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浅黄くんとあたしの出会いは、お互いに大学一年生の春。やわらかい風で花びらが舞う暖かな午後のことだった。
軽音サークルに入ったくせにバンドを組むわけでもなく、いつも学部ラウンジの隅っこで空を眺めながら、ギターを弾いていたあたし。独りが好きとかじゃないけれど、単純にあの頃はかなりの人見知りだったのだ。
そのときあたしが歌っていたのはザ・ビートルズの「イエロー・サブマリン」。少年たちの大冒険のようで可愛らしいこの歌が、子どもの頃から大好きだった。
潜水艦の国に憧れた少年が、みどりの海を見つけるべく、太陽を目指した物語。深海を走る彼の黄色い潜水艦には仲間もみんな乗ってきて、バンド演奏なんかもして、愉快に楽しく暮らしている……そんな歌。
ほら、可愛らしいでしょ?
「シーラカンスみたい」
「……え?」
正面から唐突に聞こえた声にびっくりして演奏をやめる。ぼさぼさ頭のひょろっとした青年。伸びきった前髪のせいで顔が隠れてしまっている。まるで冷蔵庫の奥からうっかり出てきた一週間前の野菜みたいなひとだと思ったのを憶えている。
「ずっと空を眺めているから」
そのひとが、浅黄くん。
同じ軽音サークルで、当時はあたしに負けないくらい変なひと扱いされていたと思う。曲づくりはするのに誰ともバンドを組もうとしない。あたしたちは、その点においては似た者同士だった。
「どんな例えですか」
「なんとなくだよ」
「癖なんです。考え事をしているとつい空を眺めてしまうの」
「ビートルズが好き?」
「まあ」と曖昧にこたえるあたしに彼は「ふうん」とだけ相槌を打って隣の席に腰掛ける。ラウンジの隅っこに並ぶ変なふたり。まわりからしたらさぞかし異様な光景に見えたことだろう。
「戦争の歌だよ、それ」
「え、違いますよ。大冒険の歌です」
「なにそれ」
「だって友達もみんな賑やかに潜水艦で暮らすのに」
「ま、解釈はひとそれぞれだから」
このとき、ひどくムッとしたのを憶えている。一番のお気に入りを「戦争の歌」だなんて言われたら、そりゃあ腹が立っても仕方ない。
「実家がさ、海の近くなんだけど」
「はい」
「ホットドッグ屋があるんだ。イエローサブマリンっていう」
「……なんの話ですか?」
「わかんない。ふと思い出しただけ」
やっぱり変わったひと……そう思った。シーラカンスやらホットドッグやら。選ぶ言葉や会話のリズムが独特でなにを考えているのか掴めない。
でも人見知りのあたしにしては珍しく言葉のキャッチボールが続いた。もしかしたら、あたし自身が変なひとだから? 会話するのは初めてなのに妙に居心地がよく、ぽかぽかとした陽だまりのなかにいるような……いままでにない少し不思議な感覚だった。
「きみ、名前なんだっけ?」
「副島です、副島詩愛。ねえ、同じサークルなんだけど」
「僕は浅黄だ」
「知ってますよ」
「ねえ、よければ僕たち組まないか」
「……え?」
唐突な誘いにおもわずドキッとしたのを憶えている。そして急に恥ずかしくなって顔を赤らめてしまった懐かしい記憶。だってこんな誘い方ってない。ずるい、ふいうちだ。でも不思議とこのとき、悪い気持ちはしなかったんだ。
この瞬間こそが、ギターのasagiとボーカルのshiraによる二人組のロックバンド「イエローサブマリン」のはじまりだった。
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