*仁科佳純*

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***  突然照明が落ちた。バリバリと雷鳴に似た轟音が鳴り響き、突風が巻き起こる。カスミは悲鳴を上げた。 「痛いっ! またなの!?」  さすがのユリも驚いたのか、「何よ、これ!?」と慌てている。アオイはソファから転がり落ち、床で蹲って泣いていた。 「うぅ……もうやだ、やだってばあ!」 「ちょっとあんたたち、早く何とかしなさいよ!」  ユリの怒号にスピカは「ふむ」と顎に手を当てた。 「レオ、彼女、なかなかの逸材だと思わないかい? 彼女を使役できたら面白いと思うのだけど」 「バカなこと言ってねえで指示寄越せ! マジで殺す気だぞ!」 「はあ……契約だから仕方ない。レオ、彼女をここへ」  スピカはレオに向かって箱を投げて寄越した。昨日、スピカに頼まれてレオが馴染の呪具師から受け取ってきた箱だ。レオは慌てて受け取り、「来い!」と叫んだ。  すると、荒れ狂っていた風が箱に吸い込まれていった。室内にはなおも風が吹き荒れていたが、勢いは衰えつつある。 「……ぐっ」  箱を持っていたレオは呻いた。風が箱に吸い込まれていくほどに、箱が重くなっていく。踏ん張っていなければ床に落としてしまいそうだ。 「おいスピカ、こいつ、スッゲェ重いんだけど!」 「成り立てにしては、ずいぶんと呪いの力が強いようだね。君たち、どれほど彼女の恨みを買ったのかな?」 「言ってる意味がわかんないんだけど!」  ユリが叫ぶ。 「恨みが深ければ深いほど、呪う力も強くなる傾向があるんだ。とはいえ、ふつうはもっと時間がかかるものなのだけど。しかし、彼女は死んで間もないというのに、すでに強力な悪霊となりつつある。何故だろう?」  実に興味深いとスピカは目を輝かせた。 「呑気なこと言ってないで、やっつけてよ! そのためにいるんでしょ、役立たず!」  顔から血を流したユリが抗議した。 「そ、そうだよ! 守ってくれるって言ったじゃん!」 「ああ、だからこうして彼女を捕獲している。レオ、逃すんじゃないよ」 「んなこと、わかってるっつーの! けど、こいつ、マジで重い」  レオは足腰に力を込めて、ぐっと踏ん張った。 「呪う力が強い証拠だね。ところで、君たちに聞きたいのだけれど」  カスミたちはその場から動けずにいた。体のあちらこちらが切り裂かれ、血を流している。 「手当が先でしょ。人、呼んでよ」  ユリが語気荒く、スピカに言いつける。 「君たちの話が先だよ。彼女を完全に捕まえなくてはならないからね」 「その箱にいるんでしょ! さっさと殺して!」 「もう死んでいるのだけれど。よほど彼女が嫌いなんだね」 「当たり前でしょ! ウチらを殺そうとしたんだよ。好きなわけないじゃない。さっさと地獄に堕ちればいいわ」  ユリの剣幕にも、スピカは動じなかった。探るように、じっとユリを凝視している。 「君たちと彼女はとことん相容れないようだ。とはいえ、何をしても、何を言ってもいいわけではないよ」 「なに、説教のつもり?」  ユリはのろのろと立ち上がった。腕や足からも出血していたが、目は怒りで燃え上がっていた。何故自分がこんな目に遭わなければならないのかと全身で叫んでいるようだ。 「いいわよ、自分で病院に行くから。ついでにあんたたちのことも訴えるわ。あんたたちにやられましたって」 「好きにするといい。まあ、部屋から出られたらの話だけれど」 「……はあ? 脅してるつもり?」  ユリはドアノブに手をかけた。しかし、どんなに動かしてもガチャガチャと鳴るばかりで扉はいっこうに開かなかった。鍵はそもそもつけられていない。押しても引いてもびくともしなかった。 「あんたたち、何したのよ!?」 「僕たちのせいではないね。彼女の仕業だ」 「付き合ってられない」  ユリは室内の電話機に手を伸ばした。だが、ザザッ、ザザッと不明瞭な音がするばかりで通話できる状態ではなかった。思い切り受話器を壁に投げつける。 「何なのよ!」 「だから言っただろう。さて、話を戻そうか」  スピカは涼しげな顔で口を開いた。ユリは忌々しげにスピカを睨み、ソファに座った。傷が障ったのか、顔を歪める。けれど、何も言わなかった。カスミとアオイは放心したままだった。構わず、スピカは続けた。 「彼女が陥った状況は彼女から聞いているので割愛しよう。今知りたいのは、何故彼女を執拗にいじめたのかということだよ」 「いじめてないわ。遊びの延長よ」 「ふむ。認識の齟齬は如何ともしがたいな。では、より具体的に聞こう。何故嫌がる彼女の裸体を写真に撮り、それを盾にことあるごとに呼び出し、虫を食べせたり、公衆トイレの便器に顔を突っ込ませたり、死ねと言い続けたり、時には」 「何だっていいでしょ!」  ユリが怒鳴って遮った。 「やりたかったから、やっただけ! その方が面白かったから! 大した理由はないわ」 「まあ、そうだろうね」とスピカはわざとらしく肩を竦めてみせた。 「今となっては、理由など大した問題ではない。君たちが彼女にした行為そのものが問題なのだから」 「あいつがウチらを恨んでるのはよくわかったわ。でも、もういいじゃない。ウチらも傷ついたんだから、これでおあいこでしょ」  ユリは不遜に言い放った。自分たちも被害者だと言わんばかりの言い草だ。 