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目を覚ますと、本に囲まれていた。
本。本。本。本。本本本本本本本本本本本本本本本本本本本……って、なんだ、図書室か。うん、これは、図書室。
静まり返った図書室に、人の気配はまったくない。
えっと、わたしは、なんで……。
寝起きの頭で、考える。
「……あぁ、そうだ」
わたし、放課後に一人で勉強していて。だけど最近寝不足で、プールの後の数学の授業ぐらい眠くなって、机に突っ伏して……いつの間にか寝てしまった。
図書室を出ると、校舎は夕闇に包まれていて、廊下の先が見通せないほど暗かった。
やっぱり、人の気配はない。
最終下校時刻のチャイムはとっくに鳴っていた。いや、チャイムが鳴るずっと前から、校舎はもぬけの殻になる。
だって、放課後の校舎には、赤い服の少女が出るから。
──でねでねぇ、外がすっかり暗くなってね、さすがにそろそろ帰ろうかってときにね、背中に視線を感じたんだよぉ。
瑠依の言葉が、頭をよぎる。
──真見ちゃんは、怖くないの? だってだって、自分の美しさが盗られちゃうかも、なんだよぉ?
ポケットの中のスマホが震えた。画面を確認すると、雫(しずく)からメッセージが来ていた。
💧ねえ真見、なにしてる? ひさしぶりに会えないかな?
■ごめん雫、図書室で寝すごした。
💧寝すごした? まだ学校? たしか真見の学校って、変なウワサがあるんだろう?
■だいじょうぶ。すぐに帰るよ。
💧でも、心配だ。迎えに行こうか?
大げさな反応に、苦笑い。
■雫は心肺蘇生法だなぁ。
💧……命を救うってことかい?
■まちがった(-_-;) 誤変換、雫は心配性だなぁって。
💧心配にもなるよ。ボクは雫のことが好きだから。きみを失うのは怖い。
ストレートな言葉に、ジワリと胸が熱くなる。
■ありがと。わたしも雫が大好きだよ。今日は遅いから、また今度会おうね。
💧うむ。家についたら、メッセージを送ってほしい。
スマホをしまって、わたしは暗い廊下を歩きだした。
にぎやかなときを知っているだけに、だれもいない廊下は余計にさびしい。
わたしの足音が、やけに響く。
「……うん?」
歩くにつれて、だんだんと見えてきた廊下の先に、なにかがいた。
それは、人の姿。一瞬、赤い服の少女が頭をよぎったけれど、まったく赤くはない。どうやら、丘ノ上女学園の制服を着ているようだ。
「……冬崎さん」
その人は、冬崎さんだった。流れるような黒髪は暗闇に溶けこんで、逆に白い肌はぼんやり浮かび上がっている。
「あら」
向こうもわたしに気づいたようだ。
「たしか、あなたは」
「真珠川(しんじゅがわ)、だよ。真珠川真見。こうして話すのは、はじめてかな」
「へえ、『真見』さん。すてきな名前なのです」
名前を名乗って、『真珠川』に反応されないのは珍しい。
「いえ、『真珠川』もすてきですよ。真珠は縁起がいいのです」
「健康とか富の象徴だもんね」
「月、女性、水の象徴でもあります。そしてなにより、悪運や悪縁を退ける力があると、昔から信じられていました」
そう言って、冬崎さんは笑った。小さな花が咲くような、かすかな笑み。冬崎さんが笑うのも、こんなに長く話すのも、はじめて見た。
独特な自己紹介のあと、冬崎さんはほとんどしゃべることなく転校初日を終えた。
転校初日の転校生はモテると相場は決まっていて、ましてや冬崎さんは美少女だ。
クラスメイトたちは代わる代わる冬崎さんに話しかけたのだけど、冬崎さんは『……そうですね』とか『……へえ、なるほど』とか気のない返事をするばかり。
普通なら、『生意気な態度だ!』とか『なによ、気取っちゃって!』とか言われそうなものだけど、さすが美少女、『神秘的だ』とか『クールビューティーね』なんて感心されていた。
そっか、笑うんだ冬崎さん。
「どうしたのです?」
だまってしまったわたしを見て、冬崎さんがたずねる。
「え、えっと」
どうしよう、笑顔に見とれていたとは言えないよね。
「もしかして、わたしに見とれていたのですか?」
「うへっ!?」
図星をつかれて、変な声が出てしまう。
「やっぱり、そうなのですね、ふーん」
冬崎さんは無表情で、ウンウンうなずいている。
「やっぱり、うん、やっぱり。わたしって美人なのですね」
いや、たしかに美人だけれど、自分で言うか!?
