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「奇人変人。ふうん、きみたちか。赤い服の少女を調べている、奇人変人は」
あいさつも抜きに、穂積さんはそう切り出した。
さっぱりとしたショートの髪に、スラッとしたモデル体型。穂積さんは、中性的な魅力を放つ人だった。
これでバスケの特待生なら、下級生からさぞかし人気があるんだろうな。
第二体育館には、わたしと白奈、穂積さんの三人しかいない。美障女のせいで、部活動が自粛されているからだ。
「すわりなよ」
穂積さんは自分がすわっている青いベンチを指さす。だけど白奈は首を横にふった。
「向かい合って話したほうがいい、なんとなくそう思うのです」
「ふーん、へえー」
暑さにやられた猫のような気だるい表情で、穂積さんは白奈を見る。
「眉目秀麗。きみ、きれいだねぇ。ふーん、モデルかなにかやってる? いや、やってなさそうだ」
「わかるのです?」
「わかるさ、自分の美に気づいていない美。そういう美しさがある。だからきみは……えっと、自己紹介がまだだったかい?」
「はじめましてなのです、冬崎白奈と」
「真珠川真見です」
「二年の穂積歩夢(ほづみあゆむ)さ」
優雅に足を組ながら、穂積さんは言った。先輩の左足には、包帯がスキマなく巻かれていた。
「気になるかい?」
わたしを見ながら、穂積さんは左足を指す。
「赤い服の少女に〝美脚〟を奪われてから、人前では見せられない、それはそれは醜い足になってしまってね。おかげで部活も引退さ」
「いえ、その、ジロジロ見てごめんなさい」
「いいさ、どうでも。きみらも、やられたんだろう?」
「はい、そうなんです」
わたしは着ていたブレザーを脱いで、背中の穴を見せる。ほんとはこれ、着るの恥ずかしかったんだけど、白奈がどうしてもって言うから。
「わたしと白奈も、赤い服の少女に襲われました。でも幸いなことに、ブレザーを切り裂かれただけで済んで」
「へえ、これはこれは」
穂積さんがゆっくりと腰をあげ、穴をしげしげと見る。
「危機一髪。うーむ、これまた派手にやられたね。よくもまあ無事だったもんだ。制服で済んだから良かったものの、体を直接引っ掻かれていたら、命にかかわっていたんじゃないか?」
それはそのとおりなのだけど、恐怖心がないせいで、あまり実感がわかない。
「閑話休題。さて、冬崎ちゃんと真珠川ちゃんはなにが聞きたいんだい? ま、どうせ無駄だけど」
「無駄?」と白奈が聞き返す。
「だってそうだろう? あれはこの世のモノじゃない。科学や常識が通用しない化物だ。人間がどうこうできるとは思えない」
「ずいぶん、あきらめが早いのですね?」
「見極めが早いと言ってほしいね」
「では、どうしてあなたは体育館にいるのです?」
「なんだって?」
一瞬。ほんの一瞬。気だるげだった穂積さんの雰囲気が、ピンと張りつめた。
「このベンチ、試合中に控えの選手がすわるものなのです。そうでしょう? それによく見れば、バスケットボールが転がっています」
白奈の言うとおり、体育館の床には、バスケットボールがいくつか転がっていた。
さっきまで、体育館には穂積さんしかいなかった。つまり穂積さんが、バスケットボールを使っていたってことになる。
「穂積さん、あなたはまだ、バスケをあきらめきれていないのでは?」
「なにを言うかと思えば……」
穂積さんは呆れたように肩をすくめた。そんな、芝居がかった動きも絵になる。
「たしかに、わたしはフリースローをしていた。こんな足でも、それくらいはできるから。でもね、こんなのただの遊びだよ。あきらめたからこそ、わたしの中でようやく、バスケが遊びになったのさ。わかるかい、冬崎ちゃん?」
「穂積さんの主張はわかったのです」
「主張じゃなくて事実だ」
穂積さんの表情に、いらだちが混じる。
「もしかして怒らせてしまいましたか? ごめんなさい。わたしはコミュニケーション能力が低くて。どんな職業適性検査を受けても、必ず芸術家タイプと診断されます」
「……いや、わたしも悪かった」
平然とあやまる白奈に毒気を抜かれたのか、穂積さんはフッと息をはいた。
「平身低頭。悪かったよ。最近頭痛がひどくてね。そのせいか、短気になってしまうのさ」
「では、手短に済ませるのです。穂積さんはこの第二体育館で、赤い服の少女に襲われたとのことですが、そのときのくわしい状況を教えてください」
穂積さんは当時のことを語ってくれた。穂積さんは一人でバスケの練習をしていたときに、美障女に左足をさわられてしまったのだという。
「戦戦恐恐。いやはや、ほんとうに恐ろしかった。なんせどきつい赤に、顔が穴だらけときてる。一目でこの世のものではないとわかった」
「赤い服の少女以外に、何者かを見ませんでしたか?」
「いや、見なかったさ、なにも」
「では、猿はどうでしょう?」
「猿? 猿ってあの、猿知恵とか猿真似とかの、あの猿かい?」
だから猿に対してシビア!
