0人が本棚に入れています
本棚に追加
「マリナ、ゲームをしないか?」
その誘いに乗らなくなったのは、いつからだっただろう。
小学校低学年くらいまでは、仕事で忙しいパパが一緒に遊んでくれるのが嬉しくて、二つ返事で飛び上がって喜んだ。
パパの持ってくるゲームは、友達みんなが持っているゲームと違って、聞いたことのないものばかりだった。
神秘の雫(仮題)ウェルターと魔法の箱(仮題)ホワイトガーデン(仮題)
パパは必ず、ゲームの中では自由に動いて良いと言っていた。
「マリナが好きなように動いてみて」
例えゲーム内でどんな指示が出ていたとしても、従っても従わなくても良い。行きたい場所は自分で選んで良いし、おかしな挑戦をしても良い。
入れなさそうな場所に体当たりしたり、一見すると行けそうにない細い通路に進んでみたり。大抵は見た目通り、できないことのほうが多いのだが、時折できてしまうことがあった。
壁に埋まったまま動かなくなったキャラクターや、通路をすり抜けて延々とどこかへ落ち続ける姿を見るたび、パパは目を輝かせていた。
「凄いぞマリナ! よく見つけたな!」
大きな手で頭を撫でられ、凄いと褒められる。何が凄いのかは分からなかったけれども、パパが喜んでいるということはわかった。
パパがゲームを作る仕事をしていて、あれがデバッグと呼ばれる作業だったということを知ったのは、中学に上がったころだった。
純粋に遊びとして楽しんでいた私と、仕事の一環だったパパ。楽しかったあの時間を踏みにじられた気がして、私はなんだかんだと理由をつけて、パパとゲームをしなくなっていった。
「マリナ、ゲームをしないか?」
久々にそう言われたのは、高校生になってからだった。
即座に断ろうとして、いつもとは違う嬉しそうな顔に言葉を飲み込む。
何かがある。そう思ったからこそ、私はスマホを伏せ、真正面からお父さんの顔を見上げた。
「どんなゲーム?」
「RPGなんだけど、四人のパーティーで進むゲームなんだ」
四人の勇者たちが力を合わせて魔王に挑むという、ストーリー自体はよく聞くものだったが、キャラクター設定とシステムに特殊な部分があった。
「パーティーのうちの三人は、人に化けた狐なんだ」
仲良し三匹の子狐は、その日も人間を騙すために人に化けていた。
今日はどんな悪戯をしてやろうかと歩いていると、緊張した面持ちの男の子が城の裏山に歩いていくのが見えた。
裏山には勇者にしか抜けない剣が刺さっており、少年は自分の力を確かめるために来ていた。
見るからにひ弱そうな少年には勇者としてのオーラもなく、とても剣が抜ける器ではなかった。
『どうせなら、悪戯してやろうぜ』
誰が言ったのかは分からない。けれど悪戯好きな三人は、少年を化かすことにした。
一人が剣を術で隠し、一人が偽物の剣に化ける。最後の一人は王様に化けて、こっそり物陰に隠れた。
少年はまんまと偽物の刀を抜き、王様に化けた狐が声をかけようとしたところ、運の悪いことに本物の王様がやって来てしまった。
勇者が現れたと大騒ぎになる中で、本物の剣を隠していた狐が悲鳴を上げる。
『ヤバイ……剣が抜けちゃった……んだけど……』
まさか少年が抜いた剣が偽物で、人に化けた狐が勇者だとは言えない。
三匹はなんとか偽物の剣と本物の剣を入れ替え、術を駆使して勇者の仲間になると、東の山のてっぺんに住まう魔王を倒すために故郷を後にするのだった。
「四人パーティーのうち、勇者の少年はNPC、自動で進むキャラクターなんだ。僕たちが操作するのは、三匹の子狐たち。少年に狐と悟られないように気を付けつつ、彼をサポートしながら進めるんだ」
通常は人間の姿だが、時折狐の姿でしか通れない場所がある。大抵はその先に重要なアイテムが落ちているため、少年の気をそらして進まないといけない。
ボタン一つで人間から狐の姿に変わるのを見ながら、私は肩をすくめた。
「ちょっと面白そうだし、やってあげても良いよ。デバッグだっけ? 久々だから、ちゃんとできるかは分からないけど。私とパパと、あと一人の狐はAI?」
「いや……違うよ」
口元をほころばせ、目を細める横顔に、直感する。
お父さんは新しく、誰かを好きになったのだと。
私を生んですぐに難病にかかり、闘病の果てに亡くなったママ。
リビングの写真立の中で微笑むママの手には、生まれたばかりの私が抱かれている。
言葉を交わした記憶はない。私が自由に言葉を話せるようになる前に亡くなってしまった。
だから、ママの記憶はないに等しい。
忙しいお父さんに変わり、私の面倒を見てくれたのはおばあちゃんだった。そのおばあちゃんも、去年亡くなった。
