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第二話 ラファ
平日の昼下がり。
渋谷駅前の雑踏から離れたこの辺りまで街の喧騒は続いている。
オリエンタルな彫像に囲まれたオープンテラス席の一角に山高帽をかぶった男が座っていた。テーブルの上にはオムレツの乗ったカレーが置かれている。
黒革手袋をはめた左手を皿に添え、スプーンを口に運びながら通りを歩く人たちの流れを目で追っていた。
季節外れな印象を与える半袖ポロシャツ姿の若い男がテラスへ入ってきた。
あらわになった浅黒い腕は太く、胸板も厚い。
「うまそうなもの食ってますね、サンザさん」
長い脚を折り曲げて隣に座る。黒い髪をかき上げながらメニューをちらっと見てホール係の女性を呼んだ。
「鉄板ハンバーグとグラタン風スパゲティ、それとダイエットコーラを」
彼女がメニューを下げようとしたときに手を滑らせた。
「大丈夫ですか」
拾い上げたラファが笑顔を浮かべながら彼女へ渡す。少し耳を赤くした彼女は頭を二度下げると奥へ消えた。
スプーンを置いた散冴が口元を紙ナプキンで拭った。
「相変わらずですね、ラファは」
「何がですか」
「その恰好も、食欲も、女性に優しいのも」
ラファは口をへの字にして肩をすくめた。
ハンバーグ、スパゲティへ交互にフォークを伸ばし、合間にコーラのグラスをあおる。
そんなラファを見ながら散冴がテーブルの上で両手を重ねた。
「新しい仕事があります。まだ詳細は決まっていませんが、二ヶ月ほど空けておいてもらえますか」
「オゥケィ。ほかには誰が」
「南条さんって知っていますか。彼に話をしています」
「詐欺師の」
「ええ」
「会ったことはないな。俺と組むんですか」
「それもまだ。ストーリーが書けていませんから」
納得したようにラファは何度もうなずいた。
スパゲティをフォークに絡ませながら上目遣いで散冴を見る。
「あの……小夜子さんは?」
「どうでしょう。彼女に頼む仕事があるかどうか」
返事を聞いていないのか、料理に目を向けたままフォークをまだ回している。
「それじゃ、また連絡します」二人分の伝票を手にして散冴は立ち上がった。
やっとフォークを口へ運んでほおばりながら、ラファは軽く頭を下げた。
*
その名の通り、海の香りも漂う浜松町には東京都心でありながら三つの大きな公園がある。黄や赤を散りばめた木々と高速道路に挟まれたビルの八階、東京湾を望む十席ほどの貸し会議室に二人の男がいた。
「サンザさん、遅いですね詐欺師は」
「そんなことありませんよ、ラファが珍しく早かっただけです」
並べられた長机の端に散冴は座っていた。窓を背にした彼の隣の椅子には大きな紙袋と山高帽が置かれている。
胸の内ポケットから懐中時計を取り出した。
「約束の十五時までまだ五分あります。彼は遅れることがありませんから心配はいりません」
「そうなんですか」
今日も半袖のポロシャツを着たラファが向き合うように座った。
「それと詐欺師という呼び方を彼はひどく嫌うので気をつけた方がいいですよ」
「オゥケィ」
そこへノックもせずに髪の薄い男が入ってきた。グレーのスリーピーススーツにえんじ色のネクタイを締め、鞄から小型のトランシーバーのようなものを取り出している。
「南条さん、お久しぶりです」散冴が声をかけると、南条は人差し指をまっすぐと立てて口の前へ持っていった。
何か言おうとしたラファを黒革の手袋をはめた左手が制す。
二人が無言で見守る中、南条はゆっくりと部屋を一周してから空いていた椅子を引いた。
「いやぁもう大丈夫。ほら、こういう不特定多数が使うところはさ、盗聴器が仕掛けられていること、多いんだよねぇ。何かいいネタが引っ掛かるかもしれないと思う奴って最近増えてきているんだよ」
散冴の横並びに座った南条が早口でまくし立てる。