「いいや、猿なんて見なかった」
「なるほど、なるほどなのです」
手がかりはなにも得られなかったのに、白奈の声は落ちついていた。
「もういいかい? お役に立てなかったようだ」
そう言って、穂積さんはベンチに置かれた水筒を取ろうとして──
「おっと」
取りそこなって、落としてしまう。
「はい、どうぞなのです」
白奈が水筒を拾って、穂積先輩にさしだす。
「ああ、すまないね冬崎ちゃん」
「ずっと、不思議だったのです」
水筒をわたしながら、白奈がボソッと言った。
「うん? なんだい?」
「ずっと、不思議だったのですよ穂積さん。赤い服の少女──美障女には、左目がありました」
「意味不明。左目? 美少女? 急に、なにを言っているんだ」
「ねえ、真見さん」
穂積さんを無視する白奈。
「真見さんも見たでしょう? あれに、左目があるのを」
たしかに穴だらけの顔にも、左目はあった。わたしはその左目に、強く強くにらまれたんだ。
「あの目は、人間の目でした。つまり赤い服の少女は、人間の左目を手に入れていたんです。それなのに、被害にあった生徒の中に、左目を奪われた人はいませんでした」
霧島さんと穂積さんを除けば、残りの被害者は二人。
ピカピカな白い歯を奪われ、ボロボロになってしまった生徒と、まぶしい笑顔を奪われ、二度と笑みをつくれなくなった生徒。
「左目を奪われた生徒がいたら、ウワサにならないわけがないのです。それではどうして、左目を奪われた生徒が現れないのか。どうしてだと思います?」
白奈の問いに、穂積さんはなにも答えない。
「考えられるのは、その生徒が左目を奪われたことを隠している──という可能性です。ではいったい、どうして隠すのでしょうか。どうしてだと思います?」
白奈の問いに、穂積さんはやっぱりなにも答えない。
「ねえ白奈、白奈はなにが言いたいの?」
たまらず、わたしも白奈に問う。
「ですから真見さん、不思議だったのですよ、左目を奪われたのはだれなのか。それがようやくわかったので、テンションが上がっているのですね」
それが、ようやくわかった?
「信じられませんか? こんなにもテンションアゲアゲなのに」
白奈はいつもの無表情で言う。ぜんぜんテンションアゲアゲには見えない……じゃなくて、
「じゃなくて、白奈はわかったの? 左目を奪われたのが、だれなのか」
「ええ。正確に言えば、左目は奪われていません。捧げられたのです」
奪われていない? 捧げられた?
白奈はスッと穂積さんを見すえた。
「穂積さん、あなたなのです。あなたは左目の視力を、美障女に捧げたのです」
「笑止千万。なにを、言っているんだ、まったく、なにを言って」
笑止千万と言いながら、穂積さんの表情はかたい。
「ねえ穂積さん、わたしも左目が見えないのですよ」
「え? ……なっ!」
穂積さん、白奈の義眼に気づいたようだ。
「誤解している人が多いのですよ。片方の眼が見えるから、問題ないだろうと。ですが、片方しか見えないというのは、不便が多いのです。ね?」
「り、理解不能。ね? って言われても、なにがなんだか……」
「片方の眼だけだと、遠近感がつかめないのです。だから物をつかもうとして、空振ったりして」
「え、それって!」
わたしは大声を出してしまう。
穂積さんはさっき、水筒をつかもうとして落としていた!
