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思えばつかの間の幸せだった。味気ない生活から解放される瞬間は、私に潤いを与えてくれた。でも、待っていたのは現実。逃げることのできない宿命。家庭、年齢、そしてこの顔。私は平凡な主婦なのだ。身の程を知れ。
駅前のロータリーにあるベンチに腰掛け、放心状態のまま辺りを眺める。空はすっかり暗くなり、仕事帰りのサラリーマンや、デートを楽しむカップルの姿が目立った。
「そういえば――」
このマッチングアプリは、結婚を見据えた真剣な出会いも探せるが、『今、会いたい』といった即席の出会い探しにも使えるらしい。
愉しみを奪われた私は自暴自棄になり、アプリの登録情報を削除した。そして、新たなアカウントを作成した。
そこには、本当の私の情報を登録した。顔もステータスも素性もすべて。そして、『誰か会える人いませんか?』と、つぶやいてみた。すると、数分も経たないうちに、アプリがメッセージの受信を告げた。
『よければ会いませんか?』
私の寂しさを救ってくれる返信がそこにはあった。返信をくれた男性の顔写真をタップする。拡大された顔写真を見た私は、思わずスマホを落としそうになった。
そう。先日まで私に幸せを運んでくれていた彼からの返信だったのだ。
「私みたいな年上の女で大丈夫?」
私はもう、あなたが望むヘアモデルのような女じゃない。ずっとあなたを騙してきた中年の主婦。あなたが愛した女の面影など、どこにも残っていない。
罪悪感にさいなまれながら返信を待っていると、『付き合っていた子に逃げられちゃって……やっぱり若い子はダメですね。僕も自分の好みに正直になろうと決めたんです。そう――年上の女性が好きな自分を認めて生きていこうって』
そうなのか。彼も年上好きという一面を押し殺して恋愛してきたんだな。自分の偏愛に葛藤しながら、正直な恋愛をしてこなかったんだ。
そんな彼の苦労を思うと、途端に彼のことが愛おしくなり、また身体のあちこちが熱を帯びてきた。
「よかった。安心しました」
『ちなみに、今、どちらに?』
「今、M駅のロータリーに」
「僕もすぐ近くにいるので、よければ今から会いませんか?」
「ぜひ!」
私はベンチから立ち上がり、乱れた髪を整える。
もう取り繕わない。もう偽らない。ありのままの自分を解放してやる。
化粧直しに覗き込んだ手鏡に映る自分の顔が、夜の闇を受け、やけに妖艶に見えた。
私、平凡な主婦から魔女に――いいえ、美魔女に変身します。
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