魔女

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「今日はどんな髪型にしますか?」  変わらない日常に疲れていたのだろう。あの日、私は冒険してみた。どうしてもイメージを変えてみたくて。 「あの……こんな感じで」  勇気を振り絞り、ヘアカタログの中で微笑む若い女性を指差してみた。 ――見た目のレベルが違うし、年齢もかけ離れてるんだから、同じような仕上がりになるわけないだろ。自分のスペックをわきまえろよな。  そんな風に思われたらどうしよう。恥ずかしくて生きていけない。そもそも美人なモデルばかりが並ぶヘアカタログから、希望のスタイルを選ばせるなんて酷すぎる。心の中で嘲笑されるのを避けるため、これまではヘアカタログを利用せず、口頭で希望を伝えてきた。  ただ、私はもう、おばちゃんだ。もっとズケズケ行ってもいいはずだ。腹をくくった私は、おばちゃんだからこそ使える武器を味方に、ヘアカタログの中でもとびきり目を引くかわいい女性を指差した。 「この子みたいな髪型にしたいなぁ。サービスで、顔もこの子みたいにしてくれてもいいんだけどね」  決まった。おばちゃん流のキツい冗談だ。  ところが担当のスタイリストは、愛想笑いするわけでもなく、柔らかい表情のまま、「かしこまりました!」と爽やかに言ってのけたのだ。  そして、スタイリングが終わったあと、鏡に映っていたのは、カタログから指定した女性の髪型、そして顔。冗談が現実になった。そう。私は、ヘアカタログのモデルとそっくりに変身したのだ。 「こまめなメンテンスが必要なスタイルですので、形が崩れてきたらまたサロンにお越しくださいませ!」  なるほど。髪が伸びれば整えに行かなくてはならない。顔も同じなんだ。定期的に整えに行かなくては、理想のスタイルを維持できないってわけだ。美容整形を受けたわけじゃないから、当然といえば当然だけど……。  彼をホテルに置き去りにした翌日、再びサロンを訪れたが、例のカタログは既に処分されていた。ヘアスタイルは流行りものだ。新しいカタログが出れば差し替える。古いカタログの存在は、サロンのイメージダウンにもつながってしまう。  インターネットの書店や街の古本屋を探し回ってみたが、どこにも見当たらなかった。編集社のバックナンバーを探してみても、既に売り切れ。在庫もない。もはや入手が困難な状態だった。  ヘアカタログのあの女性と同じ顔に仕上げてもらわなきゃ、彼と会うことができない。それは、彼との恋愛の終わりを意味する。現実から逃げ出して、女として輝けるチャンスだったのに。  最後の望みだったヘアモデル事務所への突撃。無愛想な女性スタッフからの無情な門前払い。最後の望みも容赦なく打ち砕かれてしまった。  もう二度と、あの顔を手にすることはできないのだろうか。
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