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神様がやってきた
「お前…………それで、本当に100万円渡したのか?」
「そりゃあ渡したよ。だってたった100万円で『揺るぎない幸せ』が手に入るんだぞ。誰だってそうするだろう」
成瀬の濁りのない真っ直ぐな瞳を見る限り、本当に信じているらしい。
「いや、お前がまさか宗教に引っかかるとはなあ」
「だから宗教じゃないってんだろ」
「だって急に初老の白人がやって来て『ワタシハカミダ』って言ったんだろ?」
「そうだよ。だから宗教じゃないって」
「よく分からん。どういうことだよ」
「宗教てのは、信仰する対象。つまり神となる何かがあって、それをみんなで崇めてるから宗教なんだよ。分かるか? その教徒が『私は神だ!』なんて口走る訳がないだろう。それこそ神への冒涜だろ。とんでもなく罪なことだぞ!」
「いや、理屈は分かったけど、そしたらもっとレベル低いよ。もっとレベルの低い詐欺だよこれは。なんでカタコトの外人が急に現れて100万円と引き換えに幸せがどうのこうのって……それで本当に100万円渡したお前の頭が奇跡だよ最早」
「ほら見ろ。既に奇跡は起きてるじゃないか」
「いやお前、もう何を言ってんだよ。お前は何を言ってんだマジで」
「ハハッ。羨ましいのは分かるが、きっとお前の所にもいつか来てくれるよ。ひがむんじゃない」
「うるせーよ」
はぁ……
僕はため息をついた。凄いことが起きたから来てくれと急に呼ばれて、成瀬の住むこの八畳ワンルームのアパートまで飛んできたのだが、またこんな話だったか……
「てかさ。そもそもさ。お前が100万円も持ってた事が衝撃なんだけど」
「おう、まあな。ただな……正直な。ちょっと足りなかったんだよ」
「マジ? じゃあ結局いくら渡したんだ?」
「いや! 神様が聞いてるかもしれねーだろ!
バレたら『揺るぎない幸せ』がもらえなくなっちゃうだろ」
「ん? てことはお前は100万円ですつって、本当は足りてない金額を、黙って渡したのか?」
「ま、まあそうだな。誰にも言わねえでくれよな」
「言わねえけどさ……で、結局いくら渡したんだよ? その白人の神様は聞いちゃいないよ。もし聞いてたとしても神様なんだから大目に見てくれるよ」
「17万円だな」
「いやバレてるよ。それバレてるだろ。ペラペラじゃねえか。よくお前も俺に100万円渡したとか抜かしやがったな」
「うん。だけどそれが俺の全財産だ。きっと気持ちは伝わってる筈だ」
「……そうだといいな」
そろそろ帰ろうかと思い玄関の方を見ると、扉の前に付箋のような、正方形の小さな白い紙が落ちているのに気がついた。
「何だあれ?」
僕はその紙切れを指差して成瀬に尋ねた。
「ああ。神様が落としていったんだな」
そう言うと成瀬は立ち上がり、その紙切れを拾いに行った。
「ほら。やっぱりそうだ」と言い、成瀬はぼくにその紙切れを手渡した。
僕は書かれている文字を確認する。
『ワタシハカミデアル ゼンチゼンノーノカミデアル アナタガヒヤクマンエンヲヨコストイウナラ ユルギナイシワセガ アナタガテニイレルコトトナルダロウ (While raising both hands)』
「これカンニングペーパーじゃねえか」
「別にカンニングだっていいだろう。俺たちに合わせて人間の言葉で喋ってくれたんだよ。最後の英語のところは意味分からんけどな」
「『両手を掲げながら』って書いてんだよ。その神様はちゃんと両手を掲げながら言ってたか?」
「うん。やってたわ確かに。でも手上げてるとメモ読めないから、メモ持った右手は上げたり下げたり繰り返してた」
「すげえな。すげえ話だな。俺はまだ夢の中にいるのかもしれん」
「ハハハ、悪い冗談よせよ。バチがあたるぞ」
「…………」
全く。こいつは……
「おい成瀬よ。悪いことは言わん。今すぐ警察に連絡をしよう。これは詐欺だ。よく分からんが金だって取り返せるかもしれん」
「は!? 何言ってんだ? 俺は自分で望んで100万を払ったんだぞ!」
「17万な」
「とにかく、その分の幸せが必ず俺のもとにやって来るはずだ。警察に相談なんてとんでもない。神への冒瀆だ」
「分かったよ。分かった。まあお前の金だし、俺もそこまでとやかく言うつもりはない。だけど今後はもう少し考えた方がいい。決断する前に誰かに相談するとかしてな」
「ああ……分かったよ」
「よし。じゃあな成瀬。帰るわ」
僕は財布とスマートフォンを上着のポケットに入れ、立ち上がる。
「お、おい松井! ちょっと待てよ!」