「それに片方に意識が集中するからか、偏頭痛にも悩まされました」
「あっ!!!」
またまた、わたしは大声を出す。
──最近ひどくてね、頭痛が。そのせいかな、短気になってしまうのさ。
穂積さんはさっき、そう言っていたじゃないか。
「でも、まって白奈。それってつまり、穂積先輩は左足と左目、二つも美を失ったの?」
「真見さん、さきほどわたしは言いました。包帯は通常、傷を隠すためのものだと。それなら逆に、その先入観を利用して、傷があると誤解させるために包帯を巻く、なんてこともあり得るわけです」
傷を隠すためではなく、傷なんてないことを隠すための包帯。美が奪われていないことを隠すための包帯。
つまり、左足の包帯はフェイク……!
「穂積さんが失ったのは、左目の視力だけなのです。さて、真見さんは覚えていますね? わたしが左目の視力を失った理由を」
「っ! そうか!」
「ええ、夜永姫との新規契約料。悪鬼である夜永姫の力を得るために、左目の視力をさしだしたのです」
「それじゃあ、穂積さんは……!」
わたしは思わず後ずさり、穂積さんから距離をとった。
白奈は逆に、穂積さんにつめ寄るようにして前に出る。
「穂積さん、あなたは美障女と契約したのですね?」
だから〝奪われた〟のではなく〝捧げられた〟なのか。
「支離滅裂、四分五裂、乱雑無章、くだらない、くだらない、くだらない、くだらない」
おかしくてしかたがない、とでもいうように、穂積さんは肩を震わせている。なのに、目はまったく笑っていなかった。
「わたしが左目を奪われた? わたしの美脚は奪われていない? 契約? ヨナガヒメ? いったいなにを言っている? くだらない。ぜんぶきみの妄想だ、どこにあるんだ証拠は?」
「では穂積さん、あなたは本当に契約していないのですね? ましてや、美障女のことなどまったく知らないと」
「清廉潔白。わたしはウソなんかつかない! さっきから、そう言っている!」
大声を出す穂積さん。しかし白奈はまったく動じない。
「穂積さん、あなたは真見さんのブレザーを見たとき、なんて言いましたか?」
「なんだって?」
「真見さんの言葉に対して、あなたはこう言ったのです」
──わたしたちも赤い服の少女に襲われてしまったんです。幸いなことに、ブレザーを切り裂かれるだけで済みました。
──うーむ、これまた派手にやられたね。よくもまあ無事だったもんだ。制服で済んだから良かったものの、体を直接引っ掻かれていたら、命にかかわっていたんじゃないか?
「体を直接引っ掻かれていたら、命にかかわっていたんじゃないか? 体を、直接、引っ掻かれていたら?」
「あ!」
そうか、そういうことか!
「真見さんは切り裂かれたとしか言っていません。それなのにどうして、あれが引っ掻かかれた痕だと知っているのです? 少女に襲われて切り裂かれたのですよ? ふつう、刃物かなにかで切り裂かれたのだと考えるでしょう。あのブレザーを見て、まっさきに、引っ掻かれたとは思わないでしょう」
なんてことだ。白奈はこんなに早い段階から、穂積さんを疑っていたんだ。
「穂積さん、あなたは知っていたんです。ブレザーが爪で引っ掻かれたことを。美障女が、猿の怪異であるということを」
「も、妄言綺語。ち、ちがっ、ちがうんだ、わたしは……」
「認めないのなら、それでもかまわないのです。こちらが勝手に祓うだけなので。穂積さんも払ってくださいね、代償を。なにかを得るためには、なにかを失わなければならない、それがこの世界との契約なので。──夜永姫」
「20じゃ」
影から現れる夜永姫さん。その手には、日本刀が握られている。
「ほうれ、喰らうがよい」
そう言って、夜永姫さんは日本刀を、穂積さんに振り下ろす。
「び、美障女!」
さけぶ穂積さん。すると穂積先輩の体はフワッと浮き上がり、日本刀をかわした。
……あぁ、美障女だ。美障女が、穂積さんを抱きかかえている!
