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死と掏摸と
下から風が吹き上げる。覗き込む気にはなれなかった。眼前にある青い空だけを見て飛びたかった。
私の身体は、普通の人とはちがう。多少、不都合に感じることもあるけど、生きていけないほどじゃない。かといって、日常生活に不利益がないかといったら、そうでもない。だが誰も気にしていないだろう。私がこの不利益のせいで、常にいっそ墜落してしまいたい、と思っていることなど。
しかしやっかいなことに、死にたいと思うと同時に付き纏うのが、生きたい、だ。どうやら死にたいと生きたいは混同している思考らしい。そもそも生きたいと思わなかったら、死にたいとも思わないだろう。この辺の混同さは、いったん軽くでいいから、死にたい、と思ってみて、考えてみたらいい。死と生を対極に意識しない限り、死にたいとは思いつかないことだからだ。死にたいと思うことで、生きたいことに気づいてしまうので、そうなるとそう簡単に死ぬわけにはいかなくなる。どちらも同時には優先できない。
今、ようやく屋上から墜落する寸前までやってきた。あと一歩踏み出せば、死ねる。
そのときつい、はるか遠くの下界に視線をやってしまい、腰を屈めたおばあちゃんが、掏摸に合う瞬間を目撃してしまった。犯人は若いキャップを被った青年で、横断歩道を横切ると、走り出した。私の両親はマサイ族で大変目が良く、息子である私も視力は10.0を誇っていた。仕方なく死ぬことは後回しにし、マサイ族の身体能力を最大限活かし、マッハの速度で階段を駆け下りた。掏児から財布を取り返し、おばあちゃんに返すほうが、優先事項として高いことは明白だからだ。
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