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それからわたしたちは学園を出て、近所のコンビニのイートインコーナーに並んで座った。
わたしたちといっても、夜永姫さんは影の中。
「さて、どこから話しましょうか」
紙パックのココアを飲んでから、冬崎さんが口を開く。
「冬崎さんはその、祓い屋ってやつなんだっけ?」
「ええ。先祖代々、それを生業にしています」
「生業って、かっこいい響きだね」
「スパイシーって感じですよね」
それは生姜だ!
「真珠川さんはほめてくれますが、怪しい商売なのです。よく詐欺師呼ばわりされますし」
「そんなことないよ、カッコよくて、人の役に立つ仕事じゃん。わたしの親なんて小説家だよ?」
「なるほど小説家……ある意味、最も詐欺師に近い職業ですね」
ウソを金にするのがオレの仕事だって、お父さんはよく言っていた。ちなみにお母さんはいない。
「わたしが丘ノ上女学園に転校してきたのは、依頼を受けたからです。学園に広まった不思議なウワサを、調査してほしいと」
「不思議といえば、夜永姫さんも不思議だけど」
「夜永姫は、代々祓い屋をしてきた冬崎家が、代々契約している悪鬼です」
「契約……」
「そう、契約。悪魔に魂を売ることで、特殊な力を得る、そんな話を聞いたことはありませんか? 神様に生け贄を捧げて、願いを叶えてもらう、そんな話を聞いたことはありませんか? なにかを得るためには、なにかを失う、この世はすべて、そういう風にできているのです。代償を払うことで、夜永姫に力を貸してもらえる──わたしはそんな契約を結んでいます」
「じゃあ、さっきの10とか37っていうのは」
「血、です。10ml、37ml、わたしは血を、夜永姫に捧げているのです」
そういえば、ココアって鉄分豊富だ。
「ちなみにここも、そうなのですよ」
冬崎さんが自分の左目を指さす。
「ここって?」
「よく、見てください」
そう言って、白奈はじっとわたしを見つめた。あらためて思う、なんて大きな瞳だろう。吸いこまれそうな瞳って、ほんとにあるんだ。
「あれ?」
わたしは気づく。白奈の、その二つの瞳。よく見ると、なにか違和感。
「……あっ、色が!」
「気づきましたか」
右の瞳と左の瞳で、色がちがう。左のほうが、少しうすい。
「左は義眼です。これも、代償なのです」
「代償? まさか夜永姫さんが、左目を食べたの!?」
「すてきな発想ですが、代償として捧げたのは左目の視力です。夜永姫とはじめて会った日に捧げました。新規契約料、といったところですね」
「そんな、スマホみたいに……」
冬崎さんの口調は、あっけらかんとしていた。それが逆に、冬崎さんが特別だってことを際立たせる。
「そんなに見つめないでください、せっかくの義眼に穴が開いてしまいそうです」
「あっ、ごめん」
無意識に、わたしは義眼を見つめてしまっていたらしい。
「べつに、同情してくれなくていいのです。片目生活にも、さすがに慣れましたから」
「いや、同情とかじゃなくて、その、キレイだなって思ったの。大きくて、宝石みたいな瞳だなって」
「…………」
わたしがそう言うと、なぜかそのキレイな瞳を、冬崎さんは大きく見開く。そのまま冬崎さんは前を向いて、だまってしまう。
もしかして、怒らせてしまったかな──そう思っていたら、冬崎さんの耳が赤くなっていることに気づく。
もしかして、照れてる?
