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2.雪鬼
数日後、大学での講義が終わり帰り支度をしていると隣に座っていた千絵がぼんやりと前を向いたまま「ねぇ、前に言ってた雪鬼なんだけどね」と話し出す。その日も雪の降る寒い日だった。
「ん? どうしたんだよ、いきなり」
俺は鞄に教科書を突っ込む手を止め首を傾げた。
「あのね、私の知ってる雪鬼は浩司君の知ってる雪鬼とはちょっと違うの」
千絵は雪深い土地の出身だ。その土地固有の雪鬼伝説があってもおかしくはない。俺は少し興味を覚えて座り直し身を乗り出した。
「どう違うんだ?」
「うん、私の知ってる雪鬼はね、村人を襲って喰らうんじゃないの。……違うのよ、全然」
そう言ってしばし口を噤む。
「何だよ、どう違うんだ?」
黙ったままでいる千絵の顔を覗き込みハッとする。何て暗い目をしてるんだろう、そう思った。しばらくして千絵は再び口を開く。
「雪の中でね、舞うの」
「舞う?」
「そう、緋色の着物を纏った女の鬼が真っ白な雪の中で舞を舞うの。それが私の知ってる雪鬼」
ふふ、と千絵は嗤った。何だか周りの温度がすうっと下がったような気がしてぶるりと身を震わせる。気付けば講義室に残っているのは俺と千絵だけだった。
「彼女は人間の男に恋をし、二人は結ばれる。でも男は人間の女に恋をして彼女を捨てた……ううん、本当はそうじゃないのに鬼は男が裏切ったと思い込んで自分を愛してくれた男を殺してしまうの。そして恋しい男の血で染まった衣を纏い、雪の中で舞を舞う」
私見たことあるの、とも千絵は言った。雪鬼を見たことがあるの、と。口元に薄く笑いを湛えた彼女はいつもの千絵じゃない。
「ふぅん。ああ、そういえばさ、千絵は就職どうすんの?」
何だか怖くなった俺は強引に話題を変えた。すると彼女はいつもの彼女に戻り、「どうしようかしらねぇ」と困ったように笑う。
結局その後二人の間で雪鬼の話が出ることはなく、いつの間にか俺もそんな話題のことは忘れてしまった。
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