「お前、良心とか罪悪感てもんがねえのかよ! そのせいで、こいつは死んじまったんだぞ!」  箱を抱えたまま、レオは思わず怒鳴った。抱える箱がずしりと重くなる。ユリは臆することなく言い返した。 「どうして? ウチらが殺したわけじゃないし。死ねっつったのはウチらでも、実際に死んだのはあいつの責任よ」 「お前……!」 「レオ、それ以上は。お前が取り込まれてしまうよ」  スピカがたしなめる。 「……くそ」 「ほら、早くそいつを何とかしてよ。不快だわ」  それまで放心していたカスミには、その言葉だけがやけに鮮明に聞こえた。 「不快だわ」  ユリがそう言うたび、自分が何とかしなければと強迫観念に駆られた。ずっと、幼稚園で出会った頃から、ずっと。  誰よりもかわいくて、誰よりも高慢なユリは、カスミが憧れるお姫様そのものだった。みんながユリの言うことを聞いて、ユリの思うがままに動く。ユリのようになりたいとカスミは思った。  ユリが「イヤ」と言えば、カスミも「イヤ」がった。ユリが「きらい」と言えば、カスミも「きらい」になった。ユリとカスミは、いつも人の中心にいた。クラスの中でも人気者だった。けれど、あるとき気づかされてしまった。 「カスミちゃんて、ユリちゃんがいないと何もできないんだね」  そう言ったのは、誰だっただろう。小学校の同級生だっただろうか。 「いっつもユリちゃんの真似ばっかり。ユリちゃんになれるわけないのに」  彼女の言葉はカスミの奥深い部分に突き刺さり、抜けなくなった。 そうだ。自分なんかがユリのようになれるわけがない。器量も勉学も人並みで、ユリがいなければ、ただの平凡な、つまらない人間だ。けれど、ユリといれば、そんな自分でも輝ける気がした。  だから、いつでもユリと一緒にいた。ユリが不機嫌になれば、すぐに道化となり、率先して場を盛り上げた。そのためなら、他人を踏みつけても厭わなかった。  カスミにとって、大事なのは、ユリだ。ユリがいなければ、自分はつまらない人間になってしまう。  カスミの本性を暴いてきた少女は、「あの子、ユリの悪口言ってたよ」と嘘を吐き、ユリのターゲットにさせた。少女は不登校になり、やがて転校していった。  ユリがもっとも嫌悪するのはアオイのような卑屈な人間だ。だから、ユリの前では卑屈な面は見せず、ノリのいい、ちょっとおバカな友人を演じていた。ユリとは決して張り合おうとせず、卑屈にもなりすぎず、カスミにとってのベストな位置を保ち続けた。  けれど、ユリのあの一言がいつだって怖かった。いつ、自分が、切り捨てられる側になるのかと怯えた。アオイのように。あいつのように。 「……もう、イヤ」  カスミはのろのろと立ち上がった。切り裂かれた肌はぱっくりと割れ、ズキズキと痛む。せっかく塞がりかけた傷も開いてしまった。ユリが不審そうに「カスミ?」と呼ぶ。 「もう、イヤなの。疲れたの。いい加減解放してよ!」 「どうしたのよ、カスミ。落ち着きなって」  ユリが宥めようとカスミの肩に手を置く。カスミはその手を振り払った。 「イヤなんだってば! 痛いのは、もう!」 「カスミ……」 「全部ユリのせいだからね!」  カスミはキッとユリを睨みつけた。そんな目でユリを見たのは生まれて初めてだった。 「……は? 何言ってんの?」  カスミの思いがけない反応にユリは戸惑ったようだ。 「ユリが、退屈だって言うから、あいつのことたくさんいじめたんだよ? でも、そのせいでこんな目に遭うなんて、全部ユリのせいだよ!」 「カスミ、あんた……」  ユリの目が吊り上がった。けれど、カスミはもっと怖い目に遭ったのだ。容赦なく切り刻まれる恐怖。殺されるかもしれない恐怖。ユリがあんなことを言わなければ、ユリさえいなければ。 「……そうだよ。ユリが死ねばいいんだよ。そしたらきっと、あいつも許してくれるよね?」  カスミはスカートのポケットに入れたままだったカッターナイフを取り出し、ユリの顔を切りつけた。白い額がぱっくりと割れ、鮮血が飛び散る。ユリの絶叫が響き渡った。 「おいっ!」  レオがカスミを取り押さえようとする。その拍子に箱が落ちた。ふたたび風が巻き起こる。 「死んでよ、ねえ! ユリ! 死んで、あいつを止めてよお!」  カスミは発狂したように叫んだ。なおも切りつけようとするカスミを背後からレオが羽交い締めにする。 「やめろって! んなことしても、あいつは止められねえよ」  レオの言葉はカスミには届かなかった。 「スピカ! 見てねえで何とかしろ!」 「お前が箱を離すから、彼女が出てしまったじゃないか」 「しょうがねえだろ! とりあえずこいつだけでも止めねえと」  やれやれとばかりにスピカは首を振った。「これで彼女が鎮まればいいのだけど」と呟き、柏手を打つ。高らかな音が響くと同時に風がぴたりと止んだ。 「おー、スゲェな!」 「ちょっと退室してもらっただけだよ。祓ったわけじゃない」 「まあ、いいんじゃね。まずはこいつらの手当しねえと」  カスミに切りつけられたユリは両手で顔を抑えて呻いている。出血がひどく、床にまで滴り落ちていた。 「救急車呼ぶしかねえな。おい、お前……ぐっ」  腕の力を抜いたとたん、カスミはレオを振り払い、カラオケボックスから飛び出した。
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