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第五章 敵陣進攻 九話:ナムチの憂慮
僕の肉体改造について話しているうちに、ねこ父が思念会話を終えた。どうやらシタハルをこちらに呼びつけたようなのだが、その表情は少しばかり険しいものになっていた。
「シタハルが言うには、どうもトンネルが増えているようじゃ……」
「ええっ! 僕が見た調査データは、関門海峡任務の少し前のものですよ。まだ十日程度のものでしょう」
「まったく、とんでもないヤツじゃ」
「どこに増えたんですか?」
「マグマだまり近くじゃ。詳細がわからんでのぅ、こちらに来るよう言うた。作戦を立てるにもシタハルはおった方がよかろう」
そのとき、ふわ綿煙り玉のシタハルが部屋にやってきた。なにやら機材を箱一杯に詰め込んで、それを頭に乗せていた。扉を開けることもできず、ノックすることもできず、ゴソゴソしていたので、僕が扉を開けてやる。
「遅くなりました。早速ですが、ひとまず現状をご報告します。これは富士山地下、地球内部の断面図です」
そういいながら、シタハルはクリっとした大きな目玉を映写機にして、壁面に投影した。富士山の地下二十五キロメートルのところにマグマだまりの底部があり、そこからトンネルが五本! 地下に伸びていた。二本も増えているのか!
しかし幸いなことに、追加された二本はプレートの反対側であることに加え、その下に広がるようなトンネルはまだなかった。
それにしてもこの短期間に二本である。このペースで増え続けるようなことがあれば、噴火が早まるのは間違いない。一ヶ月後に噴火したっておかしくない。
「これは地上からの磁波解析によるものですので、目視情報ではありませんが、ほぼ間違いはありません。で、この追加された二本ですが、先ほどタカさんがお考えのようにフィリピンプレートから、確かに数十キロメートルは遠ざかりますが、スケール的にこの距離感は安心の意味を持ちません。もう、トンネルを増やされた時点でピンチというかアウトです。更に、この断面図には描いておりませんが、富士山頂から北北西‐南南東に伸びるラインは、三つのプレートの押し合い圧し合いの関係で地下に割れ目が発生していまして、霊虎のトンネルはいずれもこのラインに沿っているのです。つまりは、最も効果的な位置にトンネルを掘っているんです」
「五本とその下が六本で、今は合計十一本ってことだな」
「はい、そうです」
「この短期間で二本も掘り切った手段は何だと思う?」
「土壌といいますか、地下鉱物をまるごと空間転移させたとしか……」
「おいおい、この断面図の縮尺で見当をつけても、六から七キロメートルのトンネル二本だぞ。どれだけのエネルギーを持ってるんだよ」
「すいません、縮尺は正確には描いておりませんので、おおよそで見ておいてください。ですが、こちらから炭化ケイ素を転送するエネルギー量から推察すれば、およそ霊界の生活エネルギー四ヶ月と半月分に相当します。もしかすると、霊界急行列車を止めたわずかの間に溜め込んだのかもしれません」
「そうか! そういうことだったのか!」
なぜ霊虎は急に大きな霊圧エネルギーを必要としたのか? これまでその点こそが明確に分からなかったがゆえに、砂鉄爆弾で霊界を襲った意図が不明瞭のままだった。が、たった今、ようやくはっきりした。
僕らの関門海峡任務で、初めて止まった黄泉列車。そこで霊虎は思わぬ霊圧エネルギーを得たのだろう。混乱しているであろう霊界に、好機と捉え、落ち着く間を与えずに砂鉄爆弾を投下。再度、黄泉列車の運休を五時間も引き起こさせた。よほど、効率の良く霊圧エネルギーを吸収できるのだろうか。運行再開後、早々に黄泉列車に砂鉄爆弾を乗せ込んでも来た。
二度の黄泉列車の運休で得た霊圧エネルギー。それは富士のマグマだまりへ繋がるトンネル二本分の地下鉱物を異空間へ転送することができるほどのエネルギー量だった。
ここまでの動きを解明することはできたけれど、新たな疑問も生まれた。
霊虎の得た霊圧エネルギーは、
本当に、二本分だけなのか?
