お姉ちゃんのマーボーなす

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「みーくん、おいしい?」  食卓で向かい合った姉が微笑み、弟にたずねる。 「うまい。ねーちゃんが作るもんは、なんでも好きだ」  おかずの麻婆茄子(マーボーなす)にかんしてはもう少し辛い味つけのほうが好みだと思いながらも、弟は模範解答を選んだ。姉は頬を染め、オーバーにのけぞって身をよじらせる。 「あへぇ〜! うれしぃぃ! お姉ちゃん、みーくんにほめてもらえるのがこの世でイチバン幸せだよぉ〜!」  この姉弟(きょうだい)の家は両親が共働きで帰りも遅いとあって、食事のしたくを含む家事は基本的に姉が担当していた。自然と姉弟ふたりきりで過ごす時間が増えていくうち、姉は弟に対して並々ならぬ愛情をそそぐようになった。 「ところで今日、クラスの女からチョコもらったんだ」  弟が何気なく切り出すと、姉はピクンと肩を揺らす。 「へー。そーなんだ……それ、もしかして本命かな?」 「違う違う。そういうんじゃないよ。ちょっとよく話す程度のヒト。むしろ急に渡されてびっくりしたくらい。それで、手作りチョコって言われて思ったんだけどさ、あれって実はホントの意味での手作りじゃないよねぇ」 「うん?」 「お店で買ったやつを溶かしてまた固めただけじゃん。カカオ豆から育てて作った、ってわけでもあるまいし」 「みーくんは……それもらった時、嬉しくなかった?」 「いや、嬉しかったよ。バレンタインでチョコもらうの初めてだったし、男のステータスみたいなとこあるし。単に言葉の定義のハナシ。ホントは手作りじゃないのに手作りって言ってるのはどうかなって思っただけ……」  その時である。姉の表情が、目に見えて陰ったのは。 「そっか、そっか……じゃあ、みーくんは、今日の麻婆茄子も、心の底では不満に思ってるってことだね……」 「えっ? ちょっと待ってよ。なんでそうなるのさ? だってこれはちゃんと、ねーちゃんの手作りでしょ?」 「ちがうの。それは違うの! 市販の麻婆茄子のもとを使って材料を切って炒めただけなの! ダメなのよ!」  姉は涙ながらに席を立って走り、外に飛び出す。  数年後、失踪扱いになっていた姉が突然、帰宅した。弟は安心すると同時、怒りを感じて、姉に詰め寄った。 「ねーちゃん! どこいってたんだよ! ずっと音沙汰なしで! 俺も父さんも母さんも、心配してたのに!」 「ごめんね。でも聞いてほしいの。お姉ちゃん、ついにホントの手作り麻婆茄子を作れるようになったんだよ」  懐かしい微笑みとともに言い聞かされても、弟は姉の言葉の意味をまったく理解できずにいた。すると姉は、おもむろにキッチンに立ち、持参してきた食材で調理を始めた。数十分ののち、食卓に運ばれたのは麻婆茄子。 「どうぞ。めしあがれ」 「い……いただきます」 「どうかな?」 「おいしいよ……」  完食しても、弟はそう答えることしかできない。あの日の麻婆茄子との違いが、彼にはわからない。すると、姉は手提げカバンから遺影を取り出して、卓上に置く。 「これはね、ひき肉になってくれたブタのピーちゃん。今日のためにお姉ちゃんが赤ちゃんから育てたんだよ」  絶句する弟をよそに姉は言葉を続けた。 「お姉ちゃんね、あれから勉強して資格とって借金して土地を買って養豚所を始めたの。で、別に畑も買って、おナスとネギとニンジンとピーマンとゴマとニンニクとショウガとカタクリとコショウとサトウキビと大豆も、料理酒に使うお米とか、お酢に使う小麦も栽培したわ。あと、本場・中国のラー油と豆板醤(トーバンジャン)甜麺醤(テンメンジャン)の工場も買収しちゃった。ホントの手作りを食べてもらうには、まず育む(・・)ことから始めなくちゃいけないと思って……」  あの日の、自らの軽率な発言が、姉の人生すらもねじ曲げてしまったのだと思い知った瞬間、弟は恐怖した。 「感謝してね……みーくん。お姉ちゃんにじゃなくて、今日のための食材になってくれた、すべての命に……」 「ご……ごちそうさま、でした……」  弟の目からは自然と、ひとすじの涙がこぼれていた。  さらに数年後、弟は最愛の姉と対峙していた。彼女のこだわりは暴走し、ついに悪魔に魂を売ったのである。 「ねーちゃん、やめてくれ! 麻婆茄子のために地球を破壊するなんて間違ってる! 正気に戻ってくれよ!」 「お姉ちゃんね、気づいたの、考えが甘かったってね。材料を育てるところから始めても、それはしょせん神による既製品である地球の土が生んだものにすぎないわ。真の手作りを極めるなら、星から創り直さなくっちゃ」  魔王と化した姉めがけ、弟は剣をにぎって走り出す。世界存亡をかけた、姉弟の悲しき戦いが始まったのだ。 「うおおおお! ねーちゃんは俺が止める!」 「さァ来なさぁい! みーくぅぅぅぅんっ!」  続かない
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