「あれ、ちがうのです?」
「いや、ちがわないけど。……自分が美人だって、知らなかったの?」
「そうじゃないかとは思っていました。外を歩くと、チラチラ見てくる人がいるので」
冬崎さんの言葉に、自慢している気配はない。『雪が降っていると思いました。寒かったので』みたいな口調だ。
「よかった。自己紹介のとき、だれも答えてくれなかったので、確信が持てなかったのです」
「あの、冬崎さん、どうしてあんなことを聞いたの? 『わたしは美しいですか?』って」
あなたは他人の評価なんて、気にしないタイプに見える。
「美しくないと、遭えないからです。だって赤い服の少女は、美しさを奪うのだから」
「え! 赤い服の少女を、知ってるの?」
「ええ」
冬崎さんはあっさりうなずいた。
「赤い服の少女に遭うために、わたしはこの学園にやってきたのです」
「ど、どういうこと?」
冬崎さんはわたしの質問に答えない代わりに、小さく微笑んだ。それはどこかさびしい笑み。見ていると、胸が切なくなる笑み。
「もう、帰ったほうがいいのです。すっかり暗くなりました。……うん、玄関まで送っていきましょう。一人でいると、怖いものが来るかもしれない」
「怖いもの? それって」
「行きましょう」
わたしの言葉をさえぎって、冬崎さんは歩きはじめてしまう。
冬崎さんは帰らないの? その一言が言えなかった。言ったとしても、また微笑んではぐらかされてしまう気がした。
冬崎さんはどうして、あんなに切なく笑うのだろう。わたしの知っている笑顔は、明るく楽しい、人と仲良くなるためのもの。
対して冬崎さんのそれは、他人を突き放し、壁をつくるかのようで。
「なにか、難しいことを考えていますか?」
となりを歩く冬崎さんが、前を向きながらたずねた。
「えっ、ううん、なにも」
とっさにウソをついてしまう。
「へえ、なにも考えていないのですね。考え無し」
「言い方」
「言い方に問題がありましたか? わたしはコミュニケーション能力が低いのです」
申しわけなさそうにするでもなく、冬崎さんの口調は、ただ事実をありのままに述べているって感じ。
「冬崎さんて、変わってるよね」
「変わってないですよ。真珠川さんも、転校生だと聞きました」
「話の切り替えが、変人のそれなんだよ」
びっくりするなぁ。
「……まあ、そうだよ、わたしも冬崎さんと同じ転校生。六月からだから、もう三ヶ月目か」
「異人仲間、ですね」
「偉人?」
「異なる人、ですよ。異なる場所からやって来た、異なる価値観を持つ人。外国人という意味もありますが、この場合は異分子、または異物という意味です」
「異物って。異物混入みたいな」
「まさに。異物混入ですよ。世の中の大抵の製品は、少しでも異物が混入すれば事件になります」
「わたしはたまたま転校しただけで、普通の人間だよ。事件なんて起こさない」
「事件なら、起きているではないですか」
「それって、赤い服の少女? いや、わたしのせいじゃない」
わたしのせいな、わけがない。
「わたしは異物なんかじゃないよ。わたしはこの学園に溶けこんでいるんだ。もう、すっかり、クラスの一員なんだから!」
わたしの声が、静まりかえった廊下に響きわたった。どうやら、わたしは興奮しているらしい。
「わたしは真珠川さんを、怒らせてしまいました」
冬崎さんは無表情でつぶやいた。英語の授業で、英文を和訳したときのような口調で。
「ごめんなさい。やっぱりわたしは、コミュニケーションが苦手なようです、真珠川さんの地雷を踏んでしまったのですね」
「い、いや、わたしも悪かったよ。急に怒鳴ってごめん」
わたし、なんであんなに怒ってしまったんだろう。
「いいわけしますが、異人のことを説明したかっただけなのです。朱に交われば赤くなる──なんて言葉がありますが、たった一滴の泥が、樽一杯のワインを台無しにすることもあります」
人を泥呼ばわりしていることに、気づいているのだろうか。いや、たぶん、泥呼ばわりを悪いことだとは思っていないのだろう。
天然というかなんというか、やっぱり変わってるよこの子。
「ねえ、事件を起こすのは異人だとしたら、冬崎さんも事件を起こすの?」
「ええ、まあ、少なからず起こすでしょうね」
冬崎さんはあっさりうなずく。
「ただ、わたしの場合、どちらかといえば事件を解決するという方向で、事件を動かしたいのですが」
「事件を解決? それって──」
「ほら、玄関が見えてきました」
わたしの言葉をさえぎって、玄関を指す冬崎さん。
「ここまで来れば安心です。それでは真珠川さん、さようなら」
また、だ。また冬崎さんは、突き放すような笑みを見せる。
「……うん、さようなら」
わたしはそう言うしかなかった。
たぶん明日も、冬崎さんはクラスメイトとろくに話さず、孤立していくのだろう。染まらず、混じらず、溶けこまず、異物であり続けるのだろう。
冬崎さんに背を向け、わたしは玄関を開けようとした。
「え?」
玄関はガラス張り。だから反射して、後ろの背景を映す。
つまり、後ろの冬崎さんが映る。それはいいのだけれど、問題は、冬崎さんの近くに、もう一人立っているということだ。
それは、赤い色をしていた。
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