孤独と秘め事

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心理学の講義は水曜の最後の時間にある。 大学では当然ながら女装はしていない。パーカーにスキニーといった、至ってシンプルな格好だ。 普段なら眠気をこらえながら先生の話を聞いているが、今日は目が冴えていた。 俺はいつもの場所を避けて、廊下に近い方の席に座っていた。 あの女性は普段と変わらない、窓際の席に座っている。 盗み見るようにそちらに目をやると、女性もふっとこちらを見る。そして微笑を浮かべた……ように見えた。 俺は慌てて目をそらす。 ……バレている? いや、まさか。 悶々としながらも講義は終わり、俺はそそくさと片付けを済ませ、教室を出ようとする。 しかし女性の動きは素早かった。出口に向かう俺の進路をさっと阻む。 そして言った。 「この前助けてくれたの、あなですよね?」 「何のことですか」 とぼけてみるが、女性はなおも食い下がる。 「それじゃあ、どうして今日はいつもと違う席に座っていたの?」 「それは……なんとなくです」 「骨格と鼻筋も、あの時の『女性』と同じですよ」 「そんなはずは。メイクはかなり勉強して、しっかり隠せていると……」 そこまで言って、自分の失態に気付いた。 女性は満足そうに笑みを浮かべている。 「やっぱり、あなただった」 この人は探偵か。あるいは尋問のプロなのだろうか?思わず舌を巻く。 いつの間にか教室にいるのは俺たち二人だけになっていた。 静まり返った教室に、目の前の女性の声は凛と響く。 「私は文学部二年の遠藤沙月(えんどうさつき)。改めて、この前はありがとうございました」 そう言ってぺこりと頭を下げた。 俺は慌てて顔の前で手を振る。 「いえいえ、本当に大したことじゃないんで。あ、俺は経済学部一年の御堂充(みどうみつる)って言います」 「そう、御堂くん。あなたにとっては大したことではなくても、私にとってはとてもありがたいことだったの。だからきちんと、お礼が言いたかった」 「はあ……」 遠野先輩は律儀な人なのだろう。 同時にあの時、駅前で視線が合った時の目を思い出す。本当に微かではあるが、その目は助けを求めていた。 ぼうっと考える俺に、先輩が声をかける。 「あの、今度の日曜日、空いてる?」 おっと。これはもしや、デートの……? 考えるまでもなく、俺は即答していた。「空いています」と。 先輩は安堵したように微笑み、 「よかったら、一緒に遊ばない?」 「はい」 若干食い気味に答えてしまったが、先輩は気にする様子もなく、 「それじゃあ、連絡を取りやすいように、連絡先を交換しよう」 とスマホを鞄から取り出した。 俺もスマホをポケットから出し、アカウントを教えあう。 「ありがとう!それじゃあ、日曜日ね。細かいことはメッセージ送るから」 「はい」 「すっかり暗くなっちゃったね。引き留めちゃってごめん」 「いえいえ」 「それじゃあ、また。気をつけて帰ってね、御堂くん」 そう言いながら先輩は手を振り、教室の出口に向かう。 「はい、先輩も」 ほわほわとした気持ちで俺も手を振る。 先輩の姿が廊下に消えるその寸前、先輩は一瞬だけ振り返って言った。 「そうだ。女の子の格好、してきてね」 「はい、わかりまし……ん?」 言葉の意味に気付き首をかしげた時には、先輩の姿はもうなかった。
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