「美障女」
冬崎さんがポツリとつぶやいた。
「はい? 美少女?」
たしかに、あなたは美少女だけど。
「ちがいます、美障女です。美しいの美に、障りの障、それに女で、美障女。ここまで歩いてくる途中、夜永姫が影の中から教えてくれたのです。赤い服の少女の正体は、おそらく美障女だろうと。おかげで、また血を抜かれてしまいましたが……」
「その美障女って、いったいどういう?」
「猿、らしいですよ」
「さ、猿?」
「そう、あの腕を見たでしょう? 毛むくじゃらの腕を」
そうだ、たしかにあれは、獣の腕だった。
「美障女はもちろん、美少女にかかっていますが、美症状や美猩々ともかかっているのです。わかりますか? 猩々とは、オランウータンの別名で、もともとは赤い毛をもつ猿の怪異の名前なのです」
「猿の怪異が、どうして人の美しさを奪うの?」
「夜永姫いわく、自分を美しくするためだろう、と。美障女の顔には穴が開いていましたね?」
「うん」
「他人の美しさを奪い、自分のものにすることで、空白を埋めているのです。さまざまな美を集め、一つの完成された『美』をつくりだしたとき、美障女の穴はすべて埋まります」
美障女の顔にはたくさんの穴があった。まだ、事件は終わらないんだ。
「ただ……気になることがあります」
「気になること?」
「夜永姫が言うには、美障女は弱い怪異なんだそうです。とっくの昔に伝承が途絶えたマイナー怪異で、こんなにも頻繁に、人に危害を加えるほどの力はないと。こんな言い方がふさわしいかわかりませんが、オワコン化した怪異だと、夜永姫は言うのです」
「じゃあ、どうして?」
「考えられるとしたら一つ。美障女が、だれかと契約したのです」
「え、でも」
「なにかを得るにはなにかを失う、それは怪異側にも言えるのです。人間と契約を結ぶことで、怪異はその力を増します」
いったいだれが契約を──と質問しようとして、すぐに気づく。
「真珠川さんも気づきましたか。ええ、そうです。事件は丘ノ上女学園で起きて、丘ノ上女学園の生徒が狙われています」
「丘ノ上女学園の関係者が、契約しているってこと?」
「その可能性は高いのです。調査をしなければなりません。まずは、被害者たちに話を聞きます。わたしと夜永姫のように、怪異とその契約者は近くにいることが多い。なにか目撃証言が得られるかもしれません」
「でも冬崎さん、コミュニケーションが苦手って言ってたけど、だいじょうぶ?」
「だ……だ」
「だ?」
「だいじょうぶ……です……よ?」
「目が泳いでるけど」
「泳いでいません。目の焦点が定まらず、キョロキョロしているだけです」
「それを目が泳いでるという」
「だいじょうぶです、だいじょうぶだから、だいじょうぶ、つまり、その、だいじょうぶです」
だいじょうぶの一点張り!
「……だいじょうぶです。だいじょうぶじゃなくても、だいじょうぶにするんです。いつも、そうしてきたんですから……」
そう言って、冬崎さんはギュッとこぶしを握った。
いつも、そうしてきた。
冬崎さんの言葉が、わたしの胸に響いた。そうか、冬崎さんはいつも一人で……。
「冬崎さん、わたしも手伝うよ」
自然と、そんな言葉が口からこぼれた。
「……なんで」
冬崎さんは無表情で、ポカンと口を開けている。
「なんで、手伝おうだなんて言うのです?」
「だって、そのほうがいいかなって。冬崎さん、学園にもまだ慣れてないだろうし」
「そうではなくて。真珠川さんに、わたしを手伝うメリットがありません──いや、その前に、怖くないのですか? あなたはわたしをかばって、背中を切り裂かれたのに」
切り裂かれたのはブレザーだけどね……とはツッコまなかった。冬崎さんの目が真剣だったから。
「真珠川さん、怖く、ないのですか?」
怖くは、なかった。
うん。
話そうか。
いままでわたしは、自分の秘密をだれにも話したことがなかった。だけど、今日は話してみよう。
冬崎さんの真剣な目には、真剣な言葉で応えたくなったんだ。
「怖くないのかって質問だけど、うん、怖くはないよ。ねえ冬崎さん、わたしね、怖いって感情がわからないの」
「わからない?」
「うん。暗い闇も、巨大な虫も、怒った人も、尖った刃も、高いところも、狭いところも、幽霊も妖怪もアヤカシも怪異も、そして死も」
わたしはまったく怖くない。
「恐怖心がなくなったのはいつからだろう。ぜんぜん思い出せないんだ」
なんの前触れもなく、いつの間にか、わたしは恐怖がわからなくなっていた。
「さっき冬崎さんをかばったのも、わたしに勇気があったからじゃない。怖くなかったから、とっさに動けただけなんだ」
