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第五章 敵陣進攻 十二話:ボヨンは好かぬ
ロクは隣でうつらうつらしている。今日は訓練で疲れたのだろう。おまけに夕食まで用意してくれたのだ。どういう風の吹き回しかと訝しんでいると、「今日は史章、よく頑張っていましたから、ご褒美です」ということらしい。頑張ったのは僕ではなくてナムチなんだけどな。
もうそのまま寝かせてやりたいところではあったのだけれど、僕はどうしても確認しておきたいことがあった。
「なあロク、眠そうなところ申し訳ないんだが、ちょっとだけいいか?」
「ん? ええ、いいですよ。なんですか? キスしたいんですか?」
「違うっ! そういうのじゃなくて。僕が目を瞑るから、お前の見ているものを僕に送ってみてくれないか?」
「送る?」
「送る……とは違うのか? いや、ナムチがさあ、お前の磁波を受け取れば、暗闇でも見えるようになるって言ってたんだ」
「ああ、そういうことですか。じゃあ、やってみましょう」
僕は部屋の明かりを消して目を瞑り、ロクの霊圧エネルギーを感じるように集中する。ロクの姿は、白くぼんやりとしていたけれど、真っ暗な部屋の中で目を瞑った状態でも、見えていた。ぼんやりとしたものに、僕の知っているロクの表情を重ね合わせていく。するとどうだろう、徐々に輪郭がはっきりとしてきて、いつものロクが現れる。ロクは同じく目を瞑り、少し顎を上げると周りを見回すような動きをしていた。
さて、僕は一体なにに照準を、どこに焦点を合わせればいいんだろうか?
ロクの視点に合わせるならば、僕の表情や姿まで見ることになる。むしろロクの表情や姿は見えなくなるハズだ。反対に僕の視点に対して、あくまでも補完的にロクの視界を補うだけというのであれば、いくつかおかしな部分が出てくるであろうけれど、ロクの表情や姿はそのままに僕の姿も見えるということになるハズだ。
「どうですか? わたしはリセットした後、もう一度改めて全体を把握したところです。ひとまず半径三メートルほどです」
「うーん……。お前の姿が見えているだけだな……」
「そうですか。磁波の受容体が働いていないのですかねぇ。では少し……」
なにか調整でもしてくれるんだろうか。
そんなことを思って、目を瞑ったままロクの姿を見ていると、ロクが顔を近づけてくる。どこまで近づけてくるんだ? そう思う間中も止まることなく近づいてくる。あれ、僕の見えているものが間違っているのか? でも確かに近づく気配もある。頭をくっつけるとかするんだろうか? まさかとは思うけれど、どさくさに紛れてキスをするつもりじゃないだろうな!
ほんの秒の間、
いろんな思考を巡らせているうちにロクの唇は、
僕の唇に触れた。
おい! とは思った。
思ったけれど、次の瞬間には、
まあいいか、と思い直していた。
ロクの体を引き寄せようと、その肩に手をかけ、
すこし力を入れたところで、
ロクがその唇を離す。
「ちがいます。史章の磁波の受容体に刺激を与えたいので、わたしの息を吸い込んでください」
「なんだよ、そういうことか。それはキスでしかできないのか?」
そんなこと言わなくてもよかったのだけれど、なんとなく口を衝いてしまう。
「こっちの方がいいでしょう?」
「ふぅん」
「なにぃ、その返事」
まあ、いいか。
ロクはクククと笑うと再び顔を近づけ、
そっと唇を重ねてくる。
息を吸い込めってことだったのだが、
それはなんというか二の次で、
キスを全身で感じ取るように貪った。
すると、次第に周りがぼんやりと映りだす。徐々にピントが合うように、いろいろな景色の輪郭がハッキリとしてくる。さっき気になった照準のことが頭をよぎったのだけれど、もういいや。今度こそ体を抱き寄せて、もっと深く、もっと強く、もっと激しく、今というこの瞬間(とき)に溺れた。
が、もうしばらく続くだろうと、もうしばらく続けたいと思った矢先、すっと。ロクはその唇を離した。
「どうですか? 見えましたか?」
「なんだよ……、もういいのかよ……」
「フフフ。そちらはまた今度です。わたし、明日は朝から手術ですから」
「ふぅん」
※ ※ ※
翌朝、演習場に行くとねこ父と生霊の面々しかいなかった。
「あれ? シャルとサルちゃんは?」
「みな手術じゃのぅ、フォ、フォ、フォ」
「はあ。ロクだけじゃないんだ……。そういえば、いったい何の手術をしてるんですか?」
「サルメの昇華球をな、二柱が使えるようにしておる」
「そうか! それはありがたい。戦略の幅が増える」
「うむ。霊虎にどこまで効くかは分からぬがな。さて、おヌシの訓練じゃのぅ。どこまで出来るようになったのじゃ」
「剣技での受けです。曲変化? 曲がる攻撃を防ぐのがまだですね。ですが、霊圧エネルギーで形を作って、動かすというのが、どうもうまくできないんですよね」
