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「ねえねえ、真見(まみ)ちゃーん」
教室に入ったとたん、瑠依(るい)が話しかけてきた。
瑠依──雨森瑠依(あめもりるい)は、わたしが丘ノ上女学園中等部に転校して、さいしょにできた友だち。
「ねえねえ真見ちゃん、あのねー、そのねー、またぁ……事件なんだよぉ」
寝起きのような、ゆったりテンポで話す瑠依。だけど瞳は真剣だ。
「事件?」
机にカバンを置きながら、わたしはたずねる。
「そう、事件だよぉ。今度は二年の先輩だって」
またか、と思う。
周りを見れば、教室全体が騒がしい。みんな顔を寄せあって、ヒソヒソ話をしている。
そうか。みんな、事件のことを話してるんだ。
「二年のねぇ、先輩がねぇ、夜のねぇ、校舎でねぇ、練習をねぇ、あ、そうそう、部活のねぇ、練習だったんだけどもぉ、そのね、急にね、つまりぃ」
「まって瑠依」
早送りボタンを押したくなるほど、瑠依はダラダラ話す。
「簡潔にまとめて」
「先輩赤服少女遭遇結果声不出」
まとめすぎて中国語みたいになっているけど、意味はわかった。
だって、予想どおりだったから。
赤服少女──赤い服の少女。それはいま、わたしたち生徒を、いちばん騒がせている存在。
いちばん、恐れられている存在。
いわく、赤い服の少女を見たものは、美しさを奪われる。
美しさに目を奪われる──ではない。美しさを奪われる、だ。
丘ノ上女学園には、赤い服の少女に出会った生徒が何人かいる。その生徒たちはみな、美しさを奪われてしまったんだ。
ある生徒はツヤのある黒髪を奪われた。髪はすべて、パサパサの総白髪になってしまった。
ある生徒はしなやかな足を奪われた。足は腫れて変色し、満足に動かなくなってしまった。
ある生徒は真っ白に光る歯を奪われた。歯は砂糖菓子のようにボロボロに崩れてしまった。
ある生徒は明るい笑顔を奪われた。笑うと表情は無惨に歪み、見る者に恐怖をもたらした。
これらの生徒はみな、学園内で少女を見たという。
どんな夕焼けよりも、どんな炎よりも、どんな血よりも、赤い服を着た少女を。
「あのね、コーラス部の先輩がねぇ、居残り練習してたの。居残りしてたのは、先輩が下手だからじゃなくてぇ、むしろコーラス部のエースだったんだけどぉ。あ、そうか。遅くまで練習してたから、エースになれたのかもぉ」
勝手に話しはじめる瑠依。おっとりしているのに、ウワサ好きなんだ。赤い服の少女に関する情報は、ぜんぶ瑠依から教わった。
「でねでねぇ、外がすっかり暗くなってね、さすがにそろそろ帰ろうかってときにね、背中に視線を感じたんだよぉ」
「視線を」
「うん、視線を。粘っこくてぇ、冷たぁーい視線。先輩は背中を指でスゥーっと撫でられたみたいにぃ、ゾクゾクっと体を震わせちゃって」
「見てきたように話す」
「ありがとぉ」
ほめてない。
「先輩はね、急いで部室を出ようとしたんだぁ」
「どうして?」
「もちろん、赤い服の少女のウワサを知ってたからだよぉ」
「そうじゃなくて」
わたしは首を横にふる。
「どうして先輩はふり向かなかったの? 背中に視線を感じたんでしょ? ふり向いて、正体をたしかめないの?」
「ええ~それはぁ~」
今度は、瑠依が首をふる。
「えっとえっとぉ、それはちがうよ真見ちゃん。先輩は正体を、たしかめたくなかったんだよぉ」
「たしかめたくなかった?」
「だってだってぇ、正体をたしかめて、ほんとうに赤い服の少女だったらヤだよぉ。正体をたしかめずにいれば、気のせいって可能性が残り続けるもーん」
「正体があやふやなほうが、イヤだけど」
「真見ちゃんは怖いもの知らずだぁ」
「…………」
それは、そうかもしれない。
「でねぇ、先輩はふり返らず去ろうとしたんだけれど、ガシッと肩をつかまれたのぉ。逃がさないぞっていうように、五本の指の一本一本に、ぎゅっと力がこめられていてぇ」
「見てきたように話す」
「ほめてもぉ、五千円しか出ないよ~」
ほめてないし、けっこう出るし。
「肩をつかまれても、先輩はふり向かなかった。いや、ふり向けなかったんだぁ」
「怖すぎて?」
「うん、怖すぎて」
当然でしょ、という風にうなずく瑠依。
「肩をつかまれたまま、先輩は固まって動けなかった。向こうも、肩をつかんだまま動かなかった。それから、どれほど時間がたったか、とつぜん、声が聞こえたんだぁ」
──『さわる』
「さわる……」
「うん、『さわる』ってね、そう言ったんだぁ」
たしかに、肩にさわっているけど。
「それでね、意外な言葉に拍子抜けした先輩はね、思わずふり向いてしまったんだよぉ」
