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工場の外へ飛び出して、行く当てもなく走り続ける。
由井さんはしっかりと僕の足に合わせて走っていた。
やがて錆びついた公園にたどりついて、そこにゾンビがいないことを確認してから、僕は由井さんと一緒にペンキの剥げたベンチに座った。
息を切らして汗を流す僕と違って、由井さんは汗ひとつかいた様子もない。
彼女はつながったままの僕らの手を見つめて、ほんの少し眉を垂れている。それが照れているように見えて、僕も恥ずかしくなって慌てて手を離した。
「ご、ごめんなさい! 嫌ですよね!」
すると、今度は由井さんから手をにぎられて、再び手がつながった。
恐怖とは別の意味で心臓が脈打って、頬が熱を持った。
由井さんは拗ねたように口をとがらせている。もしかしたら、照れ隠しなのかもしれない。
「あの、えっと、由井さん」
手をつないだ意味を聞いていいのだろうか。
僕はしばらく迷った末に、無難なことばを選んだ。
「さっきは助けてくれてありがとうございました」
「あー」
「どうして由井さんは僕を襲わないんですか。どうして助けてくれたんですか」
「うー」
「学校で会った時、由井さんは僕をにらんでいたじゃないですか。本当は由井さんだって僕のこと嫌いだったはずでしょう」
だって僕は、実の両親からも嫌われていたから。
「なのに、どうして手をつないでくれるんですか?」
しばらく沈黙が流れた。
すると、由井さんは右手をぎこちなく動かして、スカートのポケットから折り畳まれた青い紙をとり出した。
「これ、僕に?」
由井さんは視線をそらしながら、こくりとうなずいた。
僕は片手でその紙を開いた。
それは七夕でよく見かける笹に飾る短冊だった。黄色の折り紙を切って作った星がたくさん貼りつけてある。短冊の中央にはペンで「世界を平和にしたので、きららちゃんと宇宙にいます」と書いてある。
なぜ事後報告なのだろう。
僕は吹き出しそうになって、それからその願いの隣に「天馬カケル」の名前を見つけて目を丸くした。
僕は恐る恐る顔を上げて、ちょっと伏し目がちになって恥ずかしそうにしている由井さんを見つめた。
「きららちゃん?」
「あー」
これは肯定の声。
僕は信じられない気持ちで、もう一度由井さんの顔を眺めた。
保育園に通っていた頃、僕と同じく親のお迎えが一番遅くて泣き虫の女の子がいた。
僕はいつも悲しそうにしている女の子を守ってあげたかった。だから、僕らを傷つけるものを世界から排除して、あとはふたりで宇宙を旅しようと壮大な夢を描いていた気がする。そこでなら、ふたりきりで楽しい旅ができると信じていたから。
でも、僕は親の仕事の都合で引っ越すことになって、その寂しそうな女の子とはそれきりだった。
お別れの日はちょうど七夕で、僕は書いた短冊を泣いている女の子に渡した気がする。
「きららちゃんだったんだね。ごめん、名字が変わっていたから気がつかなかった」
随分と雰囲気も変わっていたから、とは言えない。
「怖がったりしてごめんね」
血の通っていない冷たい手を、今度は両手で包みこむ。
きららちゃんは、ふるふると頭を振った。
「生きている時に気づいていれば、もっとたくさん話せたかもしれないのに」
僕はずっと、きみにも嫌われていると思っていたんだ。
世界中の人に嫌われていると思っていた。産まなきゃよかった。そう呪われて生きてきたから。
「きららちゃんだと気づいていれば、僕はきみまでゾンビに変えたりしなかったのに」
「うー」
ぽつり、と雫が僕の手に落ちた。
きららちゃんの目に涙がたまっていた。
僕の頬もなんだか湿っている気がした。
「ごめんね、泣かないで。もうひとりにしないからね」
きららちゃんはゾンビになっても、あの頃と変わらない泣き虫な女の子だった。
いまさらになって、僕はひどいことをした気分になって、涙が止まらなかった。
それでも後悔はしていない。僕を嫌っていた世界を平和にするために必要だったから。
「ねぇ。世界は平和になったから、今度こそふたりで宇宙旅行にでも行こうか」
「あー」
きららちゃんは目元を綻ばせてうなずいてくれた。
僕は冷たい手をにぎって立ち上がる。
いますぐ宇宙は難しいので、とりあえず観覧車にでも乗りに行こうかと思う。
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