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「あぁ、やっぱり異人なのです」
急いで振り返ると、冬崎さんが無表情でつぶやいた。
「真珠川さん、あなたも視える側ですか」
ガラス越しに見た赤は、ワンピースの色だった。どんな夕焼けよりも、どんな炎よりも、どんな血よりも、赤い赤いワンピース。
そして、そのワンピースを着こなしているのは少女。少女……だと思う。
どうして断言できないかというと、その少女の顔には、いくつも穴が空いていたから。暗い暗い、ブラックホールのような穴が。
穴のせいで、少女の顔には鼻も、眉も、口もない。ただ、左目だけが、まっすぐこちらを見つめていた。
間違いない、あれは──
「ふ、冬崎さん! 逃げて!」
赤い服の少女は両手を広げて、冬崎さんに抱きつこうとしていた。
「やれやれ、やれやれなのです」
そう言いながら、冬崎さんはサッと赤い服の少女から離れ、わたしのとなりに立った。
「真珠川さんは逃がすつもりだったのに。ギリギリのところで遭ってしまった。目が、合ってしまった」
赤い服の少女の左目はいま、冬崎さんをにらんでいる。
「冬崎さん、あれは、なんなの?」
「なんなの、とはあいまいな質問ですね。あいまいに答えるなら、幽霊とか妖怪とかアヤカシとか怪異とか、そんな感じのなにかです。わたしは便宜上、怪異と呼んでいますが」
ほんとうに、あいまいだ。
「科学的に証明できる存在ではないので、あいまいなのはしかたないのです。そうでしょう?」
そうでしょうって言われても。
「じゃ、じゃあ、冬崎さん、あなたは何者なの?」
「祓い屋、と呼ばれています」
「は、祓い屋?」
「祓うのですよ。幽霊とか妖怪とかアヤカシとか魔物とか怪異とか、そんな感じのなにかを。ちなみに、拝み屋とか祈祷師とかゴーストバスターとも呼ばれています」
そっちも、あいまい。
「まあ、わたしのことなど、どうでもいいのです。問題は、赤い服の少女なのです。ねえ、そうでしょう?」
だから、そうでしょうって言われても!
赤い服の少女はこちらをにらみながら、ふたたび両手を広げた。
『……さ…る、さわる、さ…わる』
さわる。赤い服の少女から、そんな言葉が聞こえた。
穴だらけで、口なんて見えないのに、たしかに『さわる』と言った。
「真珠川さん、ここから動かないでくださいね。あれと目が合ってしまった以上、逃げるのは得策ではないのです」
そう言って、冬崎さんは一歩前へ出る。
「ダメだよ冬崎さん! 赤い服の少女にさわられたら、あなたの美が奪われちゃう!」
「さわられなければ、いいんじゃろう?」
じゃろう?
しゃべったのは、冬崎さんじゃない。その声は、冬崎さんの足元から聞こえた。
「白奈、わらわの出番じゃろう。さっさと終わらそうではないか」
冬崎さんの足元──いや、冬崎さんの影から、人の顔がにょろっと現れる。まるで地下にいる人が、マンホールから顔を出したみたいに。
やがて顔だけでなく、全身が、影からにょるんと現れた。
何枚も重ねられた豪華な着物、頭にはこれまた豪華な簪、そんな豪華な衣装にも負けない、気品のある美貌。
雛人形が人間になったら、きっとこんな感じだろう──そう思わせる美女が、冬崎さんの影から現れた。ただし、身長はかなり高くて、学園の天井にも届きそうなほど。
「夜永姫(よながひめ)」
と、冬崎さんは言った。
「夜永姫。わたしのビジネスパートナー。幽霊とか妖怪とかアヤカシとか怪異とか、そんな感じのなにかです」
「雑な紹介じゃのう。わらわは悪鬼じゃと言っておろうが。親しみをこめて、悪ッ鬼ーナと呼んでもよいぞ?」
呼んでもよいぞって、それどころじゃない。
祓い屋? 怪異? 夜永姫?