そうじゃなかったら、赤い服の少女を見た時点で、わたしはガクブルに震えて、なにもできなかったんじゃないか。
「だから、わたしは平気だよ。なんのメリットがあるんだって話だけど、わたしが手伝いたいからじゃ、ダメかな?」
なぜだか、この子はほっとけないんだ。
「でも、調査には危険がつきもので……」
冬崎さんはためらうように、首を横にふった。
わたしは思い出す。学園の廊下で冬崎さんが見せた、さびしい笑みを。自己紹介のあと、冬崎さんがクラスメイトと壁をつくっていたことを。
もしかして、わたしやクラスメイトを危険に巻きこまないように、冬崎さんはあえて孤立していたんじゃないか。
……あぁ、そうか。だから、ほっとけないんだ。
「べつにいいじゃろ」
冬崎さんの足元から、声が聞こえた。見れば、夜永姫さんが影から顔を出している。
たぶんこれ、知らない人が見たらすっごく怖いんだろうな。
「せっかく手伝うと言っておるんじゃ、甘えればよかろう。真見は使える」
「わたし、使えるの?」
「わらわや美障女とかかわれている時点で、真見は怪異と縁があるんじゃ。いまのわらわの姿もな、本来普通の人間には見えん。鬼を見る才能、見鬼の才があるんじゃな」
じゃあわたし、端から見れば、人の足元に話しかけてるヤバいやつじゃん。
「う~む、名前のせいかのぅ」
「あ、真実を見るで、真見だから?」
「それもあるし、『まみ』は『魔魅』にも通じる。魔に魅いる、魔を魅いるっての。……どうじゃ白奈、手伝ってもらえよ、おぬし前言ってたじゃろ、いっしょに祓ってくれる仲間が──」
「夜永姫っ!」
無表情のまま、冬崎さんが大きな声を出す。器用だ。
「……わかりました」
冬崎さんは胸に手をあて、大きく深呼吸をした。まるで、なにかを覚悟するみたいに。
「わかりました。真珠川さん、お手伝いをよろしくお願いします」
「うん、こちらこそよろしく。あと、真珠川じゃなくて、真見って呼んでよ。友だちはみんなそう呼んでる」
「そう、ですか。では、真見さんと呼びます」
思わず、笑ってしまう。
「な、なにがおかしいのです?」
「こういうときは、『じゃあ、わたしは白奈って呼んで』って言うものだよ?」
「そう、なのです? わかりました。では白奈と呼んでください」
「すまんのぉ真見、こやつ友だちおらんから、そういう礼儀に疎くての」
「疎くありません。知識や理解が不十分なだけです」
「それを世の中では疎いという……うん?」
ポケットのスマホが震えている。
「あ、もしかして!」
スマホを見ると、やっぱり雫からメッセージが来ていた。
💧真見、まだ帰ってきてないの?
💧だいじょうぶなんだよね?
💧真見?
すっかり忘れてた。後で連絡してって言われたのに。
■ごめんごめん、だいじょうぶ、いま家についたとこ。
💧そうか、よかった!
あわててウソをつくと、すぐに返信が来る。
💧ウワサの赤い服の少女に襲われたんじゃないかって、ボクは心配で心配で。
■やだなぁ、そんなわけないよ、ブレザーに爪がかすってなんかいないよ?
💧ブレザー? 爪?
■たとえだよ、たとえ。そういえば爪と瓜って似てるよね。愛人と変人くらい似てる。
💧話をそらしてない?
■さかなクンとサカナクションくらい似てるし。
💧ウルトラマンとウルトラマラソンくらい似てないよ。
よし、誤魔化せたぞ(たぶん)。別れのあいさつをして、雫とのやりとりをひとまず打ち切った。
「だれ、ですか?」
白奈がじっとこちらを見ている。
「ずいぶん長くやりとりされていましたが」
「うん、雫だよ。月野雫(つきのしずく)」
わたしは雫のことを説明した。雫は幼なじみで、前の学校ではいちばんの友だちだったこと。心配性で、さっきみたいによくメッセージを送ってくること。
「ふうん」
自分でたずねたくせに、白奈の反応は淡白だった。
「いいですね、心配してくれるカレシさんがいて」
「いやいや、カレシじゃなくて友だち。雫は女の子だよ」
ボクっ娘なんだ。
「ふうん、友だち」
またもや淡い反応の白奈。
「妬いてるんじゃろ、真見に自分以外の友だちがおって」
「血をあげますからだまってください」
「7じゃ」
「えーっと、白奈って」
「とにかく」
妬いてるの? そう聞こうとして、さえぎられる。
「とにかく、まずは聞きこみです。わかりましたか真見さん」
「はいはい」
「はいは百回!」
「はいはいはい……って言えるか!」
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