と、成瀬は言った。
「何?」
「いやー…………わりぃんだけどさぁ、一万円。貸してくんねえか?」
「あのなあお前。三ヶ月前に貸した1万円もまだ返してないだろうが。言っとくけど、さっき17万円持ってたって聞いた時、ちょっと頭にきてたんだからな。なんで17万円持ってるなら、まず1万円を俺に返そうとしなかったんだ?」
「いや、だからさ。ほら。三ヶ月前には妖精がやって来ただろ?」
「オバハンな。白人の。コスプレした」
「その時に俺『魔法のオーブ』買っただろ? そこにお告げが出てたんだよ」
「はぁ……どんなお告げだよ」
成瀬は玄関の靴入れの上に置いてある「魔法のオーブ」を取りに行き、僕に手渡した。三ヶ月分の埃をまとい白みがかったそのオーブを僕は受け取る。よく見ると、うっすらと表面に文字が見えた。埃を指で落とし文字を読んでみる。
『ソノウチ チカイミライ カミサマガ ココニヤッテクルカラナ ユルギナイシアワセヲ カイナサイヨ エンドークン』
僕は何も言わず成瀬を見つめる。
「見ろ。三ヶ月前から予言されてたんだよ。神様がここにやってくるってことがさ。俺はそのために金を貯めてたんだ。だからお前には悪いけど1万円は返すことが出来なかったんだ」
なるほど。妖精と神様はグルって事だな。三ヶ月前から成瀬は目をつけられてた。そして、そろそろ金も貯まったであろう頃を見計らい、今日やって来たということか。
「てかさ。遠藤君って書いてあるけど。渡す人間違えたんじゃないか?」
「まあそうだろうな。オーブは他にも四つあったからな」
「見えてたのかよ。他の四つ。てことは、遠藤君が『ナルセクン』のオーブを持ってんだな多分」
「そういう事になるな。まあ効果は全部同じだから大丈夫だよ」
なんの効果だよ。って言葉を僕は飲み込んだ。
「そのオーブはいくら払ったんだっけ?」
「21万だな」
「てことはだ。三ヶ月前の妖精と、今回の神様から買わなければ、お前は今頃38万円所持してたってことになる。大学生にしてはなかなかの所持金だ。お前そんなにバイトしてたのか」
「バイト? バイトなんかしてないよ」
「は? じゃあその金はどうやって作ったんだよ」
「いや、だって俺起業してるから。個人事業主だから」
「いや初耳なんだけど」
「あれ? 言ってなかったか」
「なんだ、それは何をする会社なんだ? 利益は出てんのか?」
「色んなイベントの企画だよ。音楽とか、パーティとか、ダンスとか、絵も一度やったな。利益はまだあんまりだ。平均して一月に25万円くらいだ」
「普通にスゲーじゃねえか。手元に残る分が25万円ってことだろ? 大学生のお前が。自分の起こした事業で」
「いやいや、凄くねえよ俺なんて。毎日ちゃんと授業出てるお前の方がすげえよ」
「なんか急に逆転された感じがあんだよな……何だお前。ホント変わってるよな」
まあ確かに。成瀬のように後先考えずに、面白そうなことにすぐ飛びつく奴の方が、そりゃあ成功する可能性も遥かに高いんだろうな。俺には出来ない芸当だ。
「でもまあ安心したよ。そんなにしっかりした収入源があるなら大丈夫だな。ほら。5000円やるから、それであと二週間頑張れ」
「5000円かあ……キツいなあ……」
「うるさい。本当はゼロなんだぞ。それで何とか頑張れ。二週間なら余計なもの買わなければいける。ほら、おまけで駅前の弁当屋の100円割引券もやるから。明日ちゃんと学校来いよ」
「おう。すまんな。明日はたぶん学校行くよ」
「期待せず待ってるわ。じゃあな」
僕は、成瀬のアパートを後にした。
——三ヶ月後。
夏休みに入り、成瀬ともしばらく会っていなかったが再び電話があり、大変な事が起きたから急いで来て欲しいとの事だった。
まだ午前九時だった。夏休みの大学生で朝九時に起きてるやつなんている訳ないだろう。僕は眠い目を擦りながら適当に支度を済ませ、アパートを飛び出した。
面倒だった。いや、だけど正直に言えば、どこかで何かを期待している自分もいた。またバカな話が聞きたいと。
原付きで約10分。成瀬のアパートに着いた。僕はチャイムを鳴らす。
「おう! 待ってくれ!」
中から成瀬の元気な声が聞こえる。
扉は直ぐに開けられる。
「聞いてくれ松井! ついに来たんだ!」
嬉しそうな成瀬のその手には、大きな茶色の羽根が握られていた。
「今回は、何がやって来たんだ? 鳥人間か?」
「いや。グリフォンだ」
「よし。中で話を聞こうじゃないか」
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