16人が本棚に入れています
本棚に追加
翌日、その放課後。
一人目の聞き込みは、美声を失ったコーラス部の先輩。先に話を聞いた瑠依が、アポを取ってくれたんだ。
「いい白奈? 相手は声を失って間もないんだから、失礼のないようにね」
「失礼と入札って、字面が似てますよね」
「そういうとこだって!」
「これもダメなんですか? まさか、『声を失ってコエー』もダメだったりします?」
「逆に、なんでそれがいいと思った?」
頭がクラクラしてきた。
「まったく、白奈の辞書に常識って文字はないの?」
「ジョ……ジョウ……シキ?」
ほんとにないんかい!
「相手の身になって。もしも白奈が声を失ったとき、声にまつわるしょうもないダジャレを聞かされたら、どうする?」
「お引き取り願いますね」
「でしょ?」
「息を」
「息を!?」
一抹どころか百抹の不安を感じつつ、わたしたちはコーラス部の部室へと足を踏み入れた。
『こんにちはだよっ!』
コーラス部の先輩、霧島心愛(きりしまここあ)さんは、文字を打ちこんだスマホの画面をわたしたちに見せた。
霧島さんはパッチリとした目に、ほどよく日焼けした肌の、活動的な雰囲気をもつ美人さんなのだけど、わたしの目は、のどに巻かれた包帯に吸いよせられてしまう。
『声はさ、出ないことはないんだけど、風邪を引いたブタみたいな声だからさ、筆談させてもらうね、ごめんだよっ』
「いえ、こちらこそ、急に押しかけてしまったのです。今日はお忙しい中ありがとうごさいます。その、お体の調子は?」
白奈は礼儀正しかった。
『体調はいたって健康だよっ! お気づかいありがとうだよっ!』
笑顔とともに、親指を立てる霧島さん。
わたしと白奈は顔を見合わせる。なんというか、想像より明るいな?
『くよくよしたって、しかたないんだよっ!』
わたしたちの心を読んだのか、霧島さんがそんな文章を見せる。
『治らないって決まったわけじゃないしね』
強い人だな、と思った。わたしが霧島さんの立場なら、こんなに前向きになれただろうか。
「当時のことを教えてください。霧島さんはこの部室で、赤い服の少女に遭遇したのですね?」
白奈の言葉に、霧島さんはうなずく。
「赤い服の少女に、見覚えはありませんでしたか?」
『ぜんぜんだよ、あんな怖いもの、はじめてだよっ! 真っ赤で、穴だらけで、左目だけがギロっとにらんでいて、いまでも思い出すと震えちゃうんだ』
「では、赤い服の少女以外に、なにか見ませんでしたか?」
『なにかって?』
「たとえば、少女以外の人間など」
『ううん、見なかった』
「では、猿に心当たりは?」
『猿? 猿ってあの、動物の中では知能が高いけど、しかし決して人間には勝てない、あの猿?」
猿のイメージがシビア!
「ええ、その猿です」と普通に白奈もうなずく。「最近猿を見かけたとか、猿の抜け毛を拾ったとか、猿にまつわるどんな些細なことでもいいのです」
『いやー、心当たりはないね。わたしって百日紅の花が好きだけど、それはさすがに関係ないと思うんだよっ』
たしかに、関係ないだろうな。
『なんか、あれだね、お役に立てなかったみたいだねっ? ごめんだよっ!』
「いえいえ」
とわたしは首をふる。霧島さんがあやまることじゃない。
『二人はさ、赤い服の少女について、なにか知ってるのかな?』
「いえ、くわしいことはなにも。ただ、わたしたちは猿を見たものですから」
打ち合わせどおり、白奈はウソをついた。祓い屋だと名乗って警戒させたり、変な期待を持たせないように──ということらしい。
『そっかそっか。よく無事だったよ!』
霧島さんは自分のことのように喜んでくれた。
『まあ、でもさ、せっかく無事だったんだから、赤い服の少女なんて忘れたほうがいいんじゃないかって、思っちゃうんだよ』
白奈のことを、じっと見る霧島さん。
その目は『だって、冬崎ちゃんはこんなにも美しいんだから』と言っているようだ。
「そうかもしれません。でも、わたしには──いえ」
横目で、わたしを見る白奈。
「わたしたちには、事情があるのです」
『そっか、わかったんだよ。冬崎ちゃんも真珠川ちゃんも、なんか雰囲気あるし、平気なのかもだねっ』
白奈はともかく、わたしはどうだろう?