シタハルが、僕の考えを読み取っていたらしい。
「タカさん、それについてはボクも気になったので、明日までには計算してみるつもりです」
「よろしく頼む。霊虎がエネルギーを減らしているか、それとも気力十分か。どちらにしてもやっぱり今回は逃げる方の作戦をしっかり立てておく方がよさそうだな」
「うむ、そうじゃな。そこはどうなっておる」
「大王様スミマセン。ボクはちゃんと把握できていないんですが、今回の作戦、部隊の中で自力で空間移動できる霊柱はどれだけいるんでしょうか?」
「ロクとシャルとサルメ、それに暗部のクーリエ、イワンツォじゃな。空間移動できないのはタカと生霊の三体、リツネ、リモーリ、ネモーリじゃ」
「タカさんも生霊の皆さまも、空間移動できる者が運ぶことは可能でしょうか?」
「それは大丈夫じゃ。部隊の班分けもそのように配置しておる」
「では空間移動のための扉設置は必要ないですね。扉は逆にこちらに呼び込んでしまう危険もあるので、作らずにいけるのであれば、それに越したことはありません。できれば念のため、戻ってくるときはどこか……そうですね、小笠原諸島の姉島などがよさそうですね。例えばこの姉島を経由してもらってはどうでしょう。もちろん追ってくる可能性を考えてのことですので、姉島全体に個体認識できる防御網を張っておき、霊虎は中に入れないようにして、より安全に霊界へ戻れるようにするのがいいかと思います」
「うむ、よかろう。アルタゴス、手配はいけそうか?」
「はい、問題ございません。あとで個体認識のための指を各々に頂いてまいります」
「えっ!? 指じゃないとダメなのか?」
「ああ、タカさんは指はダメでしたね。髪の毛を少しいただきましょうか」
シタハルはなかなか頼りになるな。逃げる時の計画は任せておいてよさそうだ。あとは対戦を余儀なくされた場合の対応策といったところか。
「ねこ父、部隊の班分けはどうなってますか?」
「うむ。部隊はロク、シャル、サルメの三つ。ロク班は、タカとネモーリ。シャル班は、クーリエとリモーリ。サルメ班は、イワンツォとリツネじゃ。なるべく戦力差が出ぬようにしたつもりじゃ」
「ナムチ、回復薬はどの程度所持できそうなんだ?」
「今回は一体につき二個ずつをすでにご用意しています。それぞれの個体差に合わせて回復エネルギー量を変えていますので、最大効果が得られるようにしています」
「ありがとう。さすがだな、個別に作っているだなんて」
「いえ、必ずしもこれが最良の方法かはわかりませんし、今でも悩んでいるんです」
「どこに問題があるっていうんだ? 最高で最良の方法だと思うぞ」
「タカさんは元々専用の薬ですので違和感がないかもしれませんが、霊体にとっては相互利用ができなくなる問題が出るのです。例えばキャスミーロークさまであれば、どなたの回復薬を摂取しても問題ありませんが、反対にキャスミーロークさまの回復薬を摂取できる霊体はいない、ということになります」
「なるほど、そういうことか……」
「それに……」
ナムチが心苦しそうな表情をする。思いつめたように、唇を噛んでいる。こんな表情をするナムチを見るのは初めてで、普段はあまり気に留めない僕ですら、続きを聞いてよいものかどうか躊躇われた。
「なんじゃ、ナムチ。ここではすべて気になることは出しておけ。おヌシが問題と思うことは、少なくともここに居る全員が把握しておかねばならん」
「はい……大王様……。あまり考えたくはないのですが……、それでもこの懸念は払拭できずにいます……。もしも……、もしも、誰かが霊虎に取り込まれてしまったりする事態になった場合でございます」
―― !! ――
ああ、確かにそうだ……。僕も楽観的に考えすぎていた。
僕が会社にいたときなんかは、ひとつのタスクがあったとして、必ず五つや六つ、いやそれ以上の問題が未解決のまま突き進むのが当たり前だった。だから常に最悪の事態を想定しながら計画立案するのが当たり前だった。
けれど、ここ霊界ではみんなの準備がとてつもなく素晴らしいもので、個々に与えられた仕事以上の結果を必ず出してくる。だからこそ、皮肉なことに、最悪の事態の想定ができていなかった……。すっかり抜け落ちてしまっていた……。
「なるほどのぅ。取り込んだ霊虎の方も回復してしまうということか」
「いえ、それも確かに一時的な懸念ではございますが、わたしが危惧していることは、そこではございません」
「なんじゃ、他にまだあるというのか? 申せ」
「…………。はい……。砂鉄の効果を知り、この霊界よりも早く爆弾化に成功した霊虎にございます。回復薬を見るや、…………その作り方を解き明かしてしまうのは間違いないかと存じます」
ああ、ナムチよ。
お前はなんて所に考えを及ぼしてしまうんだ!
確かにそうだ。
確かに……、そうだ……。
ただでさえ圧倒的な霊圧エネルギーを持つ霊虎を、
たった一度だけ倒すことすらも、
まだ見出せていないというのに、
回復なんてことをされてしまっては、
それは言うなれば、
二度、三度、倒す必要があるということ。
それは、もはや絶望以外のナニモノでもない!
どうする? 回復薬なしで行くか?
まさか自分たちの頼みの綱である心の拠り所が、
諸刃の剣になろうとは……。
お前のあの苦悶の表情……。
合点がいったよ……。
「わたしが作る回復薬というのは、原則として一回の摂取を基本としています。ですが、それには個体差がやはりございまして、霊圧エネルギーの大きいキャスミーロークさまやシャルガナさまなどは、基礎体力がございますので二回摂取しても問題ございません。つまり、霊圧エネルギーの大きい霊体であればあるほど、連続しての摂取が可能になります……」
このナムチの発言は決定的だった。
「やむを得まい。本作戦は、回復薬なしで臨むとする!!」
誰もこの決定に異を唱えることなどできはしなかった。
が、シタハルがポツリと言う。
「アルタゴスさん。姉島に張る予定の防御網、どの程度の時間、霊虎の侵入を防げますか?」
「逃走用の中継地点ということから考えて、十分程度を見込んでおりましたが……」
「一時間、いや三十分でも構いません。そこまで伸ばすことは可能ですか?」
「霊界並みの防御網にすればできなくはありませんが……、それには相当の機材とエネルギーが必要になります。逃走時の中継地点と考えれば、あまり現実的ではございません」
「そうですか…………」
「十五分であれば、少しの改良で可能ですが……」
「では、十五分にしてください。で、そこに回復薬を置いておくのです。最悪の事態に備え、時限爆弾もセットしておき、十五分後には爆破してしまいましょう」
シタハルの提案は、なんとかしたいという想いから絞り出した考えなのだろう。ナムチもそれであれば、という表情をしている。ねこ父も同様だ。
けれど、僕はその価値を見出せずにいた。一見すればとてもいいアイデアのように思われたが、ナムチのおかげで僕はすっかり最悪の事態の想定が、それまでよりもできるようになっていた。
「いや……、その提案はとても嬉しいものだけれど、今回はやはり要らないよ」
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