「なるほどのぅ。全方位の球体の防御網を張るのはできるのか?」
「え、それは試したことがないですね」
「では、それをやってみるかのぅ。タカの訓練はワシが直接指南するとしよう。リツネは、リモーリ、ネモーリと共に研鑽せよ」
「わかりました。リモーリ、ネモーリ、少し離れたあちらの方でやりましょう」
そういうと三人は同じ演習場内の離れたところへ移動する。僕はねこ父とやることになったのだが、ねこ父と直接交えるのは初めてである。それはなかなか楽しみではあるのだけれど、緊張も多分にあった。
「よし、ではまず作るところからじゃのぅ。防御盾はできるのであろう?」
「はい」
「それを作ってみよ」
昨日のと同じように霊圧エネルギーを剣に流し込み、目の前に少し大きめの盾をイメージする。すると、思った通りの盾が出来上がる。そこで昨日は見過ごしていたことに気付く。思った通りというと、とてもすごそうに感じるかもしれないが、そうではなくて、デザインも形も、何もかも思った通りなのだ。むしろ僕のイメージを超えることはひとつもないのである。
「ふむ。よいではないか。では、同じようにしてみるでのぅ、ちょっと見ておれ」
そういうと、ねこ父も目の前に霊圧エネルギーで盾を作ってみせた。当たり前の話なんだろうけれど、まあやはり、僕ができることぐらいは至極容易にやってのける。が、そこから盾を変形させて、自分を包む球体のようにする。なるほど、単純に盾を伸ばす感覚でいいのか!
よし! と自分の目の前に作り上げた盾を、ねこ父がやったように伸ばそうとするのだけれど、これがなかなか伸びてはくれない。簡単に出来ると思ったのだが、うんともすんとも動かなかった。
「フォ、フォ、フォ。いきなりは難しかったかのぅ。では、その盾をもう一回り大きくしてみせよ」
ああ、伸ばすという考えが間違いか! 霊圧エネルギーをさらに剣に流し込み、もう一回り大きな盾をイメージする。今度はうまく行き、自分の体よりも大きな盾を目の前に作ることができた。
霊圧エネルギーを注ぎ込めば、追加で大きくできる。ならばひとまず出し惜しみはナシで、自分を包み込む盾を作ってみるか。
これまでの二倍ほどの霊圧エネルギーをさらに注ぎ込み、球体の盾、そんなものは見たことも聞いたこともないのだけれど、ここは無理矢理にでも存在することにして、それをイメージしてみる。ところが、目の前の盾が変形することもないし、天叢雲剣に注いだ霊圧エネルギーはそのままそこにあった。
「うーん、難しいな……」
「おヌシがどういう過程で防御網を作り出しておるかがわからんでのぅ、そこの部分はアドバイスのしようがないんじゃ」
「はい、リモーリにも同じことを言われました」
「しかもワシらにとっての防御網は、当たり前のモノじゃからのぅ」
「当たり前か……。それもリモーリも言ってたよな……。まさかとは思うけど、もしかして、そういうのが大事なのかな」
僕も防御網はもう何回も見ているわけだが、当たり前には思っていない。特別なものであるし、霊体にしかできないものだとも思っている。もしそうであるならば、僕が防御網を作ることは、決してできないということになる。さて、どうしたものか……。
「しょうがない、逆からやってみるか」
「ん? 逆じゃと?」
いったん目の前にある盾は引っ込める。剣に霊圧エネルギーは溜め込んだままなので、そのまま自分がシャボン玉の中にいるイメージをしてみる。すると思った通り! 僕は見事にシャボン玉に包まれた。でも、このままでは本当にシャボン玉の中にいるだけになってしまう。なので、シャボン玉を改良するのだ。
なんでも跳ね返して、決して壊れることのないシャボン玉。剣に残っている霊圧エネルギーでシャボン玉にあらゆるものを跳ね返してしまうような弾力を含ませる。鋭利なものでも、刃でも、跳ね返す、そんなイメージをする。
見た目に変化はない。さて、これはどういう状況か?
「ねこ父、軽く攻撃してみてください。軽くですよ。まだ防御できるかどうかわからないので」
「うむ。よかろう」
先ずはねこパンチ。ボヨンと、見事に跳ね返す!
跳ね返されたのは少し気に入らないのか、ねこ父はちょっとムッとして、今度は強めにねこパンチを繰り出す。今度は強く叩いた分と同じだけ強く、ねこ父の繰り出した右前脚は、大きく後ろに跳ね返された。
ねこ父は跳ね返しというのが、相当気に食わないらしい。完全に頭に来たようで、ねこパンチの連打を仕掛けてきたのだが、それらはことごとく跳ね返した。遂には、ねこ爪引っ掻きを繰り出してくる。イメージ元がシャボン玉である。鋭利なものでも跳ね返すイメージはしたものの、どこまで通用するのか? 気にしつつではあったのだが、そんな心配はよそに、ねこパンチ同様、ねこ父を大きく後ろにのけ反らせた。
なかなか行けるじゃないか!