「好事多魔、眼中之釘、よくもわたしの邪魔をしたなぁ!」
宙に浮かんだまま、穂積さんが怒りに目を光らせた。そこにはもう、気だるげで、どこか芝居がかった雰囲気はない。
「あーあ、見逃してやろうと思ったのに。わたしに刃物を向けたな? もうゆるさない、ゆるさない、ゆるさないぃぃぃ……!」
美障女の腕が膨らんで、毛むくじゃらな獣の腕へと変化する。いや、腕だけじゃない。顔も、足も、胴体も、大きく膨らんで、毛むくじゃらになっていく。
やがて、赤い服を着た少女は、赤い毛におおわれた、巨大な猿へと姿を変えた。
「ゆるさない? べつに、穂積さんにゆるしてもらう必要はないのですが。思い上がりというやつですよ」
「思い上がりじゃし、物理的に宙に上がっておるし。さっさと降りてこんか」
美障女の本当の姿を見ても、白奈と夜永姫さんはまったく動じていない。
「信賞必罰。わかったよ、降りてきてやるよ。さわる、さわる、さわる! おまえらの美を奪ってやる! 見る影もないような、見るに耐えない、醜い姿にしてやるよ!」
大猿となった美障女とともに、穂積さんが地上に降り立つ。
「さわる、さわる! なめるな、わたしを、わたしをなめるな……!」
「べつに、なめてないのです。あなたが勝手に、なめられるのを恐れているだけ」
「なんだとぉっ! ちょっと美人だからって、調子にのんなぁぁ!」
歯をむき出しにして、白奈をにらむ穂輩さん。整った顔が台無しだった。
「穂積さん、あなたはたぶん、大きなコンプレックスを抱えているのです。他人が気になってしかたがないのでしょう? 経験上、そういう人間は怪異に目をつけられる」
「知ったような口をたたくな! おまえが、わたしを語るな!」
「怒らせてしまいましたね? やはり、わたしはコミュニケーション能力が低い」
人形じみた無表情でいる白奈とは反対に、穂積さんの顔はどんどん赤くなっていく。
「しかし穂積さん、あなたも知ったようなことを言っていたのです。なんでしたっけ? 自分の美に気づいていない美、ですか。ふうん、あなたが事件を起こしたのは、その辺に原因があるのでしょうか。そんなに、他人の美が気になりますか? あなたはなにが、〝ゆるせなかった〟のです?」
「うるっっさい! スカしやがってよぉ!」
穂積さんはさけびながら、頭をかきむしる。
「さわる、さわる、くそっ、くそっ、さわる、さわる、さわる、おまえ、おまえ、おまえぇ、気にさわるんだよおおおおっ!!!」
美障女の巨大な腕が、白奈に向かってのびた。
それでも、白奈は平然としていた。
「夜永姫、今度こそトドメを」
「240じゃ」
そう言って、夜永姫さんが刀を抜いた──その瞬間、美障女の腕は、真っ二つに斬られていた。
いや、腕だけじゃない。美障女の毛むくじゃらの体が、次々に斬られていく。あまりの早業に、美障女はどうすることもできない。どんどん細かく、バラバラに、美障女は分解されていく。
「……あ、そんなっ……」
あっけなくやられた美障女を、穂積さんは呆然と見つめている。
しかも、それで終わりじゃなかった。
「んじゃ、いっただっきま~~~すじゃ!」
なんと夜永姫さんが、バラバラになった美障女の体を、次々と口に入れ、ムシャムシャ食べはじめたんだ!
大柄で、きらびやかな美女が、毛むくじゃらの猿をおいしそうに食べる。悪夢のような光景に、わたしは言葉を失う。
「ひいぃぃぃっっ!」
悲鳴が体育館に響いた。悲鳴を出したのは穂積さん。
彼女は尻もちをついて、夜永姫さんを見ている。その目は限界まで開かれて、全身はガクガクに震えている。
「くっくっく、穂積とやら、わらわが怖いか? 親しみをこめて、悪ッ鬼ーナと呼んでもよいぞ?」
そう言って笑う夜永姫さんの口から、どす黒い血が滴り落ちた。
「それとも、うぬも、喰ってやろうか?」
裂けてしまいそうなほど口を大きく開けて、夜永姫さんは穂積さんに迫る。
「いっ、いっ、いやぁぁぁああああっっ!」
つんざくようなさけび声をあげ、穂積さんは床に倒れた。
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