ずっと一人で私を育てるために頑張ってくれたお父さんの幸せを前に、記憶に残っていないママを慕って駄々をこねる様な子供ではない。
喜ぶべきだ。そう分かってはいるけれど、写真の中で微笑むママの顔を見ると、素直に喜べない。
だって、写真の中で微笑むママは本当に幸せそうで、お父さんも嬉しそうで。私の家族に、違う人が加わるのが何だか嫌で。
「……いまから始めるの?」
複雑な気持ちのまま、それでも私の中の大人な部分が、歓迎するべきだと背中を押す。
「マリナが良いなら」
「もちろん、良いよ。別に用事もないし」
ゲームをセットしながら、私は小さく唇を噛んだ。
画面の中を進む小さな狐を操作しながら、隣で真剣な表情でコントローラーを握るお父さんを横目で確認する。
キャラクター同士は多少の感情表現と指示を伝えることが出来るだけで、通話をしているわけではないため動きがかみ合わない場面が多々あった。
隣で話しながらやっているお父さんと私とは違い、コミュニケーションの取れない相手の動きに困惑することもあったが、時間が経つにつれてうまく連携が取れるようになっていた。
いつの間にかお父さんとの会話もなくなり、動きを見ているだけで何となく次にしたいことが分かるようになっていた。
相手の女性も、私たちの動きに合わせてくれているようで、ストレスのない状態で進められていた。
多分、波長が合っているのだろう。
バラバラだった攻撃も噛み合うようになり、狐に変化する際に少年の気をそらす役目も、言葉にせずとも自然と各々が自分の判断でできるようになっていた。
彼女が狐の小道の前にいたら、私が少年の気をそらす。逆に私が狐の小道に近ければ、彼女が少年の前に進み出てくれる。
ストーリーも着々と進み、魔王の城の近くまで来ていた。
「このゲーム、ストーリーが短くない?」
「……このくらいの長さでないと難しくて。本当はもっと長く遊ばせたかったんだけどな」
何が難しいのかは分からないが、切なそうに呟く姿に何も言えなくなる。
きっと、ゲームを作るうえでは私の想像もできないような難しいことがたくさんあるのだろう。
「これって、途中でセーブした記憶ないけど、オートセーブなの?」
「いや、セーブ機能はない」
「えっ……それ、ゲームオーバーになったらどうなるの?」
「最初からやり直しだけど、このゲームではやり直せないんだ」
「まだ試作品だからってこと? まあ、仕方ないけどさ、結末が分からないのはモヤっとするから頑張りたいな」
一発勝負だと聞いて、コントローラーを握る手に力が入る。
「ところで、ゲームオーバーって全員が倒れたらってこと? それとも、勇者の男の子が倒されたら?」
「子狐が全員倒されたらだよ」
「つまり、プレイヤーが全員倒れたら負けってことね。でも、男の子の火力が一番高いから、私は盾役をやろうかな。最悪倒れたとしても、クリアは出来るだろうから、積極的に攻撃を……」
「ダメだ。狐は三匹残ってないと」
「子狐が全員倒されたらゲームオーバーってことは、誰か一人でも残ってれば良いんでしょ?」
それなら、最も攻撃に特化している少年を守るために二匹が犠牲になって、残りの一匹は後方でチマチマ攻撃をしていれば良い。
子狐三匹のうち、私の使うキャラクターが最も防御力が高い。火力は普通だが、速度が遅いために後手に回ることが多い。
お父さんの使うキャラクターは最も火力が高く、速度は普通だが、防御力が低い。最後の一人が使っているキャラクターは、速度は速いものの防御力は普通、火力は最も低い。
「先手の取れる人が特攻して少しでも敵の体力を削って、私が敵の攻撃を受けつつ男の子を守って耐えて、最後一気にお父さんと男の子で削れば良いんじゃない?」
それが一番効率的だし、最も簡単な攻略方法だと思う。
私が倒れた後、おそらく敵はNPCの少年を攻撃し始めるだろう。今までの敵のパターンから考えても、最も火力の高い少年を攻撃する傾向が強く、守っていないとすぐに倒れてしまう。
少年が倒れた後、火力の低い私や女性のキャラクターが残っていては勝てるものも勝てない。
数多のゲームを作り、やってきたお父さんにもそれはわかっているだろう。
「いや、ダメだ。少年のことは別に守らなくて良いから、マリナはユ……その、あの、僕じゃない人を守ってほしい」
どうもお父さんは、三人で揃ってクリアすることにこだわっているらしい。
別にそんなことにこだわらなくても、もう子供じゃないんだから、お父さんの新しい恋人くらい受け入れるのに。
「仕方ないなあ。お父さんの作戦に乗るよ」
苦笑交じりに提案を受け入れるものの、結局それはこの場で決めただけの事であり、通話のできない相手の人には届かない。
彼女も私と同じ考えらしく、敵に特攻を仕掛けるのを必死に追い回して守る。