「久しぶり、サンザ君。元気? 今度の仕事、僕のパートナーは彼かな」
右手を伸ばして散冴と握手をしたまま、南条はラファへ視線だけ動かした。
「ええ。ラファです。こちらが南条さん」散冴がそれぞれを紹介する。
「はじめまして、ラファです。南条さんのお噂は聞いています」
「僕の? どんな? キミが僕の何を知っているというの?」
南条は真顔で、初めて会ったばかりの青年に詰め寄る。
困惑の表情を浮かべたラファは助けを求めるように視線を散冴へと移した。
それに気づかなかったのか、無視をしたのか。
「お元気そうですね、南条さんは」
「そんな言い方してぇ。サンザ君は元気ないの? 左手は大丈夫? まさかトカゲの尻尾みたいに新しいのが生えてくるから熱が出たとかじゃないよね」
ラファの顔色が明らかに変わった。南条をにらみつける彼とは打って変わって、当の散冴は涼しい顔をしている。
「それじゃ仕事の話をしましょう」
口を尖らせたまま、ラファは椅子に深く座りなおした。
南条は組んだ両手を長机の上に乗せ、手もみするように動かしている。
「今回のターゲットはあれです」
散冴が窓越しに右手を指した先には、金央建設と大きなサインが掛かっているビルがあった。
「へぇ、金央建設なんだ。それって、やっぱり国立サッカー場絡みの話?」
「さすがですね、南条さん」
「金央建設って?」
問いかけたラファへ南条が笑顔を向ける。
「アジア系の外資企業。ここ五年ほどは業績がなぜか急激な右肩上がりで注目されている。いま検討中の国立サッカー場建設でも有力候補の一つなんだよ。ただね、その裏には黒い噂もある」
「何ですか、それ」
「フロント企業と呼ばれる反社勢力系の会社が多いのでは、と言われているんだ。それに、手抜きとまでは言わないけれど施工品質を疑問視する声も業界の中には多い。二か月前には建設中の現場で大きな事故があって、亡くなった方もいるしね。他ならまだしも、あの会社にだけは請け負わせたくないって話、結構聞くよ」
口をへの字に結んだまま、ラファは小刻みに首を縦に振った。
「何となく今回の仕事が見えてきたね。でもさ、どんな方法を使ったって国家プロジェクトから降りたりはしないんじゃない? ワールドカップ開催を目指しているんだし。もしトップにスキャンダルがあっても首をすげ替えてでも受注したいはずだよ。サンザ君だってそう思うでしょ」
「そうですね。だから違う攻め手を考えているところです」
机の上でゆっくりと手もみを続ける南条を諭すように言葉をつづけた。
「その材料を集めるためにも、まずは来週の水曜日、二人にはあそこへ乗り込んでもらいます」
「やっぱり僕のパートナーは彼なんだね」
「ストーリーが書きあがったら、単独で行動してもらうかもしれませんけれど」
「とにかく手始めは一緒にやるってことでしょ」南条が立ち上がった。
ラファの元へ近づき右手を差し出す。
「よろしくね」
一瞬、考えるそぶりを見せたラファも立ち上がって太い右腕を前に伸ばす。
「よろしくお願いします」
そう言ったかと思うと握手したばかりの右手を不思議そうにひらいた。
「うわぁっ!」
あわてて右手を振り払って引っ込めると、黒緑色の小さなトカゲが床へ落ちた。
「どう、驚いた? サンザ君と話をしながら仕込んだんだ。偽物だけどね。気がつかなかったでしょ」
「なんなんすか、これ⁉」
「あいさつ代わりの名刺みたいなものだよ。ほら、僕はマジシャンだから」
口元は笑みを浮かべているようで目は笑っていない。そんな南条を見て、ラファは何も言わずに座った。
「二人にお願いしたいことを説明しますね」
そのやり取りさえ気にすることもなく、隣に置いていた大きな紙袋の中へ散冴が右手を入れた。
取り出したのはシルバー色のUSBメモリーだった。
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