*仁科佳純*

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*仁科佳純*

「ええっと、ここだよね」  カスミはスマホに表示された地図と目の前のビルを交互に見比べた。目当ての人物は、雑居ビルの三階に事務所を構えているようだ。お世辞にもきれいとは言いがたく、人の出入りがあるとは思えないほど寂れている。  一階は空き店舗となっていた。その横に細い階段がある。エレベーターはなかった。カスミは恐る恐る階段を登り始めた。三階に着く。鉄の扉が出迎えた。とくに表札や看板はないが、ほかに部屋はないので、おそらくここで間違いないだろう。  何かあったときのために、スカートのポケットにはカッターナイフを忍ばせてある。その感触をポケットの上から確かめ、インターホンを押す。  間延びした音の後に、大柄な青年が顔を出した。大学生くらいだろうか。がっしりとした体つきはスポーツか武芸を嗜んでいるように見えた。整ってはいるが、強面のせいで迫力がある。  ヤバいところに来たかもとカスミが身構えていると、青年はカスミを見下ろし、「あんたが依頼主か?」と尋ねた。 「え、あ、うん。ここがスピカさんの事務所なら」 「合ってるぜ。スピカは中にいる」  青年は体をずらし、カスミを招き入れた。入ってすぐのところにソファがあり、部屋の奥はパーテーションで区切られていた。「占い師兼霊能者」の肩書を持つ人物の事務所にしては、ふつうだ。室内は明るく、観葉植物が置かれている。怪しげな内装を想像していたカスミは肩透かしを食らった気分だった。 青年はカスミをソファに座らせ、パーテーションの向こうに声を掛けた。 「スピカ、客だぜ」 「客? さて、何の依頼だったかな?」  涼やかな、中性めいた声がした。声の感じから、若いようだ。 「昨日メールもらってたろ。副業の方だよ」 「そうだったね」  パーテーションの奥から、ひとりの少年が現れた。 「スピカだ。よろしく」  少年はにこりと笑い、カスミの前に座った。カスミはマジマジとスピカと名乗る少年を見つめた。 「もしかして、タメ?」 「童顔だとはよく言われるが、二十歳は越えてるよ」 「ええっ! 見えないよ! 制服着たらマジで高校生じゃん」  二人分の紅茶を持ってきた青年が唇を噛み締めて笑いを堪えている。スピカは笑顔を張りつけたまま、青年を睨んだ。 「レオ、後で覚えておくように」  青年はテーブルに紅茶を置くと、「じゃあ俺、出てくるわ」と逃げるように出て行った。 「ねえねえ、スピカさんのそれ、カラコン?」  カスミはスピカの顔を覗き込んだ。ビスクドールのようにつるりとした肌と作り物めいた整った顔は、とくに目が印象的だった。彼の目は片目だけ違う色をしていた。左は黒曜石のごとく黒いが、右は琥珀色をしていた。 「似たようなものかな」  不躾な視線から逃れるように、スピカは紅茶を飲んだ。 「うわ、すっごいオシャレ! いいなあ、似合ってて。あたしもカラコン入れてみたいなあ!」 「ところで、依頼の話だけれど」  カップをソーサに置き、さりげなく話を戻す。カスミは本来の目的を思い出した。 「そうだった! あのね、あたしたちをお祓いしてもらいたいの。スピカさんて、有名な霊能者なんでしょ?」 「有名ではないと思うけれど」 「でも、ネットの掲示板に書いてあったよ。めちゃくちゃすごいって」 「具体性に欠ける内容だね」  スピカは呆れたように苦笑した。カスミがネットで知ったのは、「スピカという占い師は霊能者としても優秀」という情報だった。そこで、スピカが運営する占いサイトを探し当て、メールを送ったのだ。 「占いの方が本業なのだけど」 「じゃあ、お祓いはできないの?」  所詮はネットの情報だ。鵜呑みにするべきではなかったのかもしれない。残念がるカスミに、「たしかに、そういうこともできるが、まずは本職の方に相談してみてはどうかな?」