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年末は毎年恒例になりつつある、箱根へと足を伸ばした。ゆっくりと羽を伸ばして今年の疲れを癒す。美味い飯にゆったりとした時間を過ごし、新年はまず綾乃の家へ挨拶に向かった。
「ただいまー」
「あら、おかえりー。早かったのね」
そうかな?と綾乃とふたりで顔を見合わせて首を傾げた。
百子さんは「夕方ぐらいかと思ったのよ」と笑っている。
「どうして?まあお昼要らないって言ったけど」
「賑やかなのは疲れるでしょ?」
「え?もう太一兄と康兄達来てるの?」
「お昼ご飯食べて、今皆で初詣行ってるわよ」
今はまだ午後一時を過ぎた頃だ。昼ごはん早いな、と思ったのは俺だけじゃないはずだ。
「そう。じゃあ私たちも行く?」
「そうだね」
うん、と綾乃がふわっと笑う。最近こんな風に笑うことが増えた。何がどう違うのかは分からない。だけど、こんな彼女の変化に気づくのは俺だけじゃないはずだ。
「あら、なんかいいことあったの?」
「いいこと?」
「なんかふたりとも笑い方が変わったから」
そうなの?と聞かれてそうかも、と返す。
「先に言っちゃう?」と目で訴える綾乃に「そうだね」と頷き返した。
「もしかして」
「…今、三ヶ月」
「………まぁあああああっ!!」
百子さんは目をまん丸にしたあと、それこそ花火が咲くように破顔した。そして踊るように軽やかに身を翻すと、応援団のように腹の底から声を張り上げる。
「おとーさーーーん!!綾乃、三ヶ月だってーー」
もう、それはそれはよく響く声だった。
百子さんの声が非常によく通る。そのうえ、少し年季の入った建物が崩れるんじゃないかと思うぐらい大きな声だ。
聞こえていないはずがなかった。
「こうしちゃいられないわ!綾乃、何食べたい?今夜はご馳走よ!」
「いつものお正月のごはんでいいよ」
「何言ってるのよ。こういう時は何でもいいから好みの食べ物を言っておくのよ」
あぁ。この母がいるから綾乃がいるんだな。
母と娘のやりとりを見て俺はしみじみと思う。
「そっか。うーん」
「妊娠すると味覚も変わるでしょ?」
「そうなのよ。どうしようかしら」
昼飯を食べてきたこともあり、すぐに食べたいメニューがパッと出てこないらしい。
だけど、どうしてその答えに至ったのか、「う巻き」という。
「分かったわ!まかせなさい!」
百子さんがドヤ顔で胸をはる。
「楽しみ」と笑う綾乃とその綾乃を嬉しそうに見つめる百子さんの眼差しは、揺るがない大きな愛に溢れていて俺まで包み込まれるような心地だった。
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