なんかよりも、みんなお前のことを心配している」 「ねえ、つつみんは? 特別教室のところで、ほかにもだれか殴り合いしてたじゃんか」 「鷲尾さんとメイジだ」 「大丈夫なの」 「鷲尾さんは、いかにもケンカ慣れしてるって感じだろ。メイジだってそんなにやわじゃない。堤は、医務室で手当てしてもらってるはずだ。メイジもついてる」  鼻をすすりながら、俺は「うんうん」と頷いた。 「鷲尾さんとメイジがあそこにいたやつらを捕まえてくれてた。理事長も来られて、警察に引き渡すと言っていた」 「じいちゃん……。じゃあ、俺がこんなことになっちゃったの、本当にみんな知ってるんだ」  一気に涙が引いた。  鷲尾さんやメイジ、つつみんのことも気がかりだ。じいちゃんと藍おばさんにも、きっと心配をかけている。  ママに知られたくないとか言っている場合じゃないんだろうけど、一抹の不安もよぎる。  俺は目を閉じた。 「卓」  維新に呼ばれて目を開ければ、フロントガラスの向こうに見慣れた文字の看板が見えた。 「もうすぐで着く」  と、ジョーさんが言った。  風雨は、刻一刻と激しさを増している。 「維新」 「……なんだ」 「俺さ。ほんとはずっとお願いしてたんだ」  俺は顔だけを横へ向ける。  そんな俺の言葉の先を窺うように維新は首を傾げた。 「台風が来ちゃえばいいのにって。台風が来れば、風見祭が中止になって、あんな劇をしなくてもすむのにって」  だから──と続けようとした言葉は、無理やり収められた維新の胸の中に消えた。  ジョーさんの運転する車が一般道を離れ、風見原の私道に入った。やがて、校門と同じデザインの風見原の正門が見えてくる。  ジョーさんは車を徐行させながら正門を通り、校門前の道を進むと、じいちゃんちのそばで停めた。 「ゴルフ部へ、松はすぐ帰るんだろ」  ジョーさんにそう訊かれて、維新は思案顔になった。  ああ、そうか。これからの台風に備え、風見祭の撤収作業やら普段の片づけやらが最優先になっているんだっけ。 「もうほんとに平気だから。維新は寮へ戻ったほうがいいよ」 「しかし……」 「あ、ほら。おばさんも来た」  維新を無理やり送り出すように言って、俺は車から降りた。  ジョーさんに頭を下げ、心配顔で傘をさしている藍おばさんのとなりへいく。  そこから、遠ざかっていくテールランプを見つめた。  恐る恐る横へ目をやると、めったに見れない怖い顔になったおばさんがいた。  だけど、怒鳴ることはせず、家へ入ると、お風呂沸いてるからと化粧落しを貸してくれた。  玄関ですべてを脱ぎ去る。裸同然で廊下を走って風呂場へ向かった。  夕飯は少し食べた。他愛もない話を藍おばさんとして、ベッドへ入った。  マキさんは大丈夫だろうか。  劇は諦めついたけど、バンドライブは見たかったな……。  つつみんのこともやっぱり気になる。  いろんなことをつらつら考えていたら、逆に目が冴えてしまった。外はいまだにびゅうびゅういっている。  それでも明け方近くには自然と眠りに落ちていた。
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