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(一)
「坪井千代さんですか」
ナオミ・シドニーは東京・武蔵小山駅の改札の前で、小柄な女性に右手を出して握手を求めた。
千代は小さく「はい」と言ってそっと右手を握り返してきた。握り返すというより、ナオミの手の平に自らの手の平を添えてきた、といった感じだった。
力強く三回上下に振ってから手を離し、「こっちはドナルド・ドーアです。撮影は彼が担当します」と隣にいるひげ面で巨漢の男を紹介した。
「ちなみに彼、日本語ができないんですけど、腕は確かなので安心して」
「はい」と千代は小さく返事した。
覇気がなく、弱々しい声だった。コートを着ているとはいえ、体付きは華奢に見えた。背が低いのは環境や遺伝などもあるからやむを得ないが、栄養のあるものを食べられていないのかもしれない。
千代は大きなスーツケースを携えていたが、これがきっと彼女が今所有している全財産なのだろう。
「では行きましょうか」
そう言うと、ナオミは千代の手を取って歩き始めた。
(続く)
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