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ご夫人は店主に言いました。
「あの方、がっかりしていましたわね。昨日、盛大にカンタータを演奏されていた音楽監督ですよね」
「そうです、我が街の誇りバッハ殿です。だから何とかしたかったのですけどね」
夫が何か頼んだのでしょうか。しかし、娘たちの誕生日は待降節にはありません。私の誕生日もないですし。そうすると、考えられるのはただ一つ。
私より一足先に戻った夫は、すぐにオルガンの指導のために隣の教会へ行きました。子どもたちも一緒です。
娘たちはクリスマスリースの飾りに加えるものを、作り始めました。
食材が届いたので、私は夕食の支度をしようとエプロンをつけました。何かしていないと気が落ち着きません。
台所でひとり肉の下ごしらえをしていると、曇った窓の向こうに大伯母の姿が見えました。苦手な人です。
「ちょっとお金を貸してくれないかい」
この人は人生をどこで間違えたのか、毎度用向きはお金の無心です。
「いつも言っていますが、うちは大家族でやりくりに苦労しているのですよ」
「何て冷たい子だろうねえ。夫はこの街の有力者じゃないか。たっぷり貰っているだろう」
「いいえ、それがそうでもないのです、わかってください」
「ふん、信じられないね。カフェや冠婚葬祭で演奏するし、弟子も大勢取っているだろう。今朝、音楽監督様の顔を見たから言ってやったよ」
「何をおっしゃったのですか」
「おまえをちっとも、里帰りさせてやらない、冷たい夫だって」
脈絡のない話にイライラさせられます。
「うちにはうちの事情があります」
「おまえの父親が死んだときから、ずっと帰っていないだろう。母親がひとりで泣いているよ」
「そんなはずありません。兄や姉が近くにいるのをご存知でしょう」
「おまえも夫に似てきて冷たくなったね」
ふんと鼻をならすと、大伯母は帰って行きました。夫に元気がなかったのは、この人のせいでしょうか。八年まえに引っ越して来た時は、私のほうの親戚がいて心強く思ったものですが。
夫にまで図々しく物を言うなんて、怒りが湧きます。おお神様、このように不寛容な私をお許しください。
先の奥様にますますよく似てきた、一番上の娘が来て野菜の皮をむきはじめました。とても良い子です。だから、不意に訪れる嫌なことにも耐えられます。
それにしても、大伯母は何ということを言ったのでしょうか。夫の沈んだ様子が気になります。
我が家のささやかなクリスマスツリーは、娘たちが飾りを加えたので素敵になりました。
大きな食卓を囲んで夕食。その後は、ツリーのある居間に集まって聖書を読みます。夫のラテン語を子どもたちがドイツ語にして。一日で最もくつろぐ時間です。無事一日が終わったことを、感謝しなければなりません。
次とその次の日曜は演奏がない静かな礼拝なので、夫もしばらく家での仕事に集中できます。
家族はそれぞれ、自分たちの部屋に行きました。小さい子は大きい子が寝かしつけます。夕食から子どもを寝かしつけるまで、ずいぶん楽になりました。
夫は書斎で机に向かっています。もうすぐ新しい楽譜が出版されるので、校正刷りを見ているところでした。
こんなに真面目で、才能もあって、昨日は立派に良い仕事を成し遂げたのに、なぜ背中から憂いが感じられるのでしょう。
夫の後姿に見惚れるようになったのはいつからだったかしら。オルガンを弾いたり、チェンバロを弾きつつ指揮をとるから、演奏中の大半の時間は後ろ向きになるのです。
日常から離れた場所で私が音楽のみに集中できる貴重な機会で、夫の堂々とした姿はとても誇らしいのでした。
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