『わたしのほかにも、被害者に話を聞くのかな?』
「ええ、今日はほかに、バスケ部の穂積(ほづみ)先輩にアポをとっているのです」
『あ~~、穂積ちゃんかぁ』
霧島さんはなんとも言えない顔をした。
「お知り合いなのです?」
『うん、去年同じクラス。たしかに、穂積ちゃんの足は美脚だもんなぁ。赤い服の少女が狙うのもわかるんだよっ!』
そう、穂積さんは美脚を奪われてしまったらしい。
『穂積ちゃんはバスケの特待生だから、ショックはでかいと思うんだ』
それを言うなら、霧島さんだってコーラス部のエース。
『もともと気難しいところがあるし、手短に済ませてあげてほしいんだよ。それに遅くまで学園に残っていると、赤い服の少女が出るかもしれないし』
「ええ、そうします。今日は本当に、ありがとうございました」
そう言って、白奈はちょこんと頭をさげた。
「やればできるじゃん」
コーラス部の部室をあとにしてすぐ、わたしは白奈の背中をたたいた。
「てっきり不謹慎なこと言って、場を凍らすんじゃないかって思ってた」
「コーラス部だけに?」
「それそれ、そういうの」
「わたしだって、たまには空気を読みますよ、満月の日ぐらいは」
「一ヶ月に一日しか読まないんだ」
なんで満月の日なのかも、よくわからんし。
「怪異の被害を受けた人の前でふざけるほど、わたしは不謹慎でもないし、猿でもないのです」
さっきから、みんな猿に厳しくない?
「でもまあ、思ったより霧島先輩、元気そうでよかったね」
「元気ではないでしょう」
「……あ、うん、そうだね、いまのは言いすぎた」
声を失っているのに、元気っていうのはちがうか。本人の雰囲気が明るくて、つい口走ってしまった。
「ねえ真見さん、霧島さんは、のどに包帯をしていたのです」
「うん」
「それって、どうしてなのです?」
「どうしてって……」
そんなの、美障女に美声を奪われたからに──って、あれ? おかしいな?
「そうなんです、おかしいのです」
白奈の大きな瞳が光る。
「包帯とは本来、傷口や腫れ物に巻きつけて、皮膚を保護するものでしょう? どうして霧島先輩は、のどに包帯を巻いているのでしょうか」
声が出なくなったから包帯をしてるんだと、なんとなく納得していたけれど、言われてみればおかしい。
声が出なくなったのは、美障女のせいだ。霧島さんはそれを知っている。包帯なんて巻いても、なんの意味もない。
「じゃ、じゃあ、どうして霧島先輩は包帯を巻いたの?」
「包帯は傷を隠すもの。だから、傷を隠していたと考えるのが、自然だと思います」
「傷を……」
「これはあくまで想像ですが、霧島さんはのどを掻きむしったのではないでしょうか。理由はおそらく、声が出なくなったことにいらだち、悲しみ、絶望したのです」
──くよくよしたって仕方ないんだよっ!
霧島さんの笑顔や、前向きな言葉を思い出す。
「ほんとうは霧島さんも、苦しんでいたんだね……」
「あくまで想像ですが。でも、まあ、ますます美障女をどうにかしないとって気持ちにはなったのです」
白奈はいつものように無表情だったけれど、声には力がこもっていた。
……うん、そうだ。霧島さんのためにも、ぜったい解決したい。
「でもだいじょうぶ? 穂積さんって、気難しいところがあるみたいだよ?」
「お茶の子チャイチャイなのです」
「たしかにチャイはお茶だけど」
それを言うなら〝さいさい〟だ。
「大船行きに乗ったつもりでいてください」
「電車なの?」
それを言うなら〝大船に乗った〟だ。
「ちょっと白奈、美障女の被害に遭ったばかりのときに、変なことわざを聞かされたら、どう思う?」
「去ってほしいですね」
「でしょ?」
「この世から」
「この世から!?」
ほんとうにだいじょうぶかなぁ、と千抹の不安を抱えつつ、わたしたちは穂積さんとの待ち合わせ場所、第二体育館を目指した。
最初のコメントを投稿しよう!