とスピカは提案した。 「本職って?」 「寺や神社、場合によっては教会でもいいと思うよ」 「えー、胡散臭そう」 「僕の方がよっぽど胡散臭いと思うのだけど」 「あはは、自分で言っちゃう?」 カスミはけらけらと笑った。 「でも、あんまり大ごとにもしたくないんだよね。本当に霊の仕業かわかんないし」 「なるほど。とりあえず、君の話を聞こう」  スピカはわずかに身を乗り出し、話を聞く体勢をとった。躊躇いがちに口を開く。話の内容だけに、断られるかもしれないとここに来て不安になった。 「……あのね、友達が死んだの」 「穏やかじゃないね」  淡々とした物言いに促され、カスミは話を続けた。 「駅のホームから落ちて電車に轢かれたんだけど、警察は事件の可能性もあるって言ってるみたい。噂だけどね」 「突き落とされて、殺されたかもしれないと?」 「うん。でね、スミレを殺したのはあいつじゃないかなって思って」 「あいつ?」  スピカは首を傾げた。 「同じクラスだった子。少し前に学校やめちゃったんだよね。そいつも死んじゃった」 「何故?」 「よく知らない。自殺って聞いたけど」  カスミが知っているのは噂レベルの情報だ。薬を飲んだ、首を吊った、手首を切ったといろんな噂が飛び交い、事実はわからない。知りたいとも調べようとも思わなかった。 「では、霊の仕業というのは、その自殺した子ではないかと君は思うんだね?」 「うん……あいつが死んでから、変なことばっか起きてさ。絶対偶然じゃないと思うの」 「たとえば?」 「えーとね、突然停電したり、変な音がしたり。あ、そういえば、スミレ、あいつを見たって言ってたよ。アオイも、あいつの声が聞こえるとか言っちゃって、耳にガラスの破片を突き刺したらしいし」  一昨日、ユリとカスミが帰ったあとのことだ。  悲鳴が聞こえ、カラオケボックスの店員が駆けつけると、アオイが耳から血を流して蹲っていたそうだ。  昨日、学校ではその話で持ちきりだった。直前まで一緒にいたユリとカスミは好奇の目に晒された。けれど、誰も聞いてこようとはしなかった。遠巻きにユリたちを眺め、ひそひそと囁き合うばかりだった。ユリは不快そうに顔を歪めていた。  カスミは何とかしなければと思い、ネットのオカルト系掲示板を片っ端から調べた。そこでスピカにたどり着いたのだ。 「君は見たり聞いたりしてないのかな?」 「うん、全然。そういうの、信じてないから」 「信じてないのに相談に訪れたのかい?」  スピカは小首を傾げた。赤みを帯びた茶色の髪がさらりと揺れる。 「だって、変なことが起きてるのは事実だもん。そのせいでユリがずっと不機嫌なの。だから、白黒ハッキリさせた方がいいと思って」 「『ユリ』というのは、お友達かな?」 「そうだよ。ユリが不機嫌だとつまんないんだよね」  カスミは困ったように息を吐いた。不機嫌なユリは、カスミですら話しかけづらい。息が詰まる状況を早く終わらせたかった。 「ところで、自殺した子とはどんな関係だったんだい?」 「んー、スミレはめっちゃ嫌ってた。見てるだけでイラつくんだって。アオイも嫌いだったんじゃないかな。前は仲良くしてたみたいだけど、よくわかんない。ユリは……どうだろ? 遊ぶにはちょうどよかったんじゃないかな」 「君は?」 「あたし? 別に、ふつうだよ。好きでも嫌いでもないって感じ。みんなと一緒に遊んだけど」 「そうか」  スピカは考え込むように紅茶をひと口飲み、おもむろに口を開いた。 「呪いや祟りはどうして起こると思う?」 「え、何、突然」 「君の考えが知りたい」  琥珀色の目が妖しく煌めく。カスミは魅入られたように息を呑んだ。 「……わかんないけど。恨みがある、とか?」 「そうだね。死してなお消えぬ憤怒の情や恨みつらみが生者に害をなす。我々が呪いや祟りと呼ぶ現象にはいちおうそれなりの理由があるんだ。