今までの敵よりも火力の高い魔王を前に、勇者の男の子が早々に退場してしまう。
彼は元々、あまり防御力の高いほうではなかったため、予想は出来ていた。
「マリナ、狐に変身して、魔王の近くに落ちてるアイテムを拾ってきて」
「それ、私より速度の速い人のほうが良くない?」
「速度に任せて滅茶苦茶に攻撃するのが好きな、ゴリゴリの脳筋にそんな視野の広さはない!」
「……お、お父さん……脳筋って……」
仮にも好きな人に向かって、何て言い草だろう。
「あの人は攻撃をし始めると、周りが見えなくなるんだ。味方へ攻撃の通るゲームの時だって、剣を振り回したり銃を乱射したりして、よく僕はダウンさせられてたよ」
「そんなにゲームしてるの?」
「僕も彼女も、ゲームが好きだからね」
「……そう」
カチカチと、ボタンを連打する音が聞こえる。
そう言えばお父さんは、ムキになると周りが見えなくなる人だった。今も多分、負けそうになっていて必死で、画面しか見えていないのだろう。
「あああ、今は攻撃の場面じゃないんだって! マリナ、アイテムをかき集めたらすぐに帰って来て彼女を守るんだ!」
「はいはいはい」
狐の姿で素早くアイテムを回収し、人の姿に戻って彼女の防御を固める。
少年がいなくなったことにより、火力が足りなくて苦戦しているが、自由に姿を変えられることは利点だった。
「うわ、ちょ、いま狐になる場面じゃないだろ! マリナ、悪いんだけど手を貸してくれ! 今削っておかないと回復される!」
「はいはいはい」
画面の中で自由に動き回る女性とお父さんのフォローをしながら、私はリビングの隅で微笑むママの写真に向かって小さく肩をすくめた。
(お似合いだよね、この二人……)
ボロボロの状態だったが、何とか三人そろって魔王を倒すことができ、カズオはほっと安堵のため息をついた。
娘のマリナはエンディングのストーリーを見ながら、ぐったりとした様子でソファーに身を預けている。
なんだか途中、マリナ任せになっていた気もするが、まあ仕方がないだろう。自分の使っているキャラクターは防御力が著しく低いため、下手に動くと魔王に一撃で倒されてしまう。
「このゲーム、どうだった?」
「面白いなって思う部分もあったけど、やっぱり話が短いかな。製品版だともっと長くなるんでしょ?」
マリナの問いに、曖昧に頷いておく。
このゲームに、製品版はない。この世でたった一つ、ここにあるものしかない。
話しながらかけていたタイマーが鳴り、あたかもいま届いたように装いながら、あらかじめ別のパソコンから送信しておいたメールを開く。
「遊んでくれてありがとう、だって」
指先で時刻と送信者の部分を隠し、本文だけを見せる。
「私こそ、ありがとうございました。また遊んでくれると嬉しいです。って、伝えておいて」
寂しげな表情でそう言うと、マリナがソファーから立ち上がった。
おそらく、彼女は新しい母親の存在を悟ったのだろう。
その誤解は、いつか解かなくてはいけないが、今すぐでなくても良い。
スマホが震え、今しがた届いたばかりのメールを開く。
『どうでしたか?』
心配そうに一言綴られた部下からのメールに、成功したとだけ伝えると、ソファーに倒れこんだ。
カズオの妻のユリナは、ゲームが大好きな人だった。
出会った場所もゲームの大会だった。
彼女はとても強かったが、脳筋な動きが多く、その大会の優勝はカズオがもらった。
ゲームで一度も負けたことのなかったユリナはカズオに教えを請い、交流しているうちにいつの間にか好きになっていた。
ユリナは結婚し、子供が生まれても、ゲームをし続けていた。
ユリナは病気が発覚し、入院してからも、ずっとゲームをしていた。
「マリナと一緒にゲームをしたかったな」
ゲームすらできなくなり、寝たきりになったユリナがポツリと言った言葉がずっと心に残っていた。
間近で見ていたから、ユリナのゲーム内での動きは予想できた。予測が出来なかったのは、マリナの動きだけだった。
子供のころから色々なゲームをさせて、マリナがユリナと同じ動きをするのだと気付いたとき、マリナはもうゲームをしなくなっていた。
それでも、いつかやってくれる日が来ると信じ、ゲーム会社の仲間と共に作ったゲーム『子狐と勇者』
ユリナの動きを完全に再現したNPCは、本当に人が動かしているとマリナを騙せるほど精巧な動きをしていた。
そして、カズオ自身もまた、本当にユリナと一緒にゲームをしているような錯覚に陥っていた。
家族で一緒にゲームをしたら、こんな感じだったのだろうか。
そんなことを思いながら、カズオは子狐と勇者をそっと箱にしまい込んだ。
最初のコメントを投稿しよう!