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 浅黄くんが音楽番組の収録に来なかったその日の空は、絵の具を使い終わったあとの色バケツみたいな灰色をしていて、悲しい雨が細く冷たく降っていた。メッセージにも電話にも応答がない彼から連絡が入ったのは、マネージャーさんに頭を下げてスタジオの外に出たあとのこと。あたしは急いでタクシーに乗り、浅黄くんの自宅に向かった。  二階建ての古びたアパートの階段で浅黄くんは雨に濡れながら膝を抱えていた。傘を差し出すあたしに気づいたあとも、彼はじっと俯いたままだった。 「浅黄くん、中に入ろうよ。濡れちゃう」 「……うん」  浅黄くんは親に置いてけぼりにされた子猫のように淋しい目をしていた。部屋に干してあったタオルケットをかぶせてあげても、びしょ濡れになった身体を拭こうとしない。あたしは黙ってキッチンの電子レンジを借りて、二人分のホットミルクを作った。 「いっぱい怒ってたよ。テレビ局のひと」 「だろうね」 「顔が真っ赤でさ、ちょっぴりおかしくなっちゃった」 「……ごめん」 「どうしたの?」とは聞けなかった。なんだか、怖くて。ちょっとしたことで浅黄くんが壊れてしまいそうで。いや、違う。本当はちょっと前から気づいていた。浅黄くんが悩んでいたこと。苦しんでいたこと。あたしはそんな彼を知りながら、わざと見てみぬふりをしてきたんだ。 「僕はなんで音楽なんて始めたんだろう」  そう呟く浅黄くんにかける言葉が見つからない。浅黄くんはあたしみたいに単純じゃない。もっとたくさんのことを考えている。脳天気なあたしは、こんなときまるで役に立たない。だから余計に浅黄くんは孤独を感じていたんだと思う。 「僕にとって売れることなんてどうでもいいんだ」 「……うん」 「でもたくさんの人に聴いてほしい。そのためには売れないと……ずっと矛盾しているんだ」 「考えすぎだよ、浅黄くんは」 「僕はもう無理だよ」 「……浅黄くん」  大衆音楽が大嫌いで媚びた音楽を憎んでいた浅黄くん。彼はまわりを遠ざけてひとりを好んだ。あたしはそんな彼の隣にそっと座る。そばにいることで少しでも彼が安らげばと思ったりもしていた。でも、それじゃダメだった。あたしは無力だった。安らぎだなんて大きな勘違い、傲慢な思い違い。自分が恥ずかしくなる。 「もうずっと長いこと、音楽を聴くことも曲を作ることも、まるで喜びを感じないんだ。僕は偶像になりたかったんじゃない。だれかにちやほやされたかったんじゃない。音楽をやりたかったんだ。深い海を黄色い潜水艦で走って、そして暮らしていく。それだけで良かったのに」 「休もう、浅黄くん。少し疲れてるんだよ」 「詩愛さん」 「……なに?」 「ここから先はもう君と一緒に走れない」 「え?」 「イエローサブマリンは、もうおしまいだ」  彼はそう言い捨てると、下を向いたままゆっくりと立ち上がり玄関を出ていった。浅黄くんの部屋にひとり残されたあたしは、ただホットミルクからあがる湯気を見つめていることしかできなかった。  そしてその日から、浅黄くんは姿を消した。
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