「そこにはもちろん」
「うん、赤い服の少女がいた。その少女はねぇ、先輩にねぇ、笑いかけたの。いや、笑いかけたんだと、思うのぉ」
「あいまいだね?」
「そりゃあ、そうだよ。だってね、だってねぇ、赤い服の少女はね、少女の顔にはね、穴が空いていたんだからぁ」
瑠依の声が震えているのに気づく。あぁ、そうか、瑠依はおびえているんだ。
「瑠依、穴っていうのは、もちろん鼻の穴じゃないんだよね?」
こくり、と瑠依がうなずく。
「顔にねぇ、何個も何個もね、穴が空いていたの。先が見通せない穴、ブラックホールみたいに真っ暗な穴。顔のパーツもほとんど見えない。だからねぇ、表情がわかりにくかったんだけどね、笑ったように見えたんだって」
顔が穴だらけの、赤い服の少女。
だれもいない夜の学校で、そんなものに出会ったら、きっと怖いんだろうな──たぶん。
「それからね、先輩はね、部室で倒れているのを先生に発見されたんだぁ。命に別状はなかったんだけど、声が出なくなったの。コーラス部エースの、美声が」
やっぱり、美しさを奪われたのか。
「……怖いなぁ」
しみじみと瑠依がつぶやく。
「怖い?」
「真見ちゃんは、怖くないの? だってだって、自分の美しさが盗られちゃうかも、なんだよぉ?」
「それは、まあ、イヤだけど」
「そりゃあね、わたしもぉ、自分がすんごい美人さんだとは思わないよ? 赤い服の少女に狙われるほどの美点を持ってるとは言わないよ? だけど、やっぱり怖いよぉ」
赤い服の少女は、単なるウワサじゃない。じっさいに被害者が何人もいて、美しさを奪われている。
それになにより、瑠依は女の子なんだ。美しさを奪われる──醜くなってしまうのを、怖がるのは当然で。
だから、
「……うん、そうだね、怖いね」
わたしはウソをついた。
「おーい、席についてくれ! ホームルームをはじめるぞー!」
そう言って教室に入ってきたのは、担任の眉墨(まゆずみ)先生。ウワサ話で盛り上がっていたクラスメイトたちは、いっせいに席に着いた。
「みんな聞いてくれ。とつぜんだが一年三組に、新しい仲間ができるぞ」
先生の言葉に、ざわつく教室。
何人かの生徒は、おどろきながらわたしを見ている。正直、わたしもおどろいた。
わたしが丘ノ上女学園中等部に来て、まだ三ヶ月。さらにべつの転校生が!?
「よし、入ってきていいぞ」
先生の呼びかけに、教室の扉がひらく。
クラスメイトたちのざわめきが、一瞬で静まった。
なぜなら、教室に入ってきた少女が、とても美しかったから。
闇夜のような黒髪。新雪のような肌。長い手足に、すーっと通った鼻筋。抱きしめたら折れてしまいそうな華奢な体は、まるでガラス細工のよう。
そしてなによりわたしを惹きつけたのは、少女の目。
大きくて澄みきった目は、星を宿したみたいに輝いていた。大げさじゃない。ほんとうに、輝いて見えた。
わたしの頭によぎったのは、赤い服の少女。いや、わたしだけじゃない。きっと、クラスメイトのだれもが、赤い服の少女のことを考えている。
この、すべてが美しい転校生から、赤い服の少女はなにを奪うんだろうって。
「冬崎(ふゆさき)です」
転校生が口をひらく。一人言をつぶやくような口調だった。
「冬崎です。冬崎白奈(ふゆさきしろな)なのです。寒々しい名前ですね」
今度は他人事みたいな口調だった。
「…………」
教室中が、冬崎さんの次の言葉を待った。
だけど、冬崎さんはなにも言わない。ただ、大きな瞳を、ボーッと天井に向けている。
「おい冬崎、それだけか?」
見かねた先生が問うと、冬崎さんは無表情でうなずいた。
「いや、なんかその、もうちょいあるだろ」
「もうちょい?」
知らない言葉を聞いたときのように、冬崎さんは聞き返す。
「ほら、たとえば趣味とか、特技のこととか」
「ベニテングダケ?」
「毒キノコのことじゃねえよ、特技のことだ。……いや、特技じゃなくてもいいから、なんかないか? なんでもいいぞ」
冬崎さんは目を閉じた。それは、自己紹介の内容を考えているようにも、先生の注文を無視しているようにも見えた。
教室にいるだれもが、冬崎さんを見守っている。冬崎さんから、目が離せない。
「じゃあ、なんでもいいのなら、一つ質問するのです」
まぶたと口を、同時にひらく冬崎さん。
「ねえみなさん、わたしは美しいですか?」
予想外の質問に、答えるものはいなかった。
とまどうクラスメイトたちを見て、冬崎さんは不思議そうに首をかしげた。
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