走れ! アヘアヘ単打マン!!

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走れ! アヘアヘ単打マン!!

 初球、いきなりバットを短く持ち替えた。速球自慢の相手投手のストレートに対し、突くようにバットを出していく。  彼いわく、セーフティバントで大事なのは方向だそうだ。三塁線か、投手・一塁手・二塁手の三角形の間。このどちらかに転がせばいいと。その言葉通り、ちょこんと当てただけの打球は三塁線をなぞるように転がっていた。  狙い通りのバントを転がし、走り出す。速い、速い、速い。5月の風を切ってぐんぐん加速して、一塁ベースまでの距離をあっという間に詰めていく。  三塁手は懸命に前進して打球の処理にかかる。だが、拾い上げたボールはそのままピッチャーに返っただけだった。完璧なバントを転がされてしまっては成す術がない。ボールを拾った時には、一塁に投げてもアウトは取れないタイミングだった。 「どうや! 止めれるもんなら止めてみんかい!」  一塁ベースに頭から滑り込んだ香田さん。ユニホームも顔も泥だらけだ。会心の内野安打で盛り上がる一塁側ベンチに向けて拳を突き上げる。彼特有の高笑いが、グラウンド中に聞こえていた。  香田さんはプロ11年目の選手。関西の高校から大阪ライガースに入団した後、7年前に広島フィッシャーズに加入。以降、セカンドのレギュラーに定着している。  凄いのは、2番という打順でありながら2年連続の首位打者に輝いていること。今年も首位打者を巡って他の選手とデッドヒートを繰り広げている。弱小だったフィッシャーズが優勝争いに加われているのは、間違いなく香田さんのおかげだった。  香田さんの打撃スタイルは、ハッキリ言って『異常』だった。安打の半分近くが内野安打なのだ。セーフティバントが抜群に上手く、打っても打球の方向はほとんど三遊間方向。本拠地球場は打球が死にやすい天然芝、1塁に近い左打者と言う利点も活かし、俊足を飛ばしてヒットを稼ぎまくっていた。  当然、他球団も警戒する。香田さんが打席に入る時は、内野手が極端に前を守る。外野手がインフィールドに入ってくることもあった。あえて徹底的に内野安打を狙う香田さんの思惑を潰そうと、相手選手も必死に知恵を絞った。  だが、香田さんは常にその上を行った。前進してくる守備の網をバスターで突き破ったり、打球を叩きつけて滞空時間の長いゴロを打ち、前進守備のメリットを打ち消したり。時には大バクチで強振して、外野まで打球を飛ばすこともあった。香田さんは1軍で通算3本塁打を放っているが、すべて前進守備を越えていったランニングホームランだそうだ。  安打のほとんどがシングルヒットの香田さんを『アヘアヘ単打マン』と揶揄する声もあった。観客からも相手チームからも、長打がほとんどないことをヤジられることも多い。  そういった批判の声に対し、香田さんは決まってこう言い返すのだ。 「ワイのシングルヒット、また観に来てや」  それでも、香田さんが最初からこのスタイルを目指していたわけではないことを、僕は知っている。  去年の春季キャンプ。僕は高卒ルーキーで唯一1軍に入れてもらった。なんとか長打力をアピールしようと思って、フリー打撃で思いっきり打球を飛ばしまくった。  すると、打順を待機していた香田さんがこう言ったのである。 「ええなぁ。そんだけ飛んだら野球楽しいやろ」  実は香田さん、高校時代は通算20本塁打を放っている。入団時の評価も『俊足強打の内野手』だったのだ。  だがプロに入っても身体が大きくならず、投手の球に力負けして打球を飛ばせなくなった。3年目のオフに大阪ライガースをクビになり、その後トライアウトを受けて広島フィッシャーズに拾ってもらった立場だった。  本当は香田さんだって打球を遠くに飛ばしたいのだ。だが一度クビになった以上、こだわりを捨ててでも生き残らなければならない。誰にも負けない自信のある俊足を活かすため、泣く泣く内野安打狙いの打撃スタイルに改造したそうだ。 「もう大阪焼きは食わんっちゅうことや」  香田さんはこの時の決意を、そういう風に例えてくれた。結局広島のお好み焼きには未だに慣れてない香田さんだけど、新しい打撃スタイルは定着した。僕が入団するころには、2番セカンドの地位を不動のものとしていたのである。
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