といっても、逆恨みや自己中心的な理由もあれば、理由もなく害をなす場合もあるのだけれど。彼女の場合はどうかな?」  ゆるりと口角を上げ、目を細め、スピカが笑む。計算されたような、作り物めいた笑みだった。 「どうかなって……」  カスミは、スピカが自分ではなく、その背後を見つめていることに気づいた。ゾッとした。何かがいる。カスミには見えない何かが。 「君は先ほどみんなと一緒に遊んだと言ったけれど」  スピカの笑みがますます深くなる。何故、彼が笑うほどに恐ろしく感じるのだろう。嫌な汗が背筋を伝う。けれどカスミは、全身が硬直したように動けず、スピカから視線を逸らすことさえできなかった。 「みんなと一緒に、『彼女で』遊んだと言った方がより正確なのではないかな?」 「あ、あたしは悪くないもん!」  カスミは弾かれたように叫んだ。 「ユリが退屈だって言うから! アオイは泣くばっかりでつまんないから、新しいオモチャが欲しいって!」 「だから、彼女をいじめたのかい?」  スピカは静かに、笑いながら、尋ねる。 「い、いじめてないよ! ちょっとした遊びだし!」  そう、いじめてなんかいない。自分たちがしたことは、遊びの延長だ。カスミは本気でそう思っていた。 「……なるほど。彼女は誘われたんだね? 一緒に遊ぼうと」 「そうだよ! アオイがあいつをあたしたちのグループに誘ったの。だから、悪いのはアオイで」 「ああ、でも、彼女はひどく嫌われてしまったようだね? とても攻撃的な態度をとられたようだ」  スピカには何が見えているのか。あるいは、聞こえているのか。カスミが話していないことを語ってくる。 「それならスミレだよ! スミレが一番酷いことしてたもん。ユリは笑ってて、すごく楽しそうだった。だから、あたしもつい悪ノリして、やり過ぎちゃったときもある。でも、あいつ、何も言わないから」 「……そうだね。便器に顔を突っ込まれたら、やめてと言いたくても言えないね?」  カスミの脳裏に、そのときの情景が浮かんだ。  公園の公衆トイレにあいつを呼び出し、洋式の便器に顔を突っ込ませた。何でそんなことをしたのか、覚えていない。たぶん、ユリが言い出したのだと思う。あいつで遊ぼうと。  アオイが呼び出し、スミレが個室に押し込んだ。古びたトイレで、ろくに掃除もされていない薄汚れた床に跪かせた。それから、どうしたんだっけ? ――ああ、そうだ。便器に溜まった水を飲んだら、あの写真を破棄すると言ったのだ。いつまで経っても動こうとしないので、業を煮やしたスミレが頭を掴んで便器に押しつけた。顔を振って逃れようとしていたけれど、水が鼻に入ってしまい、苦しそうにもがいていた。  それを見たユリは笑い、カスミは写真を撮っていた。「もっといい顔撮らせてよ」なんて言いながら。するとスミレが、顔を突っ込ませたまま、水を流したのだ。  ユリが「最高」と手を叩いて喜ぶので、続いてカスミもレバーを押し、水を流した。 「彼女はとても苦しかったそうだよ」  何を今さら、とカスミは思った。 「……イヤだったら、言えばいいじゃん。あたしたちが呼んでも来なければいいじゃん。卑怯だよ。死んでからやり返すなんてさあ!」  とたんに突風が巻き起こり、カスミの頬や額を鋭く裂いた。 「痛いッ! やだ、何これ!?」  滴り落ちる血に混乱する。目の前のスピカは悠然と座り、微笑んだままだ。風はカスミにしか吹いてこない。 「座ってないでなんとかしてよ!」 「無理だね」  スピカはにべなく突き放した。 「なんで!? 痛いんだってば!」  話している間も、カスミの肌は切り裂かれていく。 「まず第一に、今は依頼内容を聞いている段階で、正式に受けたわけではない。第二に、彼女の怒りは真っ当なものだと思うので、彼女の好きにさせている。第三に、レオがいなければ除霊はできない。わかったかな?」 「わかんないよ! 痛いの! やめさせて! 助けてよ!」  カスミは泣き叫んだ。