ちぎりを今再び

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 外壁の縁に立つ。見下ろした先には手入れのされていない森があった。ちらちらと見えるのは森と同じ色合いの布を被った人間の姿。  今日の任務は、王宮へと近付いてきていた潜伏兵へ急襲し彼らの指揮官を引きずり出すこと。捕らえた捕虜によれば、その指揮官はライカと同い年だという。つまり前世では同じ年に死んだ人間だということだ。ライカの前世であるサハルが死んだ時期は大戦只中だったから不思議な話ではない。  眼下を眺め、ふ、と片足を前に出す。す、と全身が沈む。  足場を失った全身が真っ直ぐに外壁から落ちる。  落下――体を逸らして回転、頭から剣を掲げた腕と共に降下。 「はあっ!」  落下地点にいた敵兵の肩口へと体重もろとも剣を叩きつける。骨が砕け肉が散る。着地、その勢いを殺さないまま体を旋回、腕を振り回す形で剣を振る。無警戒だった人間達へと刃先が当たる手応え。 「うあっ……!」 「ぐああっ!」  声。そして。  ぶわりと吹き上がる、赤。  ――ぞ、と体内が熱くなる。  不意に笑みが漏れる。  ああ。  やはりこの色は良い。 「……はは、はははははは!」  敵が戦闘態勢を取る前に剣を振る。時折飛び上がって相手の頭を蹴り飛ばす。顔面を斬り、首をへし折り、腕を捻り上げて地面に叩きつける。  痛みを訴える悲鳴が、赤が、散る。  何という快感か!  思考が鮮明に、ただ一つへと集中する。他の何をも考えられなくなる。  殺せ。  殺戮を、血を、赤を。  母なる赤を、さらにたくさんの赤を、眼前に! 「……っ、の!」  誰かが悔しげに何かを投げつけてくる。何回も何十年も何百年も軍人として戦場に立ち続けてきたライカには大したものでもなかった。即座に首を振り回避、投げナイフを投げつけてきた敵兵へと一歩大きく踏み込み接近、すかさずその懐に鎧の隙間を狙って剣を突き刺す。  手応え。  服を、肉を、全てを貫く、筋を断つ感触。  そして、血。  血だ。 「ははははは!」  笑いが止まらない。  ――刹那。 「たああああああああっ!」  突然の雄叫びと共に死角の外から殺気が迫ってきた。後頭部を潰される――しかし前面の兵士が邪魔で前方へ回避できない。  ち、と舌打ちし、その場でしゃがみ込みつつ手元の兵士を引き寄せた。頭上へとその上体を引き上げる。ガッという重く湿気た音と共に頭上で血と脳漿が散った。  死体となった兵士をそちらへと放り投げ、その隙に身を転がす。距離を取り、威嚇を込めて剣先をそちらへ向けて――ライカは背後を強襲してきた相手を見た。  女だった。  長い髪をそのまま流した女だった。敵兵を意味する軍服を身につけた体は鍛え上げられ、その片手に太い金属棍棒が握られている。他の兵士を従える凛々しい顔立ちはまさに戦場に似合いだった。とはいえ戦場に女は珍しい。男と体力差があるからだ。それに、王宮女官の方が待遇が良いため大抵の女はそちらを目指す。軍隊に女が全くいないわけではないが、大抵は参謀役や女性王族の専属守護隊へ所属し、戦場の前線には出てこない。  珍しい。  そう、珍しいのだ。 「……は、は」  ライカは笑った。笑いが止まらなかった。けれど先程までとは違う、喉が引き攣っているかのようなそれは嗚咽めいていた。  ふらりと立ち上がる。そのまま、女と対峙する。  残りの敵兵がライカを取り囲む。逃げ道はない。一人で相手ができる人数でもない。  それでも、ライカは笑みを堪えきれない。 「……名は?」  (たず)ねれば、女は黙り込んだ。戦場に相応しくない問いに戸惑ったようだった。 「……ターシャ」 「そうか、ターシャか。俺はライカ。ライカだ」 「……今世の名などどうでも良い。私はヤイナハ王国の騎士としてここにいる。例え予想外の敵襲に予定が狂わされようと、ただ一人きりの敵を前に逃げる気はない」 「奇遇だ。俺もティリア王国の兵士としてここにいる。この場を退く気はない。それから、人を探していた」 「人?」 「フェイシア」  途端、ターシャの引き結ばれていた唇が緩み、切り上がった眼差しが見開かれる。僅かな、けれど確かな動揺。  そして。  見開かれた目が敵意以外の感情を宿してライカを見た。  探るように、確かめるように。  それは、ライカが国内を巡って探していた輝きだった。 「……嘘だ」  ターシャが呟いた。  呆然と、呟いた。 「年が、変わらなすぎる。ほぼ同い年じゃないか」 「同い年だよ。数時間違いだ。あの後すぐに追いかけた。フェイシアが先にいったあの後、すぐに」 「どうして」 「会いたかった」  手の中で剣の柄を握り締める。周囲の森がざわめく。  気配、それもたくさんの。  ターシャをはじめとする敵兵が異変に気が付く。けれど、時既に遅し。 「会いたかった、フェイシア。ずっと探していた。やっと会えた。――今度こそあの約束を守らせてもらう!」  瞬間。  ザッと周囲の木々の影から人が飛び出し、ターシャ達を背後から襲う。 「うわああっ!」 「て、敵襲! 敵襲……!」  ライカの同僚達が次々と敵兵を屠っていく。伏兵の登場に、ターシャ達は焦りを露わにするも対応が間に合わない。  血が飛ぶ。むわりと不快な臭いが鼻先にあふれる。吐き気、それよりも強い――赤い興奮。  敵が死んでいく。ターシャのみが残る。  ライカの同僚達が迷わず複数人がかりでターシャを襲う。いくつもの剣を一つの棍棒で防げるわけもなく、ターシャの腹に剣が突き刺さる。 「っは……!」  ターシャが血を吐く。腹から地へと赤がしたたり落ちる。  赤。  気が狂うほどに美しい色。  ああ。  復讐を遂げるまで、あと少し。  決死の覚悟に歯を食いしばり、ターシャは大きく棍棒を振り回した。数人の同僚の腕が捥がれ、数人の同僚の顔が剥がされる。血、肉、悲鳴。  僅かな隙の間、ターシャが顔を上げる。殺意めいた睥睨と目が合う。 「やめろサハル……!」 「今の俺はライカだ!」  ライカは駆け出した。剣を手に、ターシャへと駆け寄った。  そして。  その剣を振りかざした。
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