氷の種子

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 月曜日の朝、学校に来るとすでに椿くんがいた。いつもぎりぎりに来る彼にしては珍しいことだったが、その姿を見て合点がいく。  左腕にギプスを付けていたのだ。土曜日は何も付けていなかったはずなのに。あまりの衝撃に、自分の席に向かう前に椿くんの元へと慌てて駆け寄った。 「どうしたの、腕!」  ばつが悪そうに彼は小さく笑う。 「昨日、怪我しちゃってさ」 「昨日っ!?試合で?骨折?ひび?」 「まあ……そんな感じ。でも、昨日の試合もちゃんと勝ったよ」  彼はこれまでにないくらい優しい笑みを浮かべた。その笑顔を見て僕はたまらない気持ちなる。 「何ゆってんの。何笑ってんの。全治何ヵ月?試合どうするんだよ。ずっと試合続きなんだろ」 「うん、まあ、そりゃ、見学?とか、できることする。仕方ない、怪我したのはオレだから。ラフプレーはしてないつもりだけどね……まあ、しゃーない」  歯切れの悪い返答に胸が締めつけられる。仕方ない、そう簡単に割り切れるものではない。 「どうして、どうして……」  拳を強く握り下を向いた瞬間、水滴が流れ落ちてくるのがわかった。 「何でお前が泣くんだよ。俺が泣くならわかるけど」 「だって……だって…………これから試合続きだっていうときに、これからってときに……。代わりに僕の腕をあげたい、僕の腕を貸してあげたい」  鼻水を啜りながら、そんなことを口走ってしまっていた。 「大丈夫。左腕だし、生活には支障ないよ」 「ホッケーには支障ある」 「そらそうだけど、スポーツには怪我がつきものだし」 「僕の腕を貸して……も、そうだね、ダメだ。すぐ折れそうだもんな」  涙を流しながら冷静な判断を下す僕に、椿くんは困ったように笑った。 「今すぐ怪我を治してあげたいのに」 「ありがとう。気持ちだけで十分だよ。もう、気持ちは切り換えたから大丈夫」  僕が思う以上に椿くんは大人だった。もう泣き晴らした後なのかもしれない。 「……決めた」 「?」 「決めたよ」 「何を?」  椿くんは何を言われているのかわからない顔をした。それはそうだろう。答えは僕の中にしか存在しない。 「僕、医者になるんだけど」 「ん?うん、そういえばいつかそう言ってたな」 「整形外科医になる」 「え、そうなの」 「うん、今決めた。それで、椿くんがいつ怪我してもすぐ治せるような腕利きの医者になるんだ」  椿くんはやっと心からの笑みを見せた。 「そりゃうれしーな」 「スポーツドクターの研究するよ。アイスホッケーの専門医ってあるのかな」 「どうだろ?わかんない。プロならチームドクターはいるのかな、たぶん」  なぜか椿くんは半分笑っていた。 「僕もわかんないけど、アイスホッケーの専門医になる。なかったら作ればいいし。チームドクターっていうよりは椿くんの専門医。椿くんが日本でも世界でもどこで怪我しても絶対に治してあげるんだ。なるべく短期間でさ」 「いや、うれしいよ。うれしいけど、何でオレが怪我する前提なの?オレ、もう怪我しないから。怪我しないようにめっちゃ気をつけるし」  気がつくと椿くんはいつもの椿くんで、いつもの掠れた声でわしゃわしゃと笑っていた。  確かに怪我をしないことが一番だろう。だけど、怪我をしたくなくてもすることはある。いくら注意していても怪我は十分にありえることなのだ。  僕はこのとき決めた。整形外科医になり、スポーツドクターになり、椿くんの人生を守る。何があっても彼を守りたい。彼のこの笑顔を守り続けると。それが僕の進むべき人生なのだと。  そう決めたら目の前にあった靄のような霧のようなものがパアッと晴れて、その向こう側にあのスケートリンクが見えた気がした。 (了)
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