助けもせずに傍観しているスピカが信じられなかった。 「ひどい! ひどいよ!」 「そうやって、彼女も抗議したようだよ。誰も助けてはくれなかったようだけど」 「あ、謝ればいいの? ごめんなさい! もう、しないから! だから許して!」 「しないも何も、彼女はすでに死んでいるのだけれどね」  スピカは呆れたように肩を竦めてみせた。だが、言い直す余裕はなかった。頭を守るように両腕で庇えば、制服ごと切り裂かれ、じわりと血が滲む。 「もうやだってば!」 「うお! 何だ、これ」  カスミが絶叫すると同時に、レオが帰ってきた。同時に風がやんだ。 「まだいたのか……って、どうしたんだよ、その傷」  レオは慌ててカスミに近寄った。カスミは呻くことしかできなかった。 「お前、やったな?」  レオがスピカを睨みつける。スピカは平然と答えた。 「僕は彼女の話を聞いていただけだよ。それに、僕ひとりでは対処できないと知っているだろう?」  レオは舌打ちし、「出掛けなけりゃよかった」と呟いた。 「ひとまず手当するから」  救急箱を取り出し、カスミの傷を手当する。数はあったが、どれも浅く、縫うほどの怪我はなかった。だが、カスミはしばらく放心していた。スピカとレオの会話が耳を素通りしていく。 「で、どうするんだ?」 「どうするも何も、彼女しだいさ」  スピカは手当を受けるカスミに視線をやった。 「彼女はとっても怒っていたからね。このままだと関係者が何らかの報いを受けるまでは止まらないんじゃないかな。今はターゲットを絞っているようだけれど、そのうち、無差別に生者を襲うようになるかもしれないね」 「そうなったら面倒だな」  眉をしかめるレオとは対照的に、「放っておいてもいいんじゃないかな」と、スピカはのんびりと残りの紅茶を飲みながら言った。 「何でだよ。今のうちに祓っておけばいいだろ」 「生者と死者の棲み分けは必要だけれどね。一方的に追い払うのは傲慢なようにも思うんだ」 「だから好きにさせるって? 現に被害出てんじゃねーか。それこそ一方的だろ」 「うん。だから彼女しだいなんだよ。依頼があれば、もちろん僕は動く」 「どうする?」と問われ、カスミはようやく顔を上げた。  依頼がなければ、何もしないとはっきり言われた。ひとがこんなにも傷ついているのに。  スピカはゆるりと微笑んでいた。作り物めいた笑みが、人でなしの化け物のように映る。 「……本当に助けてくれるの? さっき何もしてくれなかったじゃん」 「その理由は話したはずだよ」 「あー、そういうとこあるからな、こいつ」  レオが口を挟んだ。 「だけど、腕は一流だぜ。たぶん」 「たぶんて、頼りないんだけど」 「失敗したことはねえからな。今のところ」  だったら、あれこれ理由をつけずに助けてくれてもいいではないか。  不満がありありと顔に出ていたのだろう。スピカは突き放すように言った。 「納得いかないなら、ほかのところへ行ってくれて構わない。これでもビジネスなのでね。もちろん、報酬もいただくよ」 「……いくら?」 「必要経費プラス成功報酬を後払いで。おそらくだけど、君のお小遣いだけではきっと足りないだろうね」  スピカは優雅な笑みを浮かべたままだ。腹が立つ。こんな奴に頼みたくない。けれど、ほかに頼れるあてがないのも事実だった。それこそ、スピカの言う「本職」に頼ったところで、カスミの話を真面目に聞いてくれるかわかったものではない。 「もし失敗したら、今日の傷のことも含めて訴えるからね。あと、ネットにも晒すから」 「失敗したときは、君の命の保障もないのだけれど。まあ、いいか。契約成立だね。あらためて、『君を彼女の霊から守り、彼女の霊を祓う』ことを請け負おう」  にっこりと笑い、スピカはすかさず契約書を差し出した。
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