ねこ爪引っ掻きも跳ね返されたねこ父は、自分の尻尾に霊圧エネルギーを溜め込む。今までは何処に溜め込みをしているかなんてわからなかったのだけれど、これも肉体改造のおかげか、ロクの時と同じく磁力の流れが感じ取れた。この能力はこれからの戦闘に大いに役立ちそうである。
それはさておき、ねこ父の尻尾はびっくりした猫の尻尾ようにみるみる膨らんだかと思うと、それをどんどん圧縮し、細長く槍のように尖らせていく。突き刺しの攻撃が来る! さすがねこ父、試しておきたい防御をちゃんと選択してくれている。さて、このシャボン玉は本当に跳ね返せるか?
尻尾槍が大きく後ろに振られたかと思うと、その反動を利用して一気に突き刺しに来た! シャボン玉防御に当たったかと思うと、そこでいったんは止まったのだが、やはり一点集中攻撃だけのことはある。突き刺したところは大きくへこみ、ぐいぐいと押し込まれていく。
これはどうも耐えれそうにない。へこんだところだけ押し返してみるか? そんなことも思ったのだけれど、ひとまず今は強度を測りたかった。突破されることを想定し、押し返しはしなかったが、自分の目の前にもう一枚、盾を張った。
シャボン玉防御はなかなかに善戦していたのだが、ねこ父が攻撃を続けながら、さらに尻尾に霊圧エネルギーを溜め込み、そのエネルギーがもう一押し、尻尾槍の先端にまで注ぎ込まれたときに、パァン! と崩壊した。
尻尾槍はそのままの勢いで僕をめがけて飛んでくる。
目の前に張っていた盾だけでは心もとなく、
もう一枚、さらに手前に盾を作る。
押し返せっ!
手前側の盾には僕の半分近くのエネルギーを注ぎ込んで待ち受ける。
一枚目はシャボン玉防御を突破した勢いをそのままに、
一瞬の抵抗を見せたものの、あっさりと突破される。
いよいよ最後の防御盾に触れる!
シャボン玉防御以上のエネルギーを注ぎ込んでいるので、
さすがにここは耐え抜いてもらわないと困る。
そう思っていると、ねこ父はさらにもう一度、
霊圧エネルギーを尻尾槍の先端に注ぎ込んできた!
―― バァアンッ!! ――
僕の防御盾は崩壊し、
尻尾槍は僕の腹に少しだけ触れたところで止まった。
腹から僅かな、滲む程度の出血。
さすがねこ父、コントロールも完璧だった。
「フォ、フォ、フォ。なかなかに面白い防御じゃったのぅ。最後の突きの攻撃は、ワシの三割ほどの力じゃ。そこいらの下級霊じゃったら、問題なく防げたであろう。おヌシはいかほどの力を使ったんじゃ?」
「シャボン玉は一割ほどです。最後の盾は五割、半分ほど使いました」
「ほぅ。一割であれほど跳ね返せるのであれば十分じゃ。じゃが、一点集中の攻撃にはやはり弱いのぅ。できれば我らの防御網を習得しておくのがよいであろうのぅ」
「そうですね。でも、僕にはねこ父やロクのような防御網は無理かもしれません。防御網は薄い層の組み合わせで、間には異空間が組み込まれているんですよね」
「いかにも。むろんそれは最上級のモノじゃがな」
「僕には異空間というものがまったくわからないんです。もしわかるなら、きっと空間移動もできていると思うんですよね」
「ふむ、確かにのぅ。それであるならば、今の反発タイプの……なんじゃ? シャボン玉か? それをさらに精度を上げていく方がよいかもしれんな」
「わかりました」
「そのシャボン玉とやらであったとしても、突破してくるのは霊虎との一騎打ちになったときぐらいじゃろうて。下級霊はもちろんのこと、霊虎であったとしても雑多な攻撃ぐらいは十分に跳ね返せると思うぞ」
「やってみます。手合わせ、ありがとうございます」
「どうじゃ? 攻撃の方もやってみるか?」
「いえ、今はいいです。生半可な攻撃の訓練をしても、実際の戦闘では意味がないでしょうし、エネルギーを無駄に使ってしまうだけになりそうです。回復役としての責務を全うするのであれば、できるだけエネルギー消費を少なく防御に徹し、できるだけ効率よく回復してやれるように、そちらに努力をしておきます」
「うむ、わかった。では、ワシは生霊の面々を鍛えてくるでのぅ」
「はい、ありがとうございました」
その後は、シャボン玉防御の錬成と、そもそもの霊圧エネルギーの溜めから構築までの時間短縮や効率化の訓練に明け暮れた。ねこ父との訓練はいろいろと新しい発見が多く、とても有意義だった。富士地下トンネル封鎖作戦が終わったら、また稽古をつけてもらおう。
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