情報量が多すぎて、もう、なにがなんやら。
『さ、さわ…る……』
赤い服の少女が、こちらに向かって手をかざす。するとどうだろう、彼女の腕がブクブクと膨れはじめたではないか。まるで、風船のように。
「本性を、現したようじゃのう」
夜永姫さんが、ニタぁっと笑う。
ブクブクと膨れ、巨大化した腕には、びっしりと赤い毛が生えている。それはどう見ても、少女の腕じゃない。
それは、獣の腕だった。
「夜永姫、おねがいします」
「10じゃな」
赤い服の少女が、巨大な腕を夜永姫さんにふり下ろす。しかし夜永姫さんは、難なくその腕をかわした。
「ほおれ、喰らうがよい」
そのまま夜永姫さんは、赤い服の少女のお腹を、おもいっきり蹴飛ばした。赤い服の少女は、校舎の壁にたたきつけられる。
「夜永姫、トドメを」
「37じゃ」
夜永姫さんが走りだす。赤い服の少女も、夜永姫さん目がけて走る。
猛スピードの二人が、勢いよくぶつかる──と、思ったその瞬間、
赤い服の少女が、スルッと夜永姫さんをかわした。
「お?」と、意外そうな夜永姫さん。
なんと、赤い服の少女はそのまま、冬崎さんのほうに突っこんでくる!
赤い服の少女の巨大な腕が、鋭い爪が、冬崎さんに迫る。夜永姫さんは助けに来ない。冬崎さんは無表情で、巨大な腕を見つめている。
あ、このままじゃ、冬崎さん……死ぬ?
巨大な腕の動きは、なぜかスローモーションみたいにゆっくり。
ああ、車に轢かれそうな人を見るときって、こんな感じなんだろうな──そんな場違いなことを考えて、わたしは、わたしは、わたしは──
「冬崎さんっ! 危ない!」
わたしは冬崎さんに体当たりした。わたしたちは、重なるようにして倒れる。
「冬崎さん、だいじょうぶ!?」
「……真珠川さん、どうして」
「うん?」
「どうして、助けてくれたのですか?」
「どうしてって、体がとっさに動いて」
冬崎さんの無表情に、一瞬、おどろきの色が浮かぶ。
「怖くは、ないのですか?」
「それは……」
わたしがどう答えていいか悩んでいると、
『さ……さわる』
赤い服の少女の腕が、ふたたびこちらに向かってのびる。
「夜永姫っ!」
「15じゃ」
夜永姫さんは猛スピードで、わたしと冬崎さんを抱えると、赤い服の少女の腕をかわした。
「夜永姫、どうして助けてくれなかったのですか?」
「契約外じゃろ、37じゃ足らんよ」
さっきから、10とか37とか、なんの話をしているんだろう。
「では、トドメを。もう、終わりにするのです」
「うむ。90じゃ」
そう言って、冬崎さんの影にふれる夜永姫さん。するとどうだろう、影から一本の日本刀が現れた。
鞘も柄も真っ黒に塗り固められた、長身の夜永姫さんにも負けない、それはそれは大きな刀。
「ほれほれ、どうしたどうした、さっさとかかってくるがよい」
夜永姫さんは刀を抜くと、楽しげに赤い服の少女を挑発。
それを見た赤い服の少女は、勢いよく走りだす──わたしたちに背を向けて。
「え?」「え?」「え?」
わたし、冬崎さん、夜永姫さんの、拍子抜けした声が重なる。
そんなわたしたちを尻目に、赤い服の少女はあっという間に走り去ってしまった。
「夜永姫……」
「契約外じゃって。白奈もそろそろ限界じゃろう」
「かまいません」
「白奈はかまわなくても、こやつはどうじゃろうな?」
わたしを見る夜永姫さん。
「おいうぬ、名前はなんじゃった?」
「えっと、真珠川、真珠川真見、です」
「真見よ、背中にふれてみ」
言うとおりにすると、ブレザーに違和感がある。脱いでたしかめると、ブレザーに細長い穴が開いていた。
いや、穴というか、切れ目?
「さっき白奈をかばったときに、爪で引っ掻かれたんじゃろうな。白奈よ、今日はもう出直そうぞ。こんな真見を、一人にしておくつもりか? わらわより鬼じゃのう」
「……わかったのです」
フッと息を吐きながら、冬崎さんはうなずいた。
「真珠川さん、助けていただきありがとうございます。そして、ごめんなさい」
「いやいや、助けてもらったのはこっちだよ。こちらこそありがとう。えっと、夜永姫さんも、ありがとうございます」
「うむ」
くるしゅうない、といった感じに、夜